拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
近所の本屋の店頭で表題の本を見かけました。『軍師官兵衛』の便乗本のようです。
手にとって目次を見てビックリ。なんと島津亀寿が一項目で取り上げられています。こんな事数年前ではあり得なかった事態です。…この何年かの間に拙HPとか拙ブログでいろいろ書いていたりとか、桐野作人氏のブログで暴れてみたりとかヾ(--;)、2ちゃんねる発のブログ「戦国ちょっといい話悪い話」でかなりネタにされて亀寿の認知度も上がってきたと考えて良いのでしょうか。
私はこのムックに書いてあるような「島津亀寿は単なる悲劇のお姫様」…とは考えていないのですが、誰それ?状態だった以前と違って、お市の方とかに並んで単独扱いされるほどに認知されるようになったのは喜ばしいことです。
でも書いてある内容が拙ブログとか「戦国いい話悪い話」とか桐野さんのブログのそのまま書きうつ…ゲフンゲフンヾ(^^;)
手にとって目次を見てビックリ。なんと島津亀寿が一項目で取り上げられています。こんな事数年前ではあり得なかった事態です。…この何年かの間に拙HPとか拙ブログでいろいろ書いていたりとか、桐野作人氏のブログで暴れてみたりとかヾ(--;)、2ちゃんねる発のブログ「戦国ちょっといい話悪い話」でかなりネタにされて亀寿の認知度も上がってきたと考えて良いのでしょうか。
私はこのムックに書いてあるような「島津亀寿は単なる悲劇のお姫様」…とは考えていないのですが、誰それ?状態だった以前と違って、お市の方とかに並んで単独扱いされるほどに認知されるようになったのは喜ばしいことです。
でも書いてある内容が拙ブログとか「戦国いい話悪い話」とか桐野さんのブログのそのまま書きうつ…ゲフンゲフンヾ(^^;)
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BSジャパンで放送されている「テレビ日経大人のOFF」の1/14放送分にて紹介されていた山梨県の温泉・慶雲館。
この温泉、なんと「世界最古の宿泊施設」としてギネスブックにも認定され、そしてその家伝が私にとっては非常に興味深い。
なお、タイトルが「「藤原」真人を~」となっているのは、藤原姓が誕生したのは669年。真人は3年前の666年に亡くなっており「藤原」姓になってないので各個付にしたというわけです。あ、でもこの伝説では更に先の705年まで生きてることになってるのか。
実はこの「藤原真人」という人物に非常に興味があって、ネットを始めた当初、彼の伝承がどれくらいあるのかというのを無謀にもネット検索で調べたことがある。今から約15年ほど前で、伝承を持つ寺は12か所。特に神戸市西部と奈良県桜井市の談山神社周辺に集中している傾向があった。
ところが今回のこの慶雲館は遠く離れた山梨県。しかも「藤原」真人は結婚までしているときた。
余りにも傾向とかけ離れた伝承。
しかも聖徳太子のような全国的メジャーな人物なら変形もわからんでもないがヾ(^^;)「藤原」真人みたいなどマイナーな人物がネタにされるとは…。
この伝説、学術的に検討は加えられているのだろうか。気になる。え?お前がやれ?!…と言われても手が回らん!ヾ(--;)
この温泉、なんと「世界最古の宿泊施設」としてギネスブックにも認定され、そしてその家伝が私にとっては非常に興味深い。
その昔、藤原真人がこの地方に流浪し「柳が島」に住んでいました。真人は土地の娘をめとり双児の兄弟をもうけました。「藤原真人」については、拙ブログを見ている人は知らない方が多いと思われるので、wikipediaのこちら参照。なんとあの藤原(中臣)鎌足の息子。実は坊様なのだよ。飛鳥時代にまだ浄土真宗はないはずなんだが、なんで結婚してるんだろヾ(^^;)
名を兄が四郎長磨、弟を六郎寿磨と名づけたといいます。
ある日、真人は狩猟の途中、湯川のほとりにさしかかった時、岩の間より盛んに噴き出している熱湯を偶然に発見したのです。
試みに入ってみたところ、神気爽快、四肢軽快今までの労れもすっかり治ってしまったので大変驚き、また喜びました。
その後、真人は険しい山の中に道を開き、湯つぼを造るなどして、「近隣に隠れた名湯あり」とまで諸村に伝えられるようになりました。
文武天皇の慶雲二年(西暦七○五年)三月のことでありました。
これが、西山温泉の起源と伝えられています。
http://www.keiunkan.co.jp/07_history/index.html
※下線は当方補足
なお、タイトルが「「藤原」真人を~」となっているのは、藤原姓が誕生したのは669年。真人は3年前の666年に亡くなっており「藤原」姓になってないので各個付にしたというわけです。あ、でもこの伝説では更に先の705年まで生きてることになってるのか。
実はこの「藤原真人」という人物に非常に興味があって、ネットを始めた当初、彼の伝承がどれくらいあるのかというのを無謀にもネット検索で調べたことがある。今から約15年ほど前で、伝承を持つ寺は12か所。特に神戸市西部と奈良県桜井市の談山神社周辺に集中している傾向があった。
ところが今回のこの慶雲館は遠く離れた山梨県。しかも「藤原」真人は結婚までしているときた。
余りにも傾向とかけ離れた伝承。
しかも聖徳太子のような全国的メジャーな人物なら変形もわからんでもないがヾ(^^;)「藤原」真人みたいなどマイナーな人物がネタにされるとは…。
この伝説、学術的に検討は加えられているのだろうか。気になる。え?お前がやれ?!…と言われても手が回らん!ヾ(--;)
1/16にお亡くなりに為られたそうです。享年91歳。
40代以上の人にはその名前に記憶のある人が多いのではないでしょうか。
彼は太平洋戦争からの奇跡の生還者第2号でした。
…つまり、第2号と言うことはその前に第1号がいたと言うことで、その人が横井庄一(故人)なわけです。
横井氏も小野田氏も、終戦から30年近くの歳月を、当然電気ガス水道のインフラもなく、それどころか食料調達も困難かつ蚊とかetc害虫がわんさかいる中を、-更に仲間達が次々と亡くなる中-壮絶なバトルを経て助かったという…まあ陳腐なまとめをするとこういう事になります。
ところが。
小野田氏の"戦後"は幸せな物にはなりませんでした。
一兵卒だった横井氏に対し、将校、しかもあの悪名高い陸軍中野学校にも籍を置いていたという経歴があった小野田氏に対しては帰国後一変して非難が集中、すさまじいバッシングに耐えられなくなった小野田氏は、結局石もて終われるようにブラジルに移住せざるを得なくなったのでした…。
いくつかTVニュースやネットでのニュースを見た限りですが、この経緯について触れた物は一本もありませんでした。というより、触れられなかったんでしょうね。バッシングの片棒を担いでいたのはマスコミだったのですから。
その後、ブラジルに移住した小野田氏のことは余り話題になることはなかったのですが、それがある頃から急に本人の方から積極的に表に出られるようになったように思います。おそらく昭和から平成に年号が変わった辺りからでしょうか。小野田氏の発言を見てみると、そこには戦後40年以上が経ってかつてのことをすっかり忘れてしまった日本人に関して今後に対する激しい危機感があったのではないかと思います。また逆に、日本の方でも世代交代が進んで戦争を知らない人が増えたことで、かえって小野田氏を受け入れられる余地が産まれたのではないかと思います。
ニュースを見ると、なんと御年90歳でもブラジルと日本を往復されていたとのこと。驚嘆すべき体力です。
こうして貴重な体験者がまたあの世に旅立たれました。
さて本日は阪神大震災から19年目を迎えます。あの日の揺れとか鮮明に覚えている私としては、本当に19年も経ったのかという驚きが先に立ちます。そして20代前半から下の人はあの地震の怖さを全く知らないという…
地元のローカルニュースでは「教訓の風化」を心配する報道が多くなっていますが、実経験がない人が増えると、風化をさせないのはかなり難しいのではとも日々の生活の中で感じます。
今田さんをネタにしてなかったら、小野田氏のこともこのように記事にすることはなかったでしょう。ここにアドレスは敢えて書きませんが、ある今田さんの部下が小野田氏とも親しくされていたことが紹介されていました。その方もご健在であれば90歳ですが…
記憶の風化を考えつつ、小野田氏と阪神大震災6434人の犠牲者の皆様の冥福を祈ります。
40代以上の人にはその名前に記憶のある人が多いのではないでしょうか。
彼は太平洋戦争からの奇跡の生還者第2号でした。
…つまり、第2号と言うことはその前に第1号がいたと言うことで、その人が横井庄一(故人)なわけです。
横井氏も小野田氏も、終戦から30年近くの歳月を、当然電気ガス水道のインフラもなく、それどころか食料調達も困難かつ蚊とかetc害虫がわんさかいる中を、-更に仲間達が次々と亡くなる中-壮絶なバトルを経て助かったという…まあ陳腐なまとめをするとこういう事になります。
ところが。
小野田氏の"戦後"は幸せな物にはなりませんでした。
一兵卒だった横井氏に対し、将校、しかもあの悪名高い陸軍中野学校にも籍を置いていたという経歴があった小野田氏に対しては帰国後一変して非難が集中、すさまじいバッシングに耐えられなくなった小野田氏は、結局石もて終われるようにブラジルに移住せざるを得なくなったのでした…。
いくつかTVニュースやネットでのニュースを見た限りですが、この経緯について触れた物は一本もありませんでした。というより、触れられなかったんでしょうね。バッシングの片棒を担いでいたのはマスコミだったのですから。
その後、ブラジルに移住した小野田氏のことは余り話題になることはなかったのですが、それがある頃から急に本人の方から積極的に表に出られるようになったように思います。おそらく昭和から平成に年号が変わった辺りからでしょうか。小野田氏の発言を見てみると、そこには戦後40年以上が経ってかつてのことをすっかり忘れてしまった日本人に関して今後に対する激しい危機感があったのではないかと思います。また逆に、日本の方でも世代交代が進んで戦争を知らない人が増えたことで、かえって小野田氏を受け入れられる余地が産まれたのではないかと思います。
ニュースを見ると、なんと御年90歳でもブラジルと日本を往復されていたとのこと。驚嘆すべき体力です。
こうして貴重な体験者がまたあの世に旅立たれました。
さて本日は阪神大震災から19年目を迎えます。あの日の揺れとか鮮明に覚えている私としては、本当に19年も経ったのかという驚きが先に立ちます。そして20代前半から下の人はあの地震の怖さを全く知らないという…
地元のローカルニュースでは「教訓の風化」を心配する報道が多くなっていますが、実経験がない人が増えると、風化をさせないのはかなり難しいのではとも日々の生活の中で感じます。
今田さんをネタにしてなかったら、小野田氏のこともこのように記事にすることはなかったでしょう。ここにアドレスは敢えて書きませんが、ある今田さんの部下が小野田氏とも親しくされていたことが紹介されていました。その方もご健在であれば90歳ですが…
記憶の風化を考えつつ、小野田氏と阪神大震災6434人の犠牲者の皆様の冥福を祈ります。
今回取り上げるのは、石原莞爾が入れ込んで直属部下にした物の、蘆構橋事件後に真っ向から対立、莞爾を事実上中央から追い出してしまった、豪腕さんの回想録です。
…A級戦犯の一人といった方が通りがよいですかね…
実は今回入手した芙蓉書房版(旧版)のほうは、合間合間に部下の回想録や証言が挟まっています。めっちゃ読みにくい。最近 武藤の回想録と妻の後書きのみで構成された文庫本(中公文庫版)が出たようですので、武藤の肉声だけを聞きたい方はこちらの方をお奨めします。安いし(^^;)
トータルでざっと見た感想ですが「非常に頭の良かった方なんだな」と言うのが最初の印象です。
特に最後の方に掲載された「巣鴨日記」は当時の日本の世相を醒めた目で観察した記録でもありますが、「あんたは予言者か」と言う位ズバズバとその後の日本の行方を当てています。…そして死刑判決後、家族に宛てた日記は涙無くしては読めない。
次に感じた印象は「相手の感情を思いやらずにストレートに出てしまう」という欠点です。どうも本人も自覚していたようですが(部下に「思わずきついことを言うこともあるが」と言っていたらしい)最後まで治らんかったようです。持って生まれた性格だったのかな。私的にはこれが原因となって武藤を最悪の運命に持って行ったように感じました。
ではまいる。
これも長い本なので、要点を箇条書きで
…A級戦犯の一人といった方が通りがよいですかね…
実は今回入手した芙蓉書房版(旧版)のほうは、合間合間に部下の回想録や証言が挟まっています。めっちゃ読みにくい。最近 武藤の回想録と妻の後書きのみで構成された文庫本(中公文庫版)が出たようですので、武藤の肉声だけを聞きたい方はこちらの方をお奨めします。安いし(^^;)
トータルでざっと見た感想ですが「非常に頭の良かった方なんだな」と言うのが最初の印象です。
特に最後の方に掲載された「巣鴨日記」は当時の日本の世相を醒めた目で観察した記録でもありますが、「あんたは予言者か」と言う位ズバズバとその後の日本の行方を当てています。…そして死刑判決後、家族に宛てた日記は涙無くしては読めない。
次に感じた印象は「相手の感情を思いやらずにストレートに出てしまう」という欠点です。どうも本人も自覚していたようですが(部下に「思わずきついことを言うこともあるが」と言っていたらしい)最後まで治らんかったようです。持って生まれた性格だったのかな。私的にはこれが原因となって武藤を最悪の運命に持って行ったように感じました。
ではまいる。
これも長い本なので、要点を箇条書きで
放送から2回もたってこんな記事建ててみたりする(^^;)
感想を一言
「どうも『天地人』をもう一度見てるような気が…」ヾ(^^;)
要は演出に工夫がないんでしょう。
キャストは今のところまずくはないと思うんで(平均年齢が高いような気はするけど…)改善求む。
他いろいろ
感想を一言
「どうも『天地人』をもう一度見てるような気が…」ヾ(^^;)
要は演出に工夫がないんでしょう。
キャストは今のところまずくはないと思うんで(平均年齢が高いような気はするけど…)改善求む。
他いろいろ

