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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
検索していて、気になる史料を見つけた。
所蔵しているのは何と宮内庁の書陵部。
しかし、HPをよく読んでみると、手続きさえちゃんとすれば、プロの研究者以外にも公開しているようだ。

ということで、9月上旬頃に電話で問い合わせてみました。
※「電話で問い合わせ」したのは、HPはあるが、Eメールでの受付をしていなかったので。
電話に出たのは感じの良い女性。「HPでみた書陵部の史料について…」というと「担当に回しますね」
ということで、転送されたら、次に対応してくれたのは
 どーんよりした声色の男性ヾ(^^;)
おそるおそる聞いてみる
「…あの、HPで○○○という史料を所蔵されていると見たのですが、COPY可能でしょうか」
「あー、大体の史料は大丈夫だと思いますよ。」
という、何か心許ない回答ではあったが、指示されたとおり 封書 で申請。

それから申請したことを忘れかけた約2週間後に、
「宮内庁」
と印字された封筒がポストに入っていた。
文書内容は
「宮内書初○○○号
平成30年9月○○日

○○○○(※ばんない本名)殿

                               宮内庁書陵部長(印)

平成30年9月○日付けで申請のあった資料の使用については下記の通り差し支えありません。
(以下略)」
…文章がガチガチに硬いヾ(^^;)さすが宮内庁。
ただ、肝心の資料本体は入っておらず、別紙に「後日郵送」「請求書は資料と同封」と書いてあった。

そして申請自体をすっかり忘れた(ヲイ)一昨日になって、身に覚えのない小包が…
送り主をよく見ると「宮内庁依頼資料」と書いてある。それをみて「ああ、あれかあ!」と思い出したのであった。
肝心の中身なのだが
 COPY用紙A4が3枚(資料の内容が内容(←謎)だったのでもっと大きな物かと思っていたのだが…)
問題なのはこれだけの文書で
 請求金額¥1490⊂(。Д。⊂⌒`つ
…な、なんてぼろい商売ヾ(--;)
高額になった原因としてはCOPY3枚をわざわざゆうパック60サイズで送って下さったと言うこともあるかと。というか、その分量なら普通郵便でも良かったです…。せめてクリックポストとか

今時申請にメールもつかえず、レスポンスは申請から1ヶ月半というカタツムリもビックリの遅さヾ(--;)
でも、勤めるならこんな所が良かったかなあ、と思ったのでした(ヲイ)
宮内庁書陵部は最初から就職先の候補にも入ってなかった、不覚ヾ(^^;)もっともこっちが希望しても簡単に就職できる場所じゃないというのは重々承知してますけどねー。



肝心の史料については後日公開(来年になるかも?)

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徳川家茂・慶喜の銀印を発見、条約批准書に押印
2018年08月20日 08時45分

 江戸幕府の第14代将軍徳川家茂、第15代慶喜が外国と結んだ条約の批准書に押した銀印「経文緯武」が見つかった。将軍の署名とセットで用いられた、当時最高レベルの印章というべきもので、日本外交史における重要な資料だ。

 徳川宗家の歴史資料を保存・調査する徳川記念財団(東京)が明らかにした。印面は9・2センチ四方、印面からの高さは7・8センチで重さは2・7キロ。宗家の蔵を整理した際に、長持の中から、ほかの印章と一緒に見つかった。米国立公文書館が所蔵する日米修好通商条約の批准書(1859年)などの印影と一致し、1857年に幕府が印章を製作させた記録とも符合することから実物と判断された。

 この印影は家茂、慶喜の2代にかけて英国やフランス、デンマークと結んだ条約の批准書や、文久遣欧使節の信任状などで確認できる。東京大史料編纂所の保谷徹教授(幕末維新史)は、「重要な外交文書に限って用いられ、家茂から慶喜に引き継がれた国のしるしというべきもの」と評価している。新潟県立歴史博物館(長岡市)で開かれる「徳川の栄華」展で9月15~30日に公開される。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20180820-OYT1T50008.html

幕末徳川家の銀印発見=日米修好通商条約で使用-記念財団

 江戸末期に徳川将軍家が外交文書に使用した銀印「経文緯武(けいぶんいぶ)」が見つかったと、徳川記念財団(東京都)が20日付で明らかにした。銀印は14代将軍家茂と15代将軍慶喜によって日米修好通商条約の批准書(1859年)などで使われており、日本外交史の貴重な史料といえる。

 財団によると、銀印は2017年に徳川宗家の蔵を整理した際、箱の中から見つかった。1857年に幕府が篆刻(てんこく)家の益田香遠らに命じて作らせたもので、縦横ともに9.2センチ、高さ7.8センチで重さは2.7キロ。
 「経文緯武」は文武両道を兼ね備えた理想的な政治を表す言葉で、条約の批准書や、文久遣欧使節を派遣した際の信任状などで将軍の署名と共に押印された。
 財団学芸員の岩立将史さんは「この印が押された文書は主に海外に残っており、今後調査・研究が進むのではないか」と話している。
 銀印は新潟県立歴史博物館(長岡市)で開かれる展覧会「徳川の栄華」で9月15~30日に公開される。(2018/08/20-12:42)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018082000485&g=soc

徳川埋蔵印、150年ぶり発見 通商条約批准書に押印

編集委員・宮代栄一
2018年8月20日05時01分

 1858年に結ばれた日米修好通商条約などに江戸幕府14代将軍徳川家茂の署名と共に押された幕府の公印「経文緯武(けいぶんいぶ)」。この印章が約150年ぶりに、東京都内の徳川宗家の蔵で見つかった。幕府が開国をへて欧米との通商関係へと踏み込んだ歴史的な瞬間を刻んだ、その実物だ。

 印は縦9・2センチ、横9・2センチの銀製で重さは2・7キロ。所蔵する徳川記念財団(徳川恒孝〈つねなり〉理事長)によると、約1年半前、宗家の庭にあった蔵を取り壊した際に、蔵の一番奥から調度品を収める長持(ながもち)に入った状態で見つかった。
https://www.asahi.com/articles/ASL8F7GPDL8FULZU00L.html?iref=pc_ss_date

3つ並べてみるとよく分かるが、
読売や時事ではひとっことも「埋蔵」とは書いてないのに
どうして朝日のタイトルには「埋蔵」…
思わず「遂にあのウソハッタリの徳川埋蔵金が出て来たの?」と思って記事を読んでがっくりした私のような人は多いはず(^^;)シクシク…また朝日に騙されたヽ(`Д´)ノ

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前編はこちらです

気になる方は、下の「つづきはこちら」をクリックお願いします。

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この記事は、以前今田新太郎関連で読んでいた『歴史と私』(伊藤隆)の中で紹介された
『学徒出陣の記録―あるグループの戦争体験』で紹介された回想録を素にしています。
※なお、『歴史と私』自体は拙ブログのこちらで紹介しています
※『学徒出陣の記録』も拙ブログのこちらで一度登場

何が印象的だったかというと、それまで見たことがある学徒出陣の回想録と言えば、あの有名すぎる『きけわだつみの声』など非戦・反戦色の強い物ばかりだったのですが、この回想はそういう先入観をぶっ飛ばすような強烈な内容でして。かといって好戦的かというとそうではない。もうともかく強烈、いや凶暴といった方が近いようなヾ(--;)
しかも書いた人が後に高名な歴史学者になったというのにも吹っ飛んだのでした。

ではご興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。


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本日、神戸市最高気温36度。大雨の後は連日この2週間ぐらいこの状態が続いて、カラカラでございます…どこの京都かと思いますねヾ(^^;)
※1 神戸市は平年35度越えることは珍しいです…
※2 一方京都市は連続最高気温40度近く(○。○)ついこの間、民泊規制で一斉予約キャンセルになった外人が怒ってたというニュースを聞いた記憶があるのだが、今頃この外人さん達、キャンセルになってラッキー!と思っているかも

一方で知床10度。…毎年この時期になると拙ブログで書いているような気がするが
この時期だけ道東に移住したいです(マジで)



さて。
本日7/24、祇園祭の後祭り(後の巡行)があったのですが、
同日に行われる予定だった花笠巡行が史上初の酷暑中止となったのが、どうもネットでは過大に取り上げられている様子。
応仁の乱レベルの問題になる猛暑
ぐらいなら許せる範囲なのだが
「京都の祇園祭、花笠巡行が猛暑で中止になったという英断」調べてみた人によると、なんと「応仁の乱」以来のもよう
※下線はばんない補足
暑すぎるから祇園祭の巡行が中止になったらしいんやけど、応仁の乱以来の中止って聞いて
※下線はばんない補足
となってくると、はっきりいって誤解です。
このネタの元になったのは、どうもこの方のツイートのようなのだが
京都の祇園祭、花笠巡行が猛暑で中止になったという英断を聞いて、祇園祭自体が中止になったことはないのかな?と調べたら一度だけあって、第二次世界大戦とかかな?と思ったら「応仁の乱」だった…。
https://mobile.twitter.com/wenslime/status/1021339809128669184?p=v#
※下線はばんない補足
「祇園祭そのものが中止になったのは」とちゃんと書いてくれているのに、みんな人の話しをちゃんと聞いてない(読んでない)んだなとしみじみと感じましたです、はい。
ちなみに上掲の記事のリツイートでも書かれていますが、祇園祭の巡行が中止になったのは分かっているので3回
(1)応仁の乱、文明の乱(1467年頃~1499年頃)
(2)第二次世界大戦(1943年~1946年)
(3)阪急京都線の地下化工事(大宮駅~河原町駅間、1962年) 

ちなみに、今回中止になった「花笠巡行」ですが、実は昭和40年(1965年)に始まった祇園祭の中では一番歴史の浅い行事_(。_゜)/でして、本日行われた祇園祭の後祭りが前祭りと統合されて「7/17の山鉾巡行」になったとき、後祭りの日を穴埋めするために考えられた行列なのでした。主要参加者は祇園の芸舞妓さんです…そりゃ暑さで中止になっても仕方ないか。

<おまけ>
このネタのリツイートで
京都人が「前の戦争」と言ったら第二次世界大戦じゃなくて応仁の乱を指す、って話がここでも立証された感
的なコメントが多数でまさしく大草原、と言うか、みんなこの井上章一氏の持ちネタヾ(^^;)好きなんですねえ…

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