拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
『建国大学の研究』で、
東大教授だった平泉を建国大学学長として引っこ抜こうとした辻政信に対し、
「今平泉先生が国外に行ったら(残った若手将校の教育は)どうするの?」
と止めに入ったのが今田らしい、と言う話は聞いていた。
ところが、久しぶりにGoogleで「今田新太郎」で検索してみると、何とその平泉自身が今田の想い出を語った記録があった。最近UPされたんだろうな…
ではちょっと紹介してみる。
東大教授だった平泉を建国大学学長として引っこ抜こうとした辻政信に対し、
「今平泉先生が国外に行ったら(残った若手将校の教育は)どうするの?」
と止めに入ったのが今田らしい、と言う話は聞いていた。
ところが、久しぶりにGoogleで「今田新太郎」で検索してみると、何とその平泉自身が今田の想い出を語った記録があった。最近UPされたんだろうな…
ではちょっと紹介してみる。
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以前、偶然に今田新太郎が皇道派の首領・真崎甚三郎とつながりがあることを知り、ショックだったことはこの記事に書いた。
しかも真崎は今田に対してめちゃくちゃ高評価。おい真崎よ、今田は当時から統制派将校の代表格と書かれているんだぞ…
ところが。
この真崎と今田のつながりは、なんと2.26事件の後も続いていたらしい。
しかも真崎は今田に対してめちゃくちゃ高評価。おい真崎よ、今田は当時から統制派将校の代表格と書かれているんだぞ…
ところが。
この真崎と今田のつながりは、なんと2.26事件の後も続いていたらしい。
今回ご紹介するのは読売新聞社から昭和40年代に出された『昭和史の天皇』です。地元の図書館の検索で見たら何と30巻もあるみたい。しかも更にこんなに重量級の本なのに索引がないようだ。
これは許せぬ読売。ナベツネは責任を取れ!ヾ(^^;)
…で、これまたネット検索で今田新太郎の記述があることを見つけたのでした。第25巻になります。
もしかしたら他の巻にも今田記述があるのかも知れないのですが、上記の通り索引がないので探すのは諦めました。ごめんなさいヾ(--;)
ではまいる。
…って、あれ?今田の話は、何とあの片倉衷の談話で出てくるようです。
これは許せぬ読売。ナベツネは責任を取れ!ヾ(^^;)
…で、これまたネット検索で今田新太郎の記述があることを見つけたのでした。第25巻になります。
もしかしたら他の巻にも今田記述があるのかも知れないのですが、上記の通り索引がないので探すのは諦めました。ごめんなさいヾ(--;)
ではまいる。
…って、あれ?今田の話は、何とあの片倉衷の談話で出てくるようです。
今日ご紹介させて頂く本は『悪政・銃声・乱世』実はサブタイトルに「児玉誉士夫自伝」とついております(○。○)
…私の年代にとっては児玉誉士夫っつーと「ロッキード事件の児玉さん」と言うイメージしかないんだけどなあ(これで私の年齢が分かろう物である_| ̄|○)
本をざっと見た経歴によると
・福島県二本松出身 …どうもこの人も東条英機同様「とーほぐの怨念」を背負って成長したようです…ちなみに祖父は二本松藩士だったよう
・家は大変な貧困にあえいでおり、母も早世、あちこちに養子にやられたり丁稚奉公に出されたりしてかなり苦労したようです
・その中で財閥や上流階級ばっかり儲かる世の中に疑問を感じ、左翼運動に入るが…赤旗振ってソビエトソビエトばっかり唱えているという行動に疑問が出てくる
・同じ下層階級を救おうという思想でも北一輝の方に光を感じて、そちらに身を投じることに
・…が、その後は警察と対立して始終牢獄にぶち込まれる日々(^^;) 児玉曰く「昭和の初期あたりは右翼の方が目立ってたためか、特高は左翼より右翼の方に締め付け厳しかったよ」(p.61)
…まあ、乱暴なまとめですが、これが児玉の前半生でした。
タイトルは戦前(→悪政)、戦中(→銃声)、乱世(→戦後)を表しているとのこと(林房雄前書き)。
ネット検索で、この本に今田の話が載ってるらしいと知ったときはビックリしました。
ではその該当の場所を参る。
…でも、今田が出ている箇所って1箇所しかなかった…_| ̄|○
・かつて、東京世田谷の~:同本のp.59の記述によると、昭和6年3月中旬頃、大川周明主催の「行地社」を中心としていくつかの国家主義団体が統合し「全日本愛国者共同闘争協議会」成る団体を結成したのだが、その中から50人の若者が選抜されて"青年前衛隊"を結成し、昭和初期の数々の騒動に関わっていく(児玉曰く、血盟団事件、5.15事件、神兵隊事件、2.26事件に関わった若者の多くがこの青年前衛隊に所属していたことがあったという)。この青年前衛隊の隊長が狩野敏、副長が奥戸足百だったという。
さて、上の文章で注目点があります。
詳しい説明は「つづきはこちら」をクリック
…私の年代にとっては児玉誉士夫っつーと「ロッキード事件の児玉さん」と言うイメージしかないんだけどなあ(これで私の年齢が分かろう物である_| ̄|○)
本をざっと見た経歴によると
・福島県二本松出身 …どうもこの人も東条英機同様「とーほぐの怨念」を背負って成長したようです…ちなみに祖父は二本松藩士だったよう
・家は大変な貧困にあえいでおり、母も早世、あちこちに養子にやられたり丁稚奉公に出されたりしてかなり苦労したようです
・その中で財閥や上流階級ばっかり儲かる世の中に疑問を感じ、左翼運動に入るが…赤旗振ってソビエトソビエトばっかり唱えているという行動に疑問が出てくる
・同じ下層階級を救おうという思想でも北一輝の方に光を感じて、そちらに身を投じることに
・…が、その後は警察と対立して始終牢獄にぶち込まれる日々(^^;) 児玉曰く「昭和の初期あたりは右翼の方が目立ってたためか、特高は左翼より右翼の方に締め付け厳しかったよ」(p.61)
…まあ、乱暴なまとめですが、これが児玉の前半生でした。
タイトルは戦前(→悪政)、戦中(→銃声)、乱世(→戦後)を表しているとのこと(林房雄前書き)。
ネット検索で、この本に今田の話が載ってるらしいと知ったときはビックリしました。
ではその該当の場所を参る。
…でも、今田が出ている箇所って1箇所しかなかった…_| ̄|○
だが、じぶんはここで、満州事変の発端と言うべき、例の"柳条溝の武力衝突"の首謀者が誰であるかを述べる必要はないと思う。ただこのさい、本事変にかんけいした同志について少しばかり言うと、かつて、東京世田谷の松陰神社社頭でおこなわれた、「青年前衛隊」の結盟式に参加した片岡駿及び奥戸足百(たるお)の諸君が、そのご満州へおもむき、青いシナ服を着て、満州人とも見られるすがたに変装し、今田新太郎大尉らと一しょになって、決死的な働きをしていたことを述べておこう。<少しだけ補足>
p.69
・かつて、東京世田谷の~:同本のp.59の記述によると、昭和6年3月中旬頃、大川周明主催の「行地社」を中心としていくつかの国家主義団体が統合し「全日本愛国者共同闘争協議会」成る団体を結成したのだが、その中から50人の若者が選抜されて"青年前衛隊"を結成し、昭和初期の数々の騒動に関わっていく(児玉曰く、血盟団事件、5.15事件、神兵隊事件、2.26事件に関わった若者の多くがこの青年前衛隊に所属していたことがあったという)。この青年前衛隊の隊長が狩野敏、副長が奥戸足百だったという。
さて、上の文章で注目点があります。
詳しい説明は「つづきはこちら」をクリック
皆様は、この今田新太郎シリーズのはや~い頃に「これが今田の写真らしいですよ」という物を掲載(当該の物にリンク)したのをご記憶であろうか。
-実は先日中谷武世という人の回想録を入手したのだが、その情報によると
どうもそれは間違いらしい!⊂(。Д。⊂⌒`つ
…
本当に申し訳ない。臥してお詫び申し上げます。<(_ _)>
詳しい説明は「つづきはこちら」をクリック。
-実は先日中谷武世という人の回想録を入手したのだが、その情報によると
どうもそれは間違いらしい!⊂(。Д。⊂⌒`つ
…
本当に申し訳ない。臥してお詫び申し上げます。<(_ _)>
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