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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
6月
1日 <空欄>
2日 渋谷対馬守(※1)へ対面されました
3日 <空欄>
4日 <空欄>
5日 秀存坊(※2)に申し受けられました(※3)
6日 <空欄>
7日 祇園(※4)を見物されました。文閑寺(※5)へ紹巴・昌叱と一緒に立ち寄られ、いろいろお心配りされました
8日 <空欄>
9日 民部卿法印(※6)の宿所に用を請けに行きました(※7)、一緒に行った紹巴・昌叱と終日パーティー。
10日 宗与(※8)へ対面されました。この日東山に青蓮院様(※9)が来られ、使者に色紙を書いてもらうようお願いしました
11日 龍山様(※10)の所に参上。 
12日 <空欄>
13日 西方寺(※11)をご見物、あわせて桂所(※12)に行かれてお歌を読まれました
14日 早朝、龍山様の所へ参上され、その後すぐ祇園見物(※13)されました
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17日 <空欄>
18日 清水(※14)へお参りされました。駕籠でお帰りの時、桑名(※15)に申し受けられました(※16)
19日 龍山様の所へ参上。
20日 ただす(※17)へお参り。歳阿弥(※18)・後藤廣乗(※19)が来ました。
21日 懐旧の連歌を紹巴の家で興行されました
22日 巳刻、大坂に御下向されました。が、私は同行せず京都に逗留しましたので日記は暫く休みです
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注1:不明
注2:不明
注3:申請内容不明
注4:祇園祭か?
注5:不明
注6:前田玄以
注7:何の用だったか不明
注8:不明
注9:尊朝親王
注10:近衛前久
注11:おそらく現在の西方寺(苔寺)と同一か
注12:詳しくは不明、近衛家の桂の別荘でもあったか?
注13:時節から見て祇園祭見物か
注14:清水寺か
注15:不明
注16:用件内容不明
注17:下鴨神社か
注18:不明、能楽師か
注19:不明、後の後藤庄三郎家の親族・金工師か?

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5月
1日 賀茂の足揃え(※1)を見物するので外出されました。途中で松下殿(※2)に出会いました、お酒をもらったよ。
2日 <空欄>
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5日 加茂の競馬(※1)を御覧になるために外出。
6日 この日紹巴(※3)がお宿に来てお酒と肴を持ってきてくれたよ
7日 <空欄>
8日 福崎新兵衛尉(※4)が道正宿(※5)でご飯をごちそうしてくれました。ダンサーズ(※6)が大勢来て、夜になるまで宴会でした。
9日 <空欄>
10日 この日国元に帰る人が多くやってきました(※7)
11日 <空欄>
12日 紹巴から十七日の発句に誘われました
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15日 民部卿法印(※8)へ太守様(※9)が招待してお茶湯の接待をしました
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17日 紹巴のところで連歌の興行がありました。酉刻に帰ってきていたので(※10)、宴会は暮れ頃までありました。
18日 この日、紹巴へ縮緬一反をプレゼントしました
19日 <空欄>
20日 東山の龍山様(※11)の所に参上しました。夜になってからカゴで帰宅
21日 東山から使者がやってきました。また御前(※9)からも使者を差し上げました
     この日、龍山様のお使いは便りの他にお手紙(※12)、また和歌もあり、更にお願いしていたご返歌もありました。
22日 <空欄>
23日 この日、香野五郎次郎(※13)などがやってきて、囃子を演奏しました
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26日 <空欄>
27日 紹巴が太守様(※9)を連歌興行に招待したよ。発句は太守様がされたよ。
28日 紹巴が昨日のお礼の使者を送ってきたよ
29日 <空欄>
30日 <空欄>

※1:賀茂祭り(現在の葵祭)関連の行事か
※2:該当人物不明
※3:里村紹巴 この後頻出する。
※4:該当人物不明
※5:道正宿という宿場があったのか或いは別の意味なのか、不明
※6:本文「乱舞衆」
※7:本文「此日下衆多々有」
※8:前田玄以
※9:島津義久
※10:本文「酉刻ニ道行」
※11:近衛前久
※12:便りとお文(手紙)は異なる物らしい
※13:幸正能との混同か

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卯月(4月)
1日 昨日のお礼として青蓮院様(※1)に使者を送り書嘉軸を送りました。東山(※2)からも使者がありました。大谷治部卿殿(※3)からも書状がありました。
2日 大坂へ向かいました。鳥羽から船を使いました。酉刻に到着しました。
3日 <空欄>
4日 金春大夫(※4)の勧進能を見ました、お芝居に幸五郎次郎(※5)・金春次郎兵衛(※6)の二人からお食事とお酒がプレゼントされましたので、大夫へ長刀をプレゼントしました。また大蔵貳介でした(※7)、花幸五郎次郎(※8)、金春又次郎(※9)へも花をプレゼントしました。
5日 忠豊(※10)殿が大和から来たよ(※11)
6日 <空欄>
7日 <空欄>
8日 この晩、秋月さんからきました(※12)
9日 三清(※13)が高野山にお参りに出発、岩縫(※14)、西近助(※15)、家村源(※16)、八木助四郎(※17)も同行
10日 忠豊殿とご対面、夜まで宴会
11日 吉田清右衛門(※18)方まで朝ご飯を食べに行かれました。吉田清右衛門はお礼のため門まで来ました。(これに対して)御前(※19)はお手紙にてお返事されました(※20)
12日 高野山から三清が帰ってきました。坂まで迎えに行ったよ。
13日 東国からの伝達があったよ。大和大納言(※21)殿へ(の)御朱印状の写しが京都から届いたよ
14日 住吉で今春大夫の能を観賞するため、上様(※19)がおいでになられました。
15日 <空欄>
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18日 <空欄>
19日 川田助七郎(※22)が元服しました。
20日 住吉に上様(※19)がおいでになられ、桟敷三所(※23)を構えられ、3回のお振る舞いをされました。帰宅は夜になってから。
21日 <空欄>
22日 <空欄>
23日 <空欄>
24日 岩切縫殿助がご飯をごちそうしてくれました(※24)
25日 吉岡蔵人(※25)が、高崎(※26)へ御使者として下向しました
26日 <空欄>
27日 田辺屋五郎兵衛尉(※27)の所へご訪問されました
28日 師法印(※28)、松浦(※29)、吉田清三(※30)3人がお礼にやってきました。お酒・肴を持ってこさせて終日宴会。
29日 大坂を辰刻に出発、京都に酉刻に到着。

※1:青連院門跡尊朝か。参照こちら
※2:近衛前久のこと
※3:大谷吉継のこと
※4:六十二世宗家の金春安照か
※5:幸正能(天文8(1539)-寛永3(1626))、能の金剛流小鼓方
※6:該当人物不明
※7:原文「又大蔵貳介也」
※8:前出の幸正能のママありか
※9:原文「今春又次郎」、該当人物不明
※10:島津豊久のこと
※11:大和にいる理由は今のところ不明
※12:原文「秋月方被参」、この当時の秋月氏当主は秋月種長。何が来たのかは不明
※13:本田親貞のこと
※14:岩村縫殿助か?
※15:不明
※16:家村源左衛門か?
※17:八木豊信か?
※18:該当人物不明
※19:島津義久のこと
※20:原文「御状にて被仰分」
※21:豊臣秀長のこと
※22:該当人物不明
※23:何に該当するのか不明 14日の金春大夫の能見物と関係有りか
※24:本文「御飯被上」
※25:該当人物不明
※26:該当場所不明
※27:おそらく関ヶ原の合戦時に島津義弘をかくまったという田辺屋道与の関係者か
※28:細川幽斎か?
※29:松浦久信か?
※30:該当人物不明

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天正18年3月から12月まで日記

天正18 3月日 ここに記す。
1日 関白様(※1)が(小田原に向けて)ご出馬されたので、粟田口で見物したよ(見送ったんじゃないのかよ)
   その後、細川幽斎と一緒に能をやったよ
2日 里村紹巴に御礼のお使いを送ったよ
3日 御家門様(※2)がお越しになられたよ。南蛮人を呼んできて見物会したよ。
   この日、市掃兵衛尉がお酒を送ってくれたよ。
4日 東山(※3)へ行って、龍山(※4)様にお礼したよ。戌の刻に馬で帰ってきました。
5日 早朝、東山に昨日のお礼のお手紙を送りました。この日、御家門様にもお礼しました。
6日 関東へ山のように手紙送ったよ(※5)。その御使者には伊地知民部大輔を指名しました。この日は(伊勢への)出発無し。
6日 伊勢参りに出発する予定だったけど、天気悪かったので中止!
7日 (伊集院)抱節、本因(本田因幡守)に思う所をお話になられました。
8日 本田因幡守がお国元に(義久の)考えを伝達するために下向しました。
?日 お宿に里村紹巴が来てくれました。お酒とおつまみ持ってきてくれたよ。
    この日、内裏のお花を見物した方がいいよと紹巴が言ったので、これを見物しました(原文「此日内裏之花御覧候へと紹巴御異見ニて、御覧有之、」)
20日 伊勢から帰ってきました。詳細は別紙にて(※6)
21日 この晩、渋谷対馬守からお酒をプレゼントしてもらいました
22日 北郷讃岐守からお酒をプレゼントしてもらいました
23日 大和大納言殿(※7)にお礼を申し上げに行きました
24日 桑山修理大夫殿(※8)に朝食(※9)、それから玄貳法印(※10)へお礼、また大政所・小政(※11)へお手紙、この晩家来(原文「国衆」)が先日の坂まで迎えに来ると申し上げました、深夜まで無礼講
25日 毛利殿(※12)からお使いが来ました
26日 内裏で能見物、日吉大夫が演じました
27日 千本(※13)の花を龍山様の御供をして見物したよ、それから金閣寺に行き、いろいろお心配りされました。ダンサー(原文「乱舞衆」)など読んできて、連歌会もやったよ。帰ってきたのは夜になってから。
28日 <空欄>
29日 東山で青蓮院様へお礼を申し上げに行きました。先に点心があり、その後にご飯がありました(※14)。尊円親王(※15)の御真筆を沢山見たよ。大和守殿(※16)もそこにやってきたよ。

※1:もちろん豊臣秀吉のことである
※2:近衛信尹のことと思われる
※3:おそらく銀閣寺のこと 拙ブログのこの記事も参照されたし。
※4:近衛前久のこと
※5:おそらく小田原出陣中の島津久保や家臣に送ったと思われる
※6:…ということで義久の伊勢見物は記録がないようです…
※7:もちろん豊臣秀長のこと
※8:豊臣秀長の家臣・桑山重晴のこと
※9:※「薩藩旧記雑録」後編2-705によれば、桑山修理大夫で朝食 と逆の様子なのだが
※10:前田玄似か?
※11:「小政」が誰に当たるか不明
※12:毛利輝元と思われる
※13:たぶん地名だと思われる。現在も京都に千本通があるのでその近辺か?
※14:点心とご飯は別物だったらしい
※15:尊円法親王(1298~1356)のこと
※16:誰か不明

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あけましておめでとうございます。
本年もまともに更新できないブログ+拙HPですがよろしくお願い申し上げます。


これからしばらく、場持たせということで(ヲイ)
「薩藩旧記雑録」後編2-715 「天正拾八年自三月至十二月御日記」こと
義久君上洛日記(パクリでスイマセン…)を
原文で打つと変換が面倒なので_(。_゜)/さっくり訳してご紹介したいと思います。

なんで紹介しようと思ったかというと、
この後かなり大量?に義久の和歌が出てきて、その状況を理解するのにこの日記が役立ったからです。
読んでいくとなかなかつっこみ所がヾ(--;)

ということで本日は前置きまで。<(_ _)>

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