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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
鮫島五郎三郎宗喬子孫伊集院蔵主家来上町ニ罷居候○嫡家二代刑部允家高三男四郎左衛門兼家九代ノ孫也○奉仕 日新公
○鮫島隼人宗能 宗喬子也 日新公御姫様樺山善久へ御縁与ニ付被召付御供仕樺山家へ参リ居永禄十年於馬越戦死
○鮫島与助宗直 宗能子也 ○樺山善久女子中務家久江御縁与ノ時御供ニテ佐土原江参リ騎馬御奉公仕候天正六年於高城戦死
○鮫島藤兵衛宗季「イ秀」 宗直子ナリ○佐土原江御奉公仕居候処佐土原公領ニ相成候節鹿児島ヘ参候処逼迫イタシ其以後町札ニ相成候ヨシ

曾祖父宗喬→島津忠良の家来
祖父宗能→忠良の次女・島津御隅に付けられ、そのまま樺山家家臣に
父宗直→樺山善久次女に付けられ、そのまま島津家久(中務大輔)家臣に
宗季→家久の息子・豊久が関ヶ原の合戦で戦死、浪人となって鹿児島に移るが、貧乏になって、町人に身を落としてしまった(ただし宗喬の説明では「伊集院蔵主の家来となった」ともある)
…と言う所でしょうか。
最初、お姫様の結婚のお付き家臣として付けられ、今度はその婚家先で、またまたお姫様のお付き家臣となるという、「本藩人物誌」読んでいても、こんな一家はここぐらいではないかと思います。しかし、そのお姫様の婚家先(島津家久・豊久家)の改易と共に零落してしまったという…悲劇。

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秋日同詠月前松和歌
           忠金
住の江や松ふく風も浪のをともひとつにすめるあきの夜の月
(中略)
「朱ニテ」「永禄八年之秋
(「薩藩旧記雑録」後編1-338)

「貴久公御譜中」
「在興国寺」

龍盛院領
 坪付
 浮免
田毛名之内
四十 松原湊
   以上
   永禄九年丙寅五月吉日
                  村田越前守
                        経定
                  伊集院右衛門大夫
                        忠金
                  川上左近将監
                        久朗
(「薩藩旧記雑録」後編1-333)


つまり、伊集院忠棟は永禄8年から9年の間に名乗りを付けたという事になるのかな。
しかしそうすると、あれ?系図に載っていたもう一つの名乗りはどうなるの???

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かつて表題のタイトルの映画が大ヒットしたことがありましてな(年がばれる)
まさかその主演の歌手がヤク中で死んでしまうとは…大阪城ホールにコンサートまで行った身としてはショック。


「本藩人物誌」には亀寿のボディガードをしたという人物が3人書かれている。

飯牟礼紀伊「介」光家慶長十六年国分高帳百五十六石余竜伯様へ御奉公国分江罷在候御他界前吉田六郎右衛門入道ヲ以被仰聞候ハ紀伊介伊地知勝左衛門儀ハ国分様江御遣セラレ候左候テ紀伊介末田主馬允皿良善助事ハ御行水之時参候間誰人ヲモヨセ付間敷由被仰付候間如御意其御涯之御奉公三人ニテ相勤候」其後琉球入ニ渡海国王下城ニテ平均ニ付光家ト貴島采女頼張両人右之御注進トシテ久高之命ヲ以鹿児島へ罷登候「外飯牟礼氏別冊

皿良善助貞資二郎二蔵○元亀三朱「イ二」年生○貞行養子実ハ弟ナリ兄戦死故家督 義久公へ奉仕御手自御銘被遊候宝刀被成下候○慶長十五年 龍伯公飯牟礼紀伊介御使ニテ貞資別テ奉公仕候ニ付御褒美可被仰出置東郷重位其座ニ罷在承知仕居候間御逝去後 家久公江右之旨言上仕候故一世之間年々十石ツヽ被成下候○ 龍伯公御他界前ニ吉田六郎右衛門入道被仰聞候ハ善助并末田主馬允事ハ此中 龍伯公江御奉公申上候通鹿児島へ可致御奉公候左候テ善助并主馬允飯牟礼紀伊介事ハ御行水ノ節参候テ誰人ヲモ寄セ付申間敷通被仰付其涯ノ御奉公三人ニテ相勤候事○寛永十五年島原へ御使トシテ被差越直ニ在陣仕候

※下線はばんない補足


上記記事によると、飯牟礼紀伊介光家、末田主馬允(諱不明)、皿良善助貞資の3名は、島津義久からの遺言として“国分様”こと島津亀寿の行水の際に身辺警護を務めたという事のようですな。
…つまり…
お前ら亀寿様のヌードを拝見したという事であるな、この不届きものめ!ヾ(^^;)
※この時代、入浴には湯帷子といううすーい浴衣みたいな物を着ますので、丸見えではありません(透けて見えるかも知れないけどね)


落ち着いたところで本題。
「本藩人物誌」には上記の通り飯牟礼光家と皿良貞資の記事があり、末田主馬允は項目が無くてどういう人物かがよく分からないのが残念ですが、飯牟礼、皿良の記事から「島津義久に早くから仕えていた家臣である」事だけは確実と思われます。

肝心の「亀寿の入浴ボディガードを指名した時期」ですが、飯牟礼記事、皿良記事とも「龍伯公御他界前」というのを明言しているので慶長16年(1611年)1月頃ではないかと思われます。
この後、時期がはっきりしませんが亀寿は鹿児島城から追放されて国分城にうつされるなど屈辱的な扱いを受けるのですが、義久にはそういうことが予見できていたのかも知れません。そして、もしかして亀寿が暗殺される可能性もかなり高いと思っていたのではないでしょうか。そのためのボディガード任命だったのでしょう。
なお、飯牟礼記事、皿良記事同様に「其涯ノ御奉公三人ニテ相勤候」(生涯に渡っての御奉公を三人にて相勤めた)とありますので、亀寿が死ぬまでこのボディーガードは続いたようです。

ところで、このボディガードを実際に命じた(義久の遺言を聞いて3人に命令した)人物「吉田六郎右衛門入道」ですが、「本藩人物誌」に出てくる吉田六郎右衛門清長入道半雪ではないかと思われます。祖父は吉田位清、祖母は島津忠良(義久の祖父)の姉なので、島津義久とは縁戚という事になります。天正6年(1578年)時点で26歳と書いてありますので、寛永4年(1627年)11月17日に死んだときには76歳と言うことでしょうか。朝鮮出兵にも行かされたり、関ヶ原の合戦の生き残り組であったりと結構タフな人だったようです。

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石原莞爾ネタをやっていて、何故か一向宗の事も思い出す。というのも、莞爾が熱烈に信仰していた日蓮宗が一番非難していた…と言うより罵倒していたヾ(--;)のが浄土真宗こと一向宗なのである。
※なお、どこぞのサイトか本で見たのですが、現在の浄土真宗は「一向宗」と呼ばれることを痛く嫌っておられるようですのでご注意

この一向宗を嫌っていた人たちが他にもいた…そう、私が拙HP+当ブログでおいしくネタにさせて頂いている戦国島津氏の皆様である!ヾ(^^;)嫌った理由は諸説あって定説がないようだが…

そんななか、浄土真宗本願寺系(西本願寺派)のリーフレットを入手。
実は家人の宗派がこれで、先日家内に不幸がありまして…(をい) ※かくいうばんないの実家の宗派は日蓮宗(汗)
読んでみると興味深い。謹んで全文掲載してみます。
白骨のご文章(現代語訳)
さて、人間の寄る辺ない有様を心を静めて見つめれば、「およそはかないものとは、人がこの世に生を受けてから去っていくまでの始終終、幻のような一生である。だから、人が一万年の寿命を受けたとはいまだかつて聞いたことがない。一生は過ぎやすいものである。
末世の今に至っては、いったい誰が100年の姿形を保ち得ようか。私が先か人が先か、命の終わりを迎えるのは今日ともしれず、明日かも知れない。
先立たれる人、先立つ人、それは草木の根元の雫がしたたり落ちるよりも、葉先の露が散りゆくよりも多く、人の死の前後はうかがい知ることが出来ない」と先人は言っています。
ですから、朝には美しい生き生きとした顔をしていても、夕べには白骨と化してしまう身です。無常の風がさっと吹いたなら、二つの目は忽ちに閉じて、命の息は永遠に絶えてしまいます。
美しい顔も空しく変わり果て、桃李のような愛らしい姿も失われてしまったなら、親族達が集まって嘆き悲しんでも、もはや何の甲斐もありません。
いつまでもそうしてはいられないので、野に送って荼毘に付し、夜半の煙となりはてれば、ただ白骨だけが残るのみです。
あわれとはいっても、なお言い足りません。人間の儚いことと言えば、老いては死に、また若くても死ぬこの世ですから、どなたも早く浄土往生の一大事に真剣に心を向けて、阿弥陀仏にお従いして、お念仏を申すべきです
あなかしこあなかしこ


…これは島津忠良が嫌うのも分かるような気がする。だって最後の段落が現実逃避っぽく読めませんか?
そして、それゆえに環境の厳しい鹿児島藩の農民達がすがったというのも…

なお、ばんないの母方実家(鹿児島県民)もこの浄土真宗西本願寺派の檀家みたいです_(。_゜)/まあようするに明治維新後の廃仏毀釈後の浄土真宗の絨毯爆撃に感化されてしまった多数派カゴシマンと言うことで(^^;)

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前の話こちら

「本藩人物誌」より

島津右衛門大夫久定 初定久虎次丸三郎九郎 子孫吉利右平太 ○吉利家二代治部少輔忠将子(以下略)


「薩藩旧記雑録」後編1-90にも系図の略図が出てきて、同じように「久定 右衛門大夫」と書いてある。

忠棟のお舅さんが右衛門大夫か…関係あるのかな ちなみに義兄・吉利忠澄は狩野介→下総守です。

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