拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
天正4年8月15日頃に詠まれた物です。
義久の母・法名雪窓妙安大姉は、北薩の国人・入来院重聡の娘。島津貴久の後妻となり、義久、義弘、歳久を生みますが、若くして亡くなったようです。なお、一般的に三十三回忌を区切りとするため、とりわけ惜別の情を以てこの一首を詠んだようです。
…まあこんな和歌を詠んでいるから、マザコンなんて言われたりするわけですがヾ(^^;)
参考
義久とーちゃん・貴久への追悼歌 こちら こちらも
読んですぐ分かるとおり、義久の母の三十三回忌に於いて詠まれた物です。なお、前書きでは広済和尚の追善漢詩があるはずなんですが、「薩藩旧記雑録」には収録されていません。雪窓妙安大姉三十三回、ことし八月十五日にあひあたり侍りしハ、年季も是を限なれハ一入かなしさ身にしミとをり、時しもあれ、秋やハ人のわかるへきと、いひ置しいひしへをも思ひやられて、いとゝ露けき秋也、追善に広済和尚詩をつくり、手向給ひし其韻字を取て、試に一首をつらね侍るものなり、
義久
月にちるはゝその秋ハ程もなく雪に向かハん窓の山風
「貴久公御夫人
天文十三年八月十五日御逝去
天正四年ニテ三十三回忌ニ当ル也」
(「薩藩旧記雑録」後編1-859)
義久の母・法名雪窓妙安大姉は、北薩の国人・入来院重聡の娘。島津貴久の後妻となり、義久、義弘、歳久を生みますが、若くして亡くなったようです。なお、一般的に三十三回忌を区切りとするため、とりわけ惜別の情を以てこの一首を詠んだようです。
…まあこんな和歌を詠んでいるから、マザコンなんて言われたりするわけですがヾ(^^;)
参考
義久とーちゃん・貴久への追悼歌 こちら こちらも
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無題
入来院~いつかやりたいと宿題になってる^^
鎌倉時代から、ポツポツ島津家から室を迎えてるみたいですね。
まだ系図が脳に浸透してないんですが、
貴久は肝付から室を迎えてて、
入来院の14代目生母が肝付兼興娘だったはずだから、
島津・入来院・肝付は縁戚関係になる・・・はず?
まだマイデータベース未完成で時系列がゴチャゴチャです。
違ってたらすいません^^;
鎌倉時代から、ポツポツ島津家から室を迎えてるみたいですね。
まだ系図が脳に浸透してないんですが、
貴久は肝付から室を迎えてて、
入来院の14代目生母が肝付兼興娘だったはずだから、
島津・入来院・肝付は縁戚関係になる・・・はず?
まだマイデータベース未完成で時系列がゴチャゴチャです。
違ってたらすいません^^;
島津+入来院+肝付
時乃栞様コメントありがとうございます。
>鎌倉時代から、ポツポツ島津家から室を迎えてるみたいですね。
あ、そうなんですか(ヲイ)。その辺まで系図見てなかった…今確認しようにも本棚崩壊して系図のコピーがどこにいったものやら(汗)
>貴久は肝付から室を迎えてて、
その通りです。但しすぐ亡くなったようです。その後にきたのが、この記事でネタになった義久・義弘・歳久の母です。
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com/ki/kimotsuki-kaneoki-musume2.htm
>入来院の14代目生母が肝付兼興娘だったはずだから、
>
>島津・入来院・肝付は縁戚関係になる・・・はず?
あ、そうなんですか。その辺まで系図見てなかった(以下略)
>鎌倉時代から、ポツポツ島津家から室を迎えてるみたいですね。
あ、そうなんですか(ヲイ)。その辺まで系図見てなかった…今確認しようにも本棚崩壊して系図のコピーがどこにいったものやら(汗)
>貴久は肝付から室を迎えてて、
その通りです。但しすぐ亡くなったようです。その後にきたのが、この記事でネタになった義久・義弘・歳久の母です。
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com/ki/kimotsuki-kaneoki-musume2.htm
>入来院の14代目生母が肝付兼興娘だったはずだから、
>
>島津・入来院・肝付は縁戚関係になる・・・はず?
あ、そうなんですか。その辺まで系図見てなかった(以下略)