拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
表題のアニメの下敷きになったネタがあの満州事変らしい(○。○)
それだけでも勇気があると思うのだが、
なんと当事者が実名で登場するのだそうだ⊂(。Д。⊂⌒`つ
もちろん板垣征四郎・石原莞爾から今田新太郎までオールスターズでございます。あ、でも本庄司令官ははぶられてたかもヾ(--;)
ただ、どうもネットで得た情報によると
肝心の満州事変の登場する回は地上波では放送されず、ネット配信(爆)だったそうで
ははは…
公式HPはこちら
おまけ
主人公たち架空人物の名前と実在人物の名前に差がありすぎて違和感
それだけでも勇気があると思うのだが、
なんと当事者が実名で登場するのだそうだ⊂(。Д。⊂⌒`つ
もちろん板垣征四郎・石原莞爾から今田新太郎までオールスターズでございます。あ、でも本庄司令官ははぶられてたかもヾ(--;)
ただ、どうもネットで得た情報によると
肝心の満州事変の登場する回は地上波では放送されず、ネット配信(爆)だったそうで
ははは…
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おまけ
主人公たち架空人物の名前と実在人物の名前に差がありすぎて違和感
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NHKBSプレミアムにて表題の番組が放送予定です
放送予定日 2013/5/16(木) PM20:00~21:00 <再放送>2013/5/24(金) AM8:00~9:00
TVガイドで見た限りの内容ですが
「家の存亡に関わる家族の不協和音」
「したたかな生き残り術」
だとか。もしかしたら亀寿辺り登場するのか気にさせるような…しかしこれで幕末ネタしか出てこなかったら泣く
放送日、タイトルは変更の可能性が大ですので、新聞等で再度ご確認下さい。
公式HPはこちら
放送予定日 2013/5/16(木) PM20:00~21:00 <再放送>2013/5/24(金) AM8:00~9:00
TVガイドで見た限りの内容ですが
「家の存亡に関わる家族の不協和音」
「したたかな生き残り術」
だとか。もしかしたら亀寿辺り登場するのか気にさせるような…しかしこれで幕末ネタしか出てこなかったら泣く
放送日、タイトルは変更の可能性が大ですので、新聞等で再度ご確認下さい。
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※当記事を読む前に拙ブログのこの記事を読んで下さるとより話が分かりやすいかもです。
「島津家」という名前に引っかかって、 という本を読んでみた。
内容だが、 いわゆる「越前島津家」について書かれた本で、
前半が南北朝頃の当主・島津忠兼について
後半が戦国時代に戦死した「最後の」当主・島津忠長とその後の播磨の島津氏 について
書かれた物だった。
拙HP+拙ブログの守備範囲上、やはり気になるのは後半である。
以下、上掲の本の記述をたどりながら、越前島津家(播磨の島津氏)のその後を追いかけてみたい。
(1)忠長の遺児・忠之
天文~天正頃の人物。越前島津家の16代当主。存在を示す史料は系図以外では播磨の島津氏が所有している「赤松晴政所領返付充行状」(天文廿三年十二月廿九日)のみ。系図による来歴は以下の通り。
天文3年~天正3年9月9日。天正3年の青山の戦いで赤松氏の内紛に巻き込まれ戦死。忠之ばかりではなく育ての父であり叔父の島津重宗も同日戦死し、事実上越前島津家(播磨の島津氏)は絶家状態となった。
(2)忠之の遺児・義弘
天正~寛永頃の人物。越前島津家の17代当主。存在を示す史料は系図のみ。系図の説明による略歴は以下の通り。
天正2年~寛永11年4月16日 重行、又二郎、蔵人、彦兵衛尉。
父が戦死したときまだ2歳だったため、母親に連れられて逃亡する。成人後、赤松祐高に従って大坂の陣に豊臣側として参加するも、敗北。祐高と共に飾磨大覚寺に立てこもるが、池田利隆軍に攻められ、祐高は切腹。義弘は更に本拠地の播磨国下揖保庄上村に逃亡するが、そこも池田軍に攻められて義弘の長男(忠遠)、次男(忠頼)は切腹。義弘は出家し助かった。三男・政之が跡を嗣ぎ、孫(長男の子)・忠範は下揖保庄西野田村の郷長になった。
(3)義弘のひ孫・忠次(良久)と玄孫・権兵衛忠義
元文頃の人物。
この時、鹿児島藩は新城島津家が持っていた越前島津家の系図及び書簡などをもって、藩主吉貴の息子・忠紀に「越前島津家」を嗣がせよう(再興させよう)としていた。その事前調査のため、播磨の島津氏を調べさせた。この時調査隊は2ルートあったという(鹿児島藩大阪留守居役配下・竹村八郎右衛門と岡本金蔵、遍旬律師(薩摩国重富郷平松村円明院開基)の弟子・禅外)。竹村・岡本隊は満足な調査結果を得られなかったが、禅外は遍旬の人脈から兵庫能福寺の僧侶・松森院治源にたどり着く。この治源が権兵衛忠義の弟で、そのため禅外は忠長~権兵衛忠義に至るまでの詳しい情報を聞くことが出来た。
しかし、調査結果を報告した元文三年、すでに鹿児島では忠紀が元文二年に越前島津家を再興したところであった。そのため、その後播磨の島津氏から問い合わせがあったときも、播磨の島津氏が島津家末裔かどうかについてグレーゾーンの回答しか出来なかったのではないか?…と松久氏(この本の著者)は考えているようである。
(4)佐吾次義清
26代当主。文政~天保頃の人物。権兵衛忠義の5代孫。
醤油醸造で莫大な富を築き、龍野藩主・脇坂安董にたびたび献金したという。その褒賞として、帯刀を許される。いくつかの村の庄屋職となる。
(5)与三郎義重
27代当主。天保9年12月20日~明治30年5月19日。義清の長男。
父同様、醤油醸造で得た莫大な富を元に、藩への献金を都度都度行い、又いくつかの村の庄屋職を勤める。幕末は藩に徴兵されていた模様。明治維新後は本来の醤油醸造業に戻る。明治24年に初代に当たる島津忠久の墓参りを計画、島津本家に問い合わせたところ許可が下りたので、鹿児島を訪問。この時に本家側から大歓待を受け、その後、本家からパーティーに招待されるなどつきあいが増えるようになる。
(6)佐吾治忠正
28代当主。文久2年4月13日~明治34年12月1日。
義重の長男。揖保村で名誉助役を務める。本家島津家とは父の代と変わらず親密な交際が続いていた。明治34年に40歳の若さで死去。一介の田舎の名士(失礼ご容赦!)に本家島津家(島津忠重)からはもちろん、久邇宮邦彦王からも香典が届いたという。
(7)信夫
29代当主。明治26年1月8日~?
忠正の長男。家業は嗣がず、海軍に入る。この時、本家当主・島津忠重も海軍軍人となっており、度々手紙のやりとりをしていたという。最終的な階級は大佐。終戦後は故郷の龍野に帰った。その後の消息については諸資料には記録がない模様(或いは実は資料があるのかも知れないが、プライバシーの問題を考慮して松久氏が書かなかっただけかも)。
以下、この系譜の問題点などについて考えてみたいと思います。
石原莞爾を調べていると、タイトルにあげている雑誌がちらちら出てくる。しかし現在は本屋で見かけないが…
例えば莞爾の盟友であった浅原健三について検索してみたら、浅原逮捕に関わった憲兵・大谷憲二郎がその「真相」を書いたのがこの『日本週報』である。参考こちら
阿部博行著『石原莞爾 生涯とその時代』を読んでみると、莞爾は晩年に『日本週報』がらみでかなり嫌な思いをしたらしい。2.26事件について莞爾が裏で青年将校達の糸を引いていたという話を岩淵辰雄が『日本週報』に書いたようだが(「破るる日まで」)莞爾曰くこれはすべて虚偽だったという(弟・石原六郎談)。
では、この『日本週報』なる雑誌って何物?
早速検索してみると…
まともなデータがない_| ̄|○
何か参考になりそうなところを見てみる。
『日本週報』創刊9周年記念号 昭和29年で創刊9年と言うことは、戦後すぐに創刊された雑誌という事みたいですな
某古本屋さんの所蔵一覧 サブタイトルを見てみると「マッカーサァ大将パターン苦戦の真相」とか「沖縄敗戦と牛島中将の最期」とか軍関係のネタが多い雑誌だったようです
こんなネタも扱っていた ※グロ画像注意
ところがその後しばらくして休刊になったらしく、昭和51年(1976年)に再刊されたようだ。参考 こちら
再刊後は、「赤いGHQの恐怖! 日本列島は10分で全滅」「大蔵省解剖 主役・銀行局/証券局の仁義なき闘い」と言う政治ネタの他に「V1達成でも長島監督の座は危ない」なんてスポーツ芸能ネタも扱っていたようだ。
※上記のリンク先に「昭和20年12月9日 ~ 昭和41年 592冊? 発行 日本週報 の 復刊第1号 雑誌」とちょっと発行データが書いてありました
…が、その後ばんないの幼少時(汗)の記憶に『日本週報』なる雑誌の記憶が全くないと言うことはやっぱりすぐ休刊or廃刊になったんでしょうな。
ところで
どうもまだ日本週報社という出版社自体は残っているのだが、公式HPもなく、何やってるのか全く不明。
戦後すぐには熱狂的な人気があったようなんだが、始まりから現在まで、何とも謎な雑誌である。
例えば莞爾の盟友であった浅原健三について検索してみたら、浅原逮捕に関わった憲兵・大谷憲二郎がその「真相」を書いたのがこの『日本週報』である。参考こちら
阿部博行著『石原莞爾 生涯とその時代』を読んでみると、莞爾は晩年に『日本週報』がらみでかなり嫌な思いをしたらしい。2.26事件について莞爾が裏で青年将校達の糸を引いていたという話を岩淵辰雄が『日本週報』に書いたようだが(「破るる日まで」)莞爾曰くこれはすべて虚偽だったという(弟・石原六郎談)。
では、この『日本週報』なる雑誌って何物?
早速検索してみると…
まともなデータがない_| ̄|○
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『日本週報』創刊9周年記念号 昭和29年で創刊9年と言うことは、戦後すぐに創刊された雑誌という事みたいですな
某古本屋さんの所蔵一覧 サブタイトルを見てみると「マッカーサァ大将パターン苦戦の真相」とか「沖縄敗戦と牛島中将の最期」とか軍関係のネタが多い雑誌だったようです
こんなネタも扱っていた ※グロ画像注意
ところがその後しばらくして休刊になったらしく、昭和51年(1976年)に再刊されたようだ。参考 こちら
再刊後は、「赤いGHQの恐怖! 日本列島は10分で全滅」「大蔵省解剖 主役・銀行局/証券局の仁義なき闘い」と言う政治ネタの他に「V1達成でも長島監督の座は危ない」なんてスポーツ芸能ネタも扱っていたようだ。
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…が、その後ばんないの幼少時(汗)の記憶に『日本週報』なる雑誌の記憶が全くないと言うことはやっぱりすぐ休刊or廃刊になったんでしょうな。
ところで
どうもまだ日本週報社という出版社自体は残っているのだが、公式HPもなく、何やってるのか全く不明。
戦後すぐには熱狂的な人気があったようなんだが、始まりから現在まで、何とも謎な雑誌である。

