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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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次に挙げるのは、珍しい一首です。
同伴者に注目。

恨恋
 中牆の隔ハつらし葛のはのかゝるうらみハいかにしてまし
                   義久
樺山花見
 白雲の尾上につゝく松原や梢も花の色にみゆらん
                   歳久
「外ニ前後数人略ス」
天正四年卯月十四日当座
(「薩藩旧記雑録」後編1-848)


この前後に近衛前久の鹿児島訪問記事がありますので、それ関連の歌会で詠まれた物かも知れません。

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全50回、最後まで見ました。
…流し見になったところもありましたが(汗)

まず私的に注目したポイントなど
・前半の見所はなんといっても山本耕史が演じた藤原頼長、これに尽きます。今までは成田三樹夫が演じたお公家さんがまろのイメージだったのが、新しい世界を見せてくれました。まろ界に金字塔を打ち立てた山本さんすごい(^^;)
・その他前半では鳥羽天皇@三上博史、崇徳上皇@井浦新、源義朝@玉木宏など濃い演技をした俳優続出
・…が、その分平治の乱が終わると、脱力感からか、かったるかったのは否めません…
・その後半できらりと輝いていたのが、平重盛@窪田政孝。
・主人公を演じた松ケンも頑張ってましたと思います、私的には。
・松田翔太が演じた後白河法皇も異色の設定、キ○ガイじみたところが良かったです…でも、もっと老け役も勉強しましょうね(^^;)
・最後には馴染んでしまったちゃら男な平時忠@V6
・平知盛のかついだ錨がまともで良かったですね 『義経』のそれに比べて格段に良かったですね(棒読み)
・西行は何だったんだろうかヾ(^^;) ま、最終回ではそれなりに見せ場あったので良いとしても
・…松田聖子演じる祇園女御はもっと何だったんだろうか…ヾ(--;)
・源頼朝は上の2人とは違う意味で何だったんだろうか ずっとうつ病だったのがうつ病のまま覚醒したようなしてないような。これって中の人の演技力が…いやなんでもないヾ(--;)
・有名な俳優さんが座っているだけという扱いが多かった、贅沢すぎる…一番贅沢な使われ方したのは上川隆也でしょうね ほぼ皆勤賞だったのにほとんど座ってるだけだったという…
・台詞がどうも聞き取りにくかった。俳優の演技の問題か、NHKの音声の問題か。
兵庫県知事がアホと言うことが分かってしまった(ヲイ)

以下総評

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以下はメモです。
さて、妥当性はあるのか?


伊集院忠棟の父・忠倉の年齢:永禄6年(1563年)で37、8ぐらい(「本藩人物誌」)
伊集院忠棟の年齢:天文10年(1541年)生~慶長4年(1599年)没(「庄内陣記 添付系図」)
伊集院忠棟の弟・比志島義興(義基)の年齢:天文6年(1537年)~慶長8年(1603)没 享年67歳(「本藩人物誌」)

忠棟は永禄9年(1566年)に国老(=家老のこと)に任ぜられたという(「本藩人物誌」)


やはり比志島義興の生年にごまかしがある可能性が高いですかね

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天正4年8月15日頃に詠まれた物です。

雪窓妙安大姉三十三回、ことし八月十五日にあひあたり侍りしハ、年季も是を限なれハ一入かなしさ身にしミとをり、時しもあれ、秋やハ人のわかるへきと、いひ置しいひしへをも思ひやられて、いとゝ露けき秋也、追善に広済和尚詩をつくり、手向給ひし其韻字を取て、試に一首をつらね侍るものなり、
                  義久
月にちるはゝその秋ハ程もなく雪に向かハん窓の山風
 「貴久公御夫人
  天文十三年八月十五日御逝去
  天正四年ニテ三十三回忌ニ当ル也」
(「薩藩旧記雑録」後編1-859)

読んですぐ分かるとおり、義久の母の三十三回忌に於いて詠まれた物です。なお、前書きでは広済和尚の追善漢詩があるはずなんですが、「薩藩旧記雑録」には収録されていません。

義久の母・法名雪窓妙安大姉は、北薩の国人・入来院重聡の娘。島津貴久の後妻となり、義久、義弘、歳久を生みますが、若くして亡くなったようです。なお、一般的に三十三回忌を区切りとするため、とりわけ惜別の情を以てこの一首を詠んだようです。
…まあこんな和歌を詠んでいるから、マザコンなんて言われたりするわけですがヾ(^^;)

参考
義久とーちゃん・貴久への追悼歌 こちら こちらも

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伊集院家関連でよくお世話になっている「庄内陣記 伊集院家系図」
これでは伊集院忠棟は59歳没(慶長4年(1599年))となっている。
忠棟の息子達の年齢拙HP「島津久定女」に載っているのでご参照を)とも矛盾はない。

ところが、「本藩人物誌」に載っている忠棟弟・比志島義興の没年は「天文六年生」「慶長八年 六十八歳没※「68歳没」という記述は後からの朱書き
天文6年(1537年)生まれ慶長8年(1603年)没の義興は何と兄より年上になってしまうのである。
ここで考えられる理由は
・義興が忠棟の弟であることを隠すため、義興の年齢を工作した
なのだが

天文24年(1555年)の合戦時の名簿(「薩藩旧記雑録」後編1-32)には
 伊集院右衛門大夫
という記述がある。
「庄内陣記」の記述を信じると忠棟は天文10年(1541年)生まれになるので、この時14歳になる。
年齢的には元服して参加していてもおかしくはないのだが、
・すでに官名名乗りをしていること
・それが系図で知られる初官名の「掃部介」ではなくて、いきなり「右衛門大夫」
という疑問点がある。

もう一つの疑問点。
忠棟は一時期島津義久と相婿だったことがある。
忠棟は種子島時尭の長女を妻とし、
義久は種子島時尭の次女を妻としていた。
忠棟が「庄内陣記 添付系図」記載の天文10年生まれとすると、
忠棟は義久より年下なのに、立場上義理の兄になっていたことがある。
これは主君に対して非常に失礼なことになるのではないだろうか。


うむー?(゜_。)?(。_゜)?
この話題不定期に継続する予定(^^;)

おまけ:
比志島義興が伊集院忠棟の弟と看破されたのは五味克夫氏なんだが、年齢問題についてはどう解決されたのだろうか?実はそれに論究した論文にいまだぶち当たらず…

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