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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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発売記念のこの記事は拙ブログのこの記事に関係のある話ですな。家康と氏真のからんだこんな話だったのか(違)

あと、くしくも桐野作人氏の「さつま人国誌」(南日本新聞連載)の最新記事は、これの元ネタだったのかも。
義久「義弘なんぞ京都か鹿児島で切腹プレイさせますから、それでOKでしょ?」
家康「そこまでせんでいいって(意訳「何がうれしくて60代のジジィの切腹プレイを見たい物か!」)」
ってところでしょうか。

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あの桂三枝が上方落語の大名跡である「桂文枝」の6代目となってはや4ヶ月。
…しかし未だしっくりきまへんなーヾ(^^;)
私にとっては「パンチDEデート」「ヤングおーおー」「愛ラブ爆笑クリニック」の桂三枝なのです。
うちの家人などは「文枝という由緒ある名跡を三枝如きが継いでいいのか」とまで言っております…流石にこれはかわいそうすぎると思いますが。


実は
島津家一門にも「桂」と言う名字を名乗った一族がいました。
本宗家9代当主・島津忠国の四男・勝久の末裔です。
この勝久から数えて4代目・忠俊の時、永禄元年12月27日に、島津義久の命で島津姓をやめて桂姓に変えます。
なお、島津家の分家で別名字を名乗ったのはこの桂家でいったん最後となりますが、江戸時代に余りにも増えすぎた分家を処理するため、孫分家などは島津姓をやめさせ別名字を名乗らせるようになります。このブログでも何度も出てきた垂水島津家の”末川”、永吉島津家(島津豊久の系譜上の末裔)の”九良加野”などです。
ちなみに、「桂」の由来は所領の名前から来ているとのこと。日向国志布志月野の”月”が“桂”の縁語による(「月の桂」)ことによるものです(「本藩人物誌」)。

この忠俊さんは耳川の合戦に従軍したりしているようですが、何より活躍したのはこの忠俊さんの息子の忠詮(前名「忠昉」)さんです。豊臣秀吉が九州御動座で攻めてきたときには、平佐城に立てこもり、新納忠元らと共に最後まで抵抗するなど武闘派だったようです。関ヶ原の合戦後、かくまっていた宇喜多秀家を駿府まで護送する役を務めたり、大坂の陣にも出陣してますが、この時に重病にかかり、帰国後58歳で死去しています(「本藩人物誌」)。
この4代後に血筋は絶え、島津家久(忠恒)の12男を養子に迎えさせられています(桂忠隆)。
なお、忠俊さんはあの梅北国兼の一揆に参加したという疑惑があります(○。○)…「本藩人物誌」には書いてありませんけどね。

その後も養子による相続が多いですが、この中で一番有名なのが幕末~明治の当主であった桂久武。実家は日置島津家(島津歳久の系譜上の末裔)、長兄は島津久徴、次兄は西郷隆盛に影響を与えた赤山靭負、揃いもそろって島津斉彬派の重鎮でした。久武もこのため流刑にあったりしますが、流刑先で西郷と知り合い、親友となります。最後は西南戦争に巻き込まれるように参加して戦死、一家は官軍に家を荒らされるなど苦汁をなめることになります。


…で、この桂一族の話を読む度、どうも私の頭の中では桂三枝とシンクロしてしまい、
武闘派のはずの桂忠俊さんも
幕末から明治にかけて活躍した桂久武さんも
顔は何故か桂三枝になってしまうのですヾ(--;)
特に久武さんはこんなイケメン?な写真も残ってますのにね。
あ、そういえば桂一門には桂ざこばとか桂南光とか桂小枝もいるのに…何で三枝になってしまうんだろ。武闘派のざこばには忠俊さんがあってそうな…いややはり無理があるか(^^;)

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天正10年5月25日、真幸院の吉田天神に奉納された物です。

 「真幸吉田天神社奉納」
陰天   宝前
 詠十首和歌
      修理大夫義久
 立春
初春のけふは千里のほかまてもみななひくへきあさかすミかな
 華
やとの春をよそになしつゝみよしのゝ花にいくかの日をおくりけむ
 郭公
半天の月はいるともさとなれてかへさわすれよやまほとゝきす
 萩
来る秋をしらまほしさにとひよれは萩のした葉そそよとこたふる
 月
かけすめる月には夜半のなかきをもおほえすなかめあかしつるかな
 雪
草も木もふりしく雪の明ほのはけふりやさとのしるへなるらむ
 待恋
高砂の尾上ならねとこぬ人をまつこそ 「本ノマゝ」ひさしかりけれ
 逢恋
つれなきをおもひ\/てすっこしもあふ「本ノマゝ」こそうらミわするれ
 山松
足引のやまとなるより色かへぬ松のかしこきたねやまくらむ
 神祇
まもるてふ八十氏人のすゑの世もわれ侍れるは神そしるらん
  天正十年五月廿五日
(「薩藩旧記雑録」後編1-1275)

「真幸の吉田天神」とはここのことだろうか。
この時期にここで和歌を奉納した背景ですが、前後の史料を見てもちょっと分かりませんでした。

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「私の城下町」といえば超懐かしい小柳ルミ子の歌ですが、
それをもじったような?アンケートを日本経済新聞がやらかしていたようです。
題して「歴女1000人に聞く!私が行きたい城下町!」だそうな。

…しかし、その内容を見て
私は愕然⊂(。Д。⊂⌒`つ
その理由は…


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な、なんだってー(棒読み)

では、そのネタになった記事をば。

NHK「14年大河」ホントは「島津義弘」だった

日刊ゲンダイ 10月27日(土)10時0分配信

<朝鮮出兵がネック>

 3週連続で1ケタ台の視聴率にあえいでいるNHK大河「平清盛」。21日の放送は関西地区で7.5%(ビデオリサーチ調べ)を記録し、またまた過去最低を更新。最終回(12月23日)まできっちり放送するというが、クライマックスの源平合戦を待たずして“討ち死に”状態である。
 早くも話題の中心は次の大河に移っていて、13年は綾瀬はるか(27)主演の「八重の桜」、14年は岡田准一(31)主演の「軍師官兵衛」と先日発表になったが「本当は『島津義弘』が当確だったが、二転三転し、黒田官兵衛になった」というのはNHK関係者だ。
 14年大河を巡っては、発表の1カ月前にも一部スポーツ紙が「明智光秀が有力」と報じている。しかし、フタを開けたら「官兵衛」になっていた。舞台裏で何があったのか――。
 島津義弘は、織田信長や豊臣秀吉と同世代に活躍した薩摩の戦国大名。島津家中興の祖といわれた第15代当主・貴久の次男で、兄の義久を助けた島津家最強部隊の将だ。
 関ケ原の合戦では300足らずの兵で敵中突破したことで有名。他にも、文禄の役と慶長の役で朝鮮へ出兵し、明の大軍相手に勇敢な戦闘力を発揮したことで知られる。
「その豪快なエピソードがネックになった。朝鮮出兵は義弘公の見せ場のひとつ。“鬼島津”と恐れられたという資料も残っている。絶対に外せないシーンだし、申し分ない“山場”です。が、8月に勃発した竹島の領土問題で日韓が揉めている中で、局内から難色を示す声が出た。物議を醸すような事態を避けたわけです」(NHK関係者=前出)
 義弘公の地元・鹿児島は県を挙げて大河の誘致活動に積極的だった。数年前には鹿児島にゆかりのある人物でプッシュしようと署名活動までし、09年には「観光かごしま大キャンペーン推進協議会」を発足させ、昨年10月にNHKへ要望書を提出していた。
 大河の舞台となった地元への経済効果は絶大で、08年の「篤姫」は鹿児島県内に262億円をもたらした。
 コトなかれ主義で弱腰なNHKと野田外交に振り回されては、義弘公もいい迷惑である。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121027-00000008-nkgendai-ent

ちなみにお読み下されば分かりますが、この記事を書いたのはあの日刊ゲンダイです。
まあつまり…その程度の信憑性0のお話でしたと言うことで(ヲイ)



関連ネタ
鹿児島県が「篤姫」に続く二匹目のドジョウを島津義弘で狙うようです
再来年の大河は黒田官兵衛

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