拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
<関係がちょっとだけあるボヤキ(^^;)>
さて大河で官兵衛の次男・熊之助が事故死してしまったわけですが
見ていて疑問が
父:岡田准一 母:中谷美紀 兄:松坂桃李
で、弟のビジュアルが…その…微妙w
※今井悠貴氏のファンの皆様にはふしてお詫び致します
気を取り直して
前のお話はこちら
ようやく『黒田家文書』の1巻を入手しました!
…正確に言えば2冊で「1巻」である_(。_゜)/
というのも、江戸時代前中期(黒田忠之~宣政)を扱った2巻、3巻は前半が翻刻+解説、後半に影印本と言う構成になっているのに対し、戦国~安土桃山の当主・黒田孝高(官兵衛)と長政を扱った1巻は影印本編と翻刻解説編(本編)の2冊に別れているという構成になっているのである。何でこうなったのかの説明が見あたらないようなのだが、多分孝高と長政関係の文書の量が圧倒的に多いのでこうなってしまったのではないかと。
なお、『黒田家文書』自体の説明は翻刻解説編の巻末解説(担当:川添昭二九州大教授)に詳しく書いている。長文なので要点をまとめると
・『黒田家文書』自体の残存状況は実は余り良くない 大半は戦災で焼けてしまった模様。
(1)重要な文書は黒田家が東京に保管していたが東京大空襲で6つの蔵の内5つまでが被災し、1番蔵に保管していた物しか残らなかった。これが戦後になって黒田家の遺産相続に伴って福岡市に寄付された。
(2)その他の文書は福岡の黒田氏の別邸と黒田如水を祭る神社で保管していたが、これも福岡が空襲にあった際に焼失…
(2)のうち、歴史書編纂のため関係者が持ち出した物が何故か戦後に古本屋に出ていて(←ヲイヲイ勝手に売るなよ…)、それを購入したものが福岡女学院所蔵の「黒田文書」。今回私が入手した本は(1)を所収しています。
・残っている文書は信長、秀吉、徳川家がらみの物で大半。中央政権との関わりを書いた文書が重視された模様 ちなみに現状での主な構成は(1)徳川家康、およびその側近(井伊直政、本多正信など)(2)織田信長、豊臣秀吉関係(3)その他の大名となっており、島津義弘の文書は(3)に収録されている。またやはりというか当然というか、石田三成関係の物が1通もない(爆)
この中から島津家に関わりの深い文書、また島津家にあんまり関わりないが個人的に興味のある文書を次回から紹介していきます。
続く。_(。_゜)/
さて大河で官兵衛の次男・熊之助が事故死してしまったわけですが
見ていて疑問が
父:岡田准一 母:中谷美紀 兄:松坂桃李
で、弟のビジュアルが…その…微妙w
※今井悠貴氏のファンの皆様にはふしてお詫び致します
気を取り直して
前のお話はこちら
ようやく『黒田家文書』の1巻を入手しました!
…正確に言えば2冊で「1巻」である_(。_゜)/
というのも、江戸時代前中期(黒田忠之~宣政)を扱った2巻、3巻は前半が翻刻+解説、後半に影印本と言う構成になっているのに対し、戦国~安土桃山の当主・黒田孝高(官兵衛)と長政を扱った1巻は影印本編と翻刻解説編(本編)の2冊に別れているという構成になっているのである。何でこうなったのかの説明が見あたらないようなのだが、多分孝高と長政関係の文書の量が圧倒的に多いのでこうなってしまったのではないかと。
なお、『黒田家文書』自体の説明は翻刻解説編の巻末解説(担当:川添昭二九州大教授)に詳しく書いている。長文なので要点をまとめると
・『黒田家文書』自体の残存状況は実は余り良くない 大半は戦災で焼けてしまった模様。
(1)重要な文書は黒田家が東京に保管していたが東京大空襲で6つの蔵の内5つまでが被災し、1番蔵に保管していた物しか残らなかった。これが戦後になって黒田家の遺産相続に伴って福岡市に寄付された。
(2)その他の文書は福岡の黒田氏の別邸と黒田如水を祭る神社で保管していたが、これも福岡が空襲にあった際に焼失…
(2)のうち、歴史書編纂のため関係者が持ち出した物が何故か戦後に古本屋に出ていて(←ヲイヲイ勝手に売るなよ…)、それを購入したものが福岡女学院所蔵の「黒田文書」。今回私が入手した本は(1)を所収しています。
・残っている文書は信長、秀吉、徳川家がらみの物で大半。中央政権との関わりを書いた文書が重視された模様 ちなみに現状での主な構成は(1)徳川家康、およびその側近(井伊直政、本多正信など)(2)織田信長、豊臣秀吉関係(3)その他の大名となっており、島津義弘の文書は(3)に収録されている。またやはりというか当然というか、石田三成関係の物が1通もない(爆)
この中から島津家に関わりの深い文書、また島津家にあんまり関わりないが個人的に興味のある文書を次回から紹介していきます。
続く。_(。_゜)/
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大河ドラマというのは恐ろしいジャンルでして、
これのネタになると、必ずネタ元が子供向け伝記化されるという(苦笑)
今年のネタ・黒田官兵衛も例外ではなく、地元の図書館を検索しただけでも子供向け伝記が6冊…
しかも発行年はすべて去年か今年である⊂(。Д。⊂⌒`つ
恐るべし大河ビジネス!ヾ(^^;)
しかし、歴史ヲタとして興味があるのは
黒~ゐ部分も多い黒田官兵衛という題材をいかにお子様ランチに仕立てているか?ということである。
本家大河では、例の如く「官兵衛様すご~い」が目立ちすぎて見苦しい点が多々ありますが…
では、お子様向け『黒田官兵衛』はどのような世界なのか?見てみよう!
今回ネタになるのはこの4冊
このうち1冊はマンガです(爆)
(1)官兵衛の幼少期
14歳でお母さん(明石則実女)を亡くし、一時期和歌の世界に逃避した物の、教育を担当していた僧侶・円満房のいさめによって立ち直る…と言うエピソードはすべての本で描かれていました。
比較的詳しく書かれていたのはポプラポケット文庫とフォア文庫で、特にフォア文庫は黒田家の発祥(近江国守護・佐々木氏の別れであること、一時期備前国福岡にいたこと、目薬で一山当てたことなど)について非常に紙幅を割いています…ただ「佐々木氏支流説とか(岡山県の)福岡にいた話とか目薬とか実は全部眉唾だったんです」説が今は主流のような(汗)。ポプラポケット文庫では明石則実女について近衞家の親族であることを書いていて「冗談でしょ~」と思っていたら、ホントらしい(○。○)(参考『黒田官兵衛 - 「天下を狙った軍師」の実像 (中公新書)
』)
(2)栗山善助との出会い
官兵衛から例のお椀ヘルメットを相続するほど重要視された栗山善助こと栗山利安との出会いについては講談社火の鳥伝記文庫以外の3冊で記述。内容はそれぞれにおもしろおかしく脚色されてますが。しても何でこの話抜いたのか、講談社よ…。
(3)小寺政職の近習に
これもすべての本で触れられていたエピソード。ただ内容は「政職の近習として仕えるようになりました」と1行で済ませている物(コミック版日本の歴史)から「政職が姫路城に来たときの対応が素晴らしかったのでetc」と詳しく書いている物までいろいろ。
(4)櫛橋光との結婚
これもすべての本で書かれていました。と言うかこれ書かないでどーする(^^;)殆どの本があっさり「結婚しました」で終わっている中で、脚色も入れて詳しく書いたのがポプラポケット文庫。ちなみにポプラ版の著者・藤崎あゆな氏は萌え系アニメの脚本家として有名らしいです。ナルホドヾ(^^;)
(5)黒田長政誕生
これもすべての本で書かれていましたが、すべて記述はあっさり。ところで長政の誕生はすべての本で書かれているのだが、次男・熊之助について書かれた本は1つも無し。熊之助が不憫じゃ…(´;ω;`)
(6)青山・土器山の戦い
これはすべての本で触れていました。大勝と大敗と一度に味わい、後の官兵衛に非常に影響を与えたと言われるこの戦い、詳細に描いている本が多かったです。ただ、浦上宗景とかその背景に織田信長が居たとかいう話はどの本もはしょってました_| ̄|○
(7)織田信長との遭遇
その後、官兵衛は小寺家の家中で一人だけ毛利家ではなく織田家に着くことを主張、その意見が通ったために織田信長の元に派遣されます。これも大事な話(何しろこの時に「圧切」という現在国宝の刀を貰った)なのですべての本で触れられてました。ただポプラポケット文庫とフォア文庫では「官兵衛は信長の前で播磨国の情勢を詳しく分析して説明した」とあるのですが、実際は信長にはそんな話聞いてる暇無かったよと言う話が事実なようで(^^;)
また、コミック版では「この後帰国した官兵衛は信長の意向を受けて、毛利方についていた播磨の武将達を織田側にした」とまで明言してますが、これも上記(6)で述べたように以前から織田側に付いていた武将は意外に多かったようで事実ではないです(残念?!)
なお、すべての本でこの時に官兵衛は初めて豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)と知りあったとしていました。講談社火の鳥、ポプラポケットではそこに加えて荒木村重が取り次ぎ、竹中半兵衛ともこの時知りあったと書いています。この辺りの記述が一番詳しかったのはフォア文庫で、岐阜では武井夕庵という荒木村重と知り合いの商人が官兵衛の世話をしたと書いています。
(8)英賀合戦
青山の戦い同様、少人数で大軍を破ったという官兵衛の代表的な合戦の一つです…が、講談社火の鳥では記述全くなし_(。_゜)/
(9)松寿丸(長政)人質に
これも大事な話なのですべての本で書いていたのですが、なぜ家臣の官兵衛の息子が人質になったのか?という記述は本によってバラバラで「織田家の関心を買うため政職に人質を出すように進言したら、逆に官兵衛が人質を出すよう逆ギレされた」(コミック版)「小寺政職の息子/氏職が病弱だったので」(ポプラポケット)と言うオーソドックスな物から「政職の息子/氏職が人質に出せないほど馬鹿だった」(講談社火の鳥伝記文庫)というかなり酷い物まで(^^;)
(10)秀吉の播磨攻め
この辺りの記述の濃さは本によってかなりバラバラで、佐用城攻め、別所重治救援など詳しく書いている物(ポプラポケット)もあれば、ほぼ省略(○。○)(コミック版)というものまで。官兵衛が姫路城を秀吉に明け渡したことには触れていた物が多かったですが。
(11)有岡城幽閉
黒田官兵衛の生涯で一番重大事件なので、これ書いてない物は一つもありませんでした。又、この時牢屋の窓から垂れ下がる藤を見て感動した…と言うエピソードはポプラポケット、フォア文庫、コミック版で触れられていました。が、官兵衛が出獄後に黒田家の家紋を巴藤に替えた(これはポプラポケットとフォア文庫が記述)というのはどうも現在の研究では眉唾らしいうわ何を(ry
(12)鳥取城の干攻め
これはポプラポケットとフォア文庫では書かれていましたがコミック版は文章のみ、講談社火の鳥では完全無視(^^;)まあ、これも見ようによれば黒歴史ですしねえ…
(13)備中高松城水攻め
これはこの後の中国大返しと共に官兵衛の人生最大の見せ場であり、すべての本で詳しく記述されていました。
(14)中国大返し
(13)の最中に織田信長が本能寺の変で横死し、動転する秀吉に対して官兵衛は「殿、これはまたとない機会ですぞ」と毛利との交渉をとりまとめ、明智光秀に大勝した…という超有名すぎるエピソード。当然書いてない本はありませんでした!ただ、講談社火の鳥、ポプラポケット、フォア文庫では「この時官兵衛は毛利氏や宇喜多氏から軍旗を20本ほど借り受け、あたかも秀吉軍に毛利・宇喜多軍が合流したように見せかけ光秀を攪乱した」という旨の記述があるのですが、これは事実なんでしょうか?ネットではいくつかそういうことが書いてあるところもありましたが…。
(15)九州御動座(九州征伐)
この前の四国(長宗我部)攻めと共に官兵衛が活躍したこの戦い、一番記述が詳しいのは講談社火の鳥で息子の長政のことも絡めながら記述。次に詳しく記述しているのがフォア文庫。合戦に関して割と詳細に記述してきたポプラポケットが何故かこの辺に関しては簡単に説明だけで終了。コミック版はヒトコマで終わり_(。_゜)/
(16)秀吉との仲の険悪化
秀吉「わしの死んだ後誰が天下取るか分かるか?」家臣A「徳川殿ですか?」家臣B「毛利殿でしょうか?」秀吉「どいつもこいつもわかっとらん、わしの死んだ後に天下取るのは官兵衛じゃ」…この話を人づてに聞いた官兵衛は秀吉に嫌われてると悟り、引退しようとした-これも有名すぎるエピソードなので絶対書いている…と思いきや、コミック版ではなかったことになってた_(。_゜)/
(17)宇都宮一族暗殺事件
はい、予想通りすべての本で完全黙殺!ヾ(--;)その中で、注記とは言えそういう事件があったことを書いていたポプラポケットはまだ良心的な方でしょう…
(18)小田原攻め
丸腰で和平の使者を務めたというこの話も官兵衛の人生の中の見せ場の一つであり、すべての本で記述されてました。ただ、講談社火の鳥では「官兵衛は氏政始め武将達の命も保証する」方向で話をまとめてたのに秀吉に無視された、つー大河ドラマと全く同じ展開になってたのですが、これ本当なんでしょうか?
※この後は本によってかなり省略が酷いことになってます(^^;)
(19)朝鮮出兵
実はこれにも官兵衛はかり出され、しかも途中でどういう事情か秀吉の諒解無く帰国したために処刑される可能性もあったことは大河ドラマでも(改竄が激しかったけどw)描かれていました。
さて子供向け伝記ではどうなってるかというと…コミック版では完全省略_(。_゜)/フォア文庫では朝鮮出兵があったことは書いている物の官兵衛と秀吉のトラブルには触れず。詳細に描いていたのは講談社火の鳥とポプラポケットかな。なお、講談社火の鳥とポプラポケットではこの時に石田三成と険悪になったという記述になっていますが、実際はどうだったんでしょう?
(20)九州の関ヶ原
官兵衛人生最後の見せ場!…のはずなんですが、何故かフォア文庫ではその存在を完全無視(○。○)他の3冊では当然記述されていましたが…。異色の内容は講談社火の鳥で「官兵衛は次の天下は徳川家康と見定め、家康のためになるよう立ち働いた」というニュアンスでした。最近の学説ではこの「官兵衛は天下を取る気無かった」説は有力なんですが、実際の所どうだったんでしょうね?(^^;)官兵衛の妻・光や長政妻・栄姫などの救出作戦など非常に詳細に描いていたのはポプラポケット。
(おまけw)
コミック版はともかくとして、子供版なので総じてイラストが多かったのですが、一番ビジュアル的に肖像画に近いのは講談社火の鳥でしょうか。これも厳つすぎですが(爆)後は萌え系と言うことでヾ(--;)
<総評>
個人的には参考文献(ただ『歴史○本』系のムックが多かったのが難w)や地図などが詳しく記載され、内容も詳しかったポプラポケット版がお奨めです。最後に「竹中半兵衛小伝」もついていて2度おいしい?!
コミック版と講談社火の鳥版は臭い物にフタする傾向がちょっと気になりました。特にコミック版は参考文献に一次史料(黒田家文書、黒田家譜)まで書いてる割にこうだったんで…ま、加来さん監修だから仕方ないか?!ヾ(--;)
まだお子様向け黒田官兵衛本はあるみたいなんで、次回「その貳」に続く?
これのネタになると、必ずネタ元が子供向け伝記化されるという(苦笑)
今年のネタ・黒田官兵衛も例外ではなく、地元の図書館を検索しただけでも子供向け伝記が6冊…
しかも発行年はすべて去年か今年である⊂(。Д。⊂⌒`つ
恐るべし大河ビジネス!ヾ(^^;)
しかし、歴史ヲタとして興味があるのは
黒~ゐ部分も多い黒田官兵衛という題材をいかにお子様ランチに仕立てているか?ということである。
本家大河では、例の如く「官兵衛様すご~い」が目立ちすぎて見苦しい点が多々ありますが…
では、お子様向け『黒田官兵衛』はどのような世界なのか?見てみよう!
今回ネタになるのはこの4冊
このうち1冊はマンガです(爆)
(1)官兵衛の幼少期
14歳でお母さん(明石則実女)を亡くし、一時期和歌の世界に逃避した物の、教育を担当していた僧侶・円満房のいさめによって立ち直る…と言うエピソードはすべての本で描かれていました。
比較的詳しく書かれていたのはポプラポケット文庫とフォア文庫で、特にフォア文庫は黒田家の発祥(近江国守護・佐々木氏の別れであること、一時期備前国福岡にいたこと、目薬で一山当てたことなど)について非常に紙幅を割いています…ただ「佐々木氏支流説とか(岡山県の)福岡にいた話とか目薬とか実は全部眉唾だったんです」説が今は主流のような(汗)。ポプラポケット文庫では明石則実女について近衞家の親族であることを書いていて「冗談でしょ~」と思っていたら、ホントらしい(○。○)(参考『黒田官兵衛 - 「天下を狙った軍師」の実像 (中公新書)
(2)栗山善助との出会い
官兵衛から例のお椀ヘルメットを相続するほど重要視された栗山善助こと栗山利安との出会いについては講談社火の鳥伝記文庫以外の3冊で記述。内容はそれぞれにおもしろおかしく脚色されてますが。しても何でこの話抜いたのか、講談社よ…。
(3)小寺政職の近習に
これもすべての本で触れられていたエピソード。ただ内容は「政職の近習として仕えるようになりました」と1行で済ませている物(コミック版日本の歴史)から「政職が姫路城に来たときの対応が素晴らしかったのでetc」と詳しく書いている物までいろいろ。
(4)櫛橋光との結婚
これもすべての本で書かれていました。と言うかこれ書かないでどーする(^^;)殆どの本があっさり「結婚しました」で終わっている中で、脚色も入れて詳しく書いたのがポプラポケット文庫。ちなみにポプラ版の著者・藤崎あゆな氏は萌え系アニメの脚本家として有名らしいです。ナルホドヾ(^^;)
(5)黒田長政誕生
これもすべての本で書かれていましたが、すべて記述はあっさり。ところで長政の誕生はすべての本で書かれているのだが、次男・熊之助について書かれた本は1つも無し。熊之助が不憫じゃ…(´;ω;`)
(6)青山・土器山の戦い
これはすべての本で触れていました。大勝と大敗と一度に味わい、後の官兵衛に非常に影響を与えたと言われるこの戦い、詳細に描いている本が多かったです。ただ、浦上宗景とかその背景に織田信長が居たとかいう話はどの本もはしょってました_| ̄|○
(7)織田信長との遭遇
その後、官兵衛は小寺家の家中で一人だけ毛利家ではなく織田家に着くことを主張、その意見が通ったために織田信長の元に派遣されます。これも大事な話(何しろこの時に「圧切」という現在国宝の刀を貰った)なのですべての本で触れられてました。ただポプラポケット文庫とフォア文庫では「官兵衛は信長の前で播磨国の情勢を詳しく分析して説明した」とあるのですが、実際は信長にはそんな話聞いてる暇無かったよと言う話が事実なようで(^^;)
また、コミック版では「この後帰国した官兵衛は信長の意向を受けて、毛利方についていた播磨の武将達を織田側にした」とまで明言してますが、これも上記(6)で述べたように以前から織田側に付いていた武将は意外に多かったようで事実ではないです(残念?!)
なお、すべての本でこの時に官兵衛は初めて豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)と知りあったとしていました。講談社火の鳥、ポプラポケットではそこに加えて荒木村重が取り次ぎ、竹中半兵衛ともこの時知りあったと書いています。この辺りの記述が一番詳しかったのはフォア文庫で、岐阜では武井夕庵という荒木村重と知り合いの商人が官兵衛の世話をしたと書いています。
(8)英賀合戦
青山の戦い同様、少人数で大軍を破ったという官兵衛の代表的な合戦の一つです…が、講談社火の鳥では記述全くなし_(。_゜)/
(9)松寿丸(長政)人質に
これも大事な話なのですべての本で書いていたのですが、なぜ家臣の官兵衛の息子が人質になったのか?という記述は本によってバラバラで「織田家の関心を買うため政職に人質を出すように進言したら、逆に官兵衛が人質を出すよう逆ギレされた」(コミック版)「小寺政職の息子/氏職が病弱だったので」(ポプラポケット)と言うオーソドックスな物から「政職の息子/氏職が人質に出せないほど馬鹿だった」(講談社火の鳥伝記文庫)というかなり酷い物まで(^^;)
(10)秀吉の播磨攻め
この辺りの記述の濃さは本によってかなりバラバラで、佐用城攻め、別所重治救援など詳しく書いている物(ポプラポケット)もあれば、ほぼ省略(○。○)(コミック版)というものまで。官兵衛が姫路城を秀吉に明け渡したことには触れていた物が多かったですが。
(11)有岡城幽閉
黒田官兵衛の生涯で一番重大事件なので、これ書いてない物は一つもありませんでした。又、この時牢屋の窓から垂れ下がる藤を見て感動した…と言うエピソードはポプラポケット、フォア文庫、コミック版で触れられていました。が、官兵衛が出獄後に黒田家の家紋を巴藤に替えた(これはポプラポケットとフォア文庫が記述)というのはどうも現在の研究では眉唾らしいうわ何を(ry
(12)鳥取城の干攻め
これはポプラポケットとフォア文庫では書かれていましたがコミック版は文章のみ、講談社火の鳥では完全無視(^^;)まあ、これも見ようによれば黒歴史ですしねえ…
(13)備中高松城水攻め
これはこの後の中国大返しと共に官兵衛の人生最大の見せ場であり、すべての本で詳しく記述されていました。
(14)中国大返し
(13)の最中に織田信長が本能寺の変で横死し、動転する秀吉に対して官兵衛は「殿、これはまたとない機会ですぞ」と毛利との交渉をとりまとめ、明智光秀に大勝した…という超有名すぎるエピソード。当然書いてない本はありませんでした!ただ、講談社火の鳥、ポプラポケット、フォア文庫では「この時官兵衛は毛利氏や宇喜多氏から軍旗を20本ほど借り受け、あたかも秀吉軍に毛利・宇喜多軍が合流したように見せかけ光秀を攪乱した」という旨の記述があるのですが、これは事実なんでしょうか?ネットではいくつかそういうことが書いてあるところもありましたが…。
(15)九州御動座(九州征伐)
この前の四国(長宗我部)攻めと共に官兵衛が活躍したこの戦い、一番記述が詳しいのは講談社火の鳥で息子の長政のことも絡めながら記述。次に詳しく記述しているのがフォア文庫。合戦に関して割と詳細に記述してきたポプラポケットが何故かこの辺に関しては簡単に説明だけで終了。コミック版はヒトコマで終わり_(。_゜)/
(16)秀吉との仲の険悪化
秀吉「わしの死んだ後誰が天下取るか分かるか?」家臣A「徳川殿ですか?」家臣B「毛利殿でしょうか?」秀吉「どいつもこいつもわかっとらん、わしの死んだ後に天下取るのは官兵衛じゃ」…この話を人づてに聞いた官兵衛は秀吉に嫌われてると悟り、引退しようとした-これも有名すぎるエピソードなので絶対書いている…と思いきや、コミック版ではなかったことになってた_(。_゜)/
(17)宇都宮一族暗殺事件
はい、予想通りすべての本で完全黙殺!ヾ(--;)その中で、注記とは言えそういう事件があったことを書いていたポプラポケットはまだ良心的な方でしょう…
(18)小田原攻め
丸腰で和平の使者を務めたというこの話も官兵衛の人生の中の見せ場の一つであり、すべての本で記述されてました。ただ、講談社火の鳥では「官兵衛は氏政始め武将達の命も保証する」方向で話をまとめてたのに秀吉に無視された、つー大河ドラマと全く同じ展開になってたのですが、これ本当なんでしょうか?
※この後は本によってかなり省略が酷いことになってます(^^;)
(19)朝鮮出兵
実はこれにも官兵衛はかり出され、しかも途中でどういう事情か秀吉の諒解無く帰国したために処刑される可能性もあったことは大河ドラマでも(改竄が激しかったけどw)描かれていました。
さて子供向け伝記ではどうなってるかというと…コミック版では完全省略_(。_゜)/フォア文庫では朝鮮出兵があったことは書いている物の官兵衛と秀吉のトラブルには触れず。詳細に描いていたのは講談社火の鳥とポプラポケットかな。なお、講談社火の鳥とポプラポケットではこの時に石田三成と険悪になったという記述になっていますが、実際はどうだったんでしょう?
(20)九州の関ヶ原
官兵衛人生最後の見せ場!…のはずなんですが、何故かフォア文庫ではその存在を完全無視(○。○)他の3冊では当然記述されていましたが…。異色の内容は講談社火の鳥で「官兵衛は次の天下は徳川家康と見定め、家康のためになるよう立ち働いた」というニュアンスでした。最近の学説ではこの「官兵衛は天下を取る気無かった」説は有力なんですが、実際の所どうだったんでしょうね?(^^;)官兵衛の妻・光や長政妻・栄姫などの救出作戦など非常に詳細に描いていたのはポプラポケット。
(おまけw)
コミック版はともかくとして、子供版なので総じてイラストが多かったのですが、一番ビジュアル的に肖像画に近いのは講談社火の鳥でしょうか。これも厳つすぎですが(爆)後は萌え系と言うことでヾ(--;)
<総評>
個人的には参考文献(ただ『歴史○本』系のムックが多かったのが難w)や地図などが詳しく記載され、内容も詳しかったポプラポケット版がお奨めです。最後に「竹中半兵衛小伝」もついていて2度おいしい?!
コミック版と講談社火の鳥版は臭い物にフタする傾向がちょっと気になりました。特にコミック版は参考文献に一次史料(黒田家文書、黒田家譜)まで書いてる割にこうだったんで…ま、加来さん監修だから仕方ないか?!ヾ(--;)
まだお子様向け黒田官兵衛本はあるみたいなんで、次回「その貳」に続く?
ニュースになっていて、てっきり新作の焼酎の銘柄かと思った(ヲイ)
本来天皇家が持ってたはずなのに、どういう経緯で近衞家が貰ったのかも気になるところです。
京都国立博物館の新館オープンを記念して展示されるようなので見てこようかな。実は先日京都の高島屋に私的にかなり高価な傘を忘れて取りに行かなければそのついでにゲホゲホヾ(--;)
なお、今回この刀を寄贈したという奇特な奥田さんは恐らくこの人かと→こちら(78回訪伯経験を持つ奥田さん(88))
幻の「正宗」150年ぶり確認しかし、島津ヲタとしてやっぱり気になるのはなんで「島津正宗」と言う名前なのか?と言う事である。島津家から徳川幕府に献上されたものなんだろうか?(゜_。)?(。_゜)?
京都国立博物館(京都市東山区)は14日、幕末に徳川家が天皇に献上し、その後所在不明だった名刀「島津正宗」が約150年ぶりに確認されたと発表した。昨年度に個人から寄贈された品で、平成知新館のオープン記念展「京(みやこ)へのいざない」で15日から公開する。
島津正宗は、江戸中期に徳川吉宗が作らせた名刀リスト「享保名物帳」に記され、幕末の和宮降嫁で天皇に献上されたとの記録が残るが、その後は所在が分からなくなっていた。
今回公開される刀は、大阪市の実業家奥田米佛門(べふもん)氏から同館に寄贈された品で、1969年に天皇に近かった近衛家から奥田氏に譲られたという。長さ約68センチで、14世紀ごろの作とされる。同館や専門家が鑑定したところ、「享保名物帳」の記録通りの長さであることや、刀剣をスケッチした記録「継平(つぐひら)押形」(享保2年)に記された刃紋とそっくりなことから、島津正宗の可能性が高いと判断した。
同館は「行方不明だった名物の刀が出てくるのは珍しい。国宝と変わらぬ価値がある」としている。公開は11月16日まで。休館日あり。有料。文化庁所蔵の国宝「中務正宗」と並べて展示する。
【 2014年10月14日 23時58分 】
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20141014000136
本来天皇家が持ってたはずなのに、どういう経緯で近衞家が貰ったのかも気になるところです。
京都国立博物館の新館オープンを記念して展示されるようなので見てこようかな。実は先日京都の高島屋に私的にかなり高価な傘を忘れて取りに行かなければそのついでにゲホゲホヾ(--;)
なお、今回この刀を寄贈したという奇特な奥田さんは恐らくこの人かと→こちら(78回訪伯経験を持つ奥田さん(88))
岡村寧次については部下だった船木繁という人が岡村の残した日記を再編した伝記『支那派遺軍総司令官 岡村寧次大将
』があります。ところが、こちらの方には終戦直後からの岡村の動きについてはほとんど触れられていません_(。_゜)/ というのも、この本が出る前に、実は岡村自身がこういう本を上梓していたからでした…
この本は主に
・終戦直後から復員まで書き続けられた日記(昭和20年8月~昭和24年)
・昭和初期から昭和20年の終戦までの回想
から成り立っています。実は意外にマメだったらしい岡村、ずっと日記を書いていたのだが、終戦時に「日記の類は全部連合軍にボッシュートされる」と言う噂を聞き、概要のメモだけ残して昭和16年から20年8月の分は焼却してしまったらしい…結局VIP扱いの岡村の荷物はほとんど没収されなかったらしく、晩年になって「こんな事なら焼くんじゃなかった」とこの本の中でも頻りにぼやいています。
さて、この本。実は上下巻になる予定でした。編纂に協力した稲葉正夫(防衛庁戦史編纂室)も前書きで明言しています。
…が、結局下巻は上巻発行後40年以上を経た現在もいまだに刊行されず_(。_゜)/
これについて、発行元の原書房にも問い合わせてみたのですが、当時の社員は既に当然皆様退職されており、その時の事情が分かる物も全く残っておらず、何で下巻が出なかったのか社員にも不明だそうです_| ̄|○ この本は「明治百年史叢書」という現在も発行が続いているシリーズの99巻目なんですが、栄えある100巻目が欠番になってるのは、本来この本の下巻になる予定だったのではと推測されます。
※この出せなかった下巻を補完するのが、前掲の『支那派遺軍総司令官 岡村寧次大将』とおもわれます。稲葉氏の前書きに依れば、下巻は岡村の日記(未焼却分)の予定だったようです。
さて、岡村寧次は石原莞爾失脚に巻き込まれて中国に左遷されていた今田の上司になっていたことがあり、また今田が”兄”同然に慕っていた中江丑吉と親しく交際していたそうなので(『中江丑吉の肖像』他中江の関連本に頻出)、今田の話も出てくるかな~?と期待しつつ入手してみました。
…
期待は全く外れてしまったのですが⊂(。Д。⊂⌒`つ
しかし、興味深い話が載っていました。
実は間接的に今田に関わりがある話です。
この本は主に
・終戦直後から復員まで書き続けられた日記(昭和20年8月~昭和24年)
・昭和初期から昭和20年の終戦までの回想
から成り立っています。実は意外にマメだったらしい岡村、ずっと日記を書いていたのだが、終戦時に「日記の類は全部連合軍にボッシュートされる」と言う噂を聞き、概要のメモだけ残して昭和16年から20年8月の分は焼却してしまったらしい…結局VIP扱いの岡村の荷物はほとんど没収されなかったらしく、晩年になって「こんな事なら焼くんじゃなかった」とこの本の中でも頻りにぼやいています。
さて、この本。実は上下巻になる予定でした。編纂に協力した稲葉正夫(防衛庁戦史編纂室)も前書きで明言しています。
…が、結局下巻は上巻発行後40年以上を経た現在もいまだに刊行されず_(。_゜)/
これについて、発行元の原書房にも問い合わせてみたのですが、当時の社員は既に当然皆様退職されており、その時の事情が分かる物も全く残っておらず、何で下巻が出なかったのか社員にも不明だそうです_| ̄|○ この本は「明治百年史叢書」という現在も発行が続いているシリーズの99巻目なんですが、栄えある100巻目が欠番になってるのは、本来この本の下巻になる予定だったのではと推測されます。
※この出せなかった下巻を補完するのが、前掲の『支那派遺軍総司令官 岡村寧次大将』とおもわれます。稲葉氏の前書きに依れば、下巻は岡村の日記(未焼却分)の予定だったようです。
さて、岡村寧次は石原莞爾失脚に巻き込まれて中国に左遷されていた今田の上司になっていたことがあり、また今田が”兄”同然に慕っていた中江丑吉と親しく交際していたそうなので(『中江丑吉の肖像』他中江の関連本に頻出)、今田の話も出てくるかな~?と期待しつつ入手してみました。
…
期待は全く外れてしまったのですが⊂(。Д。⊂⌒`つ
しかし、興味深い話が載っていました。
実は間接的に今田に関わりがある話です。
以前コメントで紹介されていた『戦国時代和歌集』という本が図書館にあったのを偶然見つけ、借りてきました。
…
何かビニールポーチに入れて貸し出された(^^;)
取り出してみると、紙質がかなり悪く、紙がへろへろである。
巻末の発行年を見ると昭和18年。戦争まっただ中である。そりゃ紙もいいの使えません罠…
でも、実は今田さん関連で借りた昭和20年代前半の本よりは随分マシだったり_(。_゜)/
この本は有名な歌人・川田順が南北朝時代(当時は「吉野時代」と言われていた)、幕末の和歌の研究をした後に、「次は戦国時代だ!」…と出したものです。対象は応仁の乱~万治2年_(。_゜)/。戦国武将の辞世を集めてたら江戸時代も中期に掛かるころまでやらざるを得なかった様だ(^^;)
巻末の索引を見ると、一番多く収録されているのが豊臣秀吉(24首)、次が細川幽斎(20首)。島津義久の作は8首ですが、実はこれは武田信玄、伊達政宗らと並んで同率3位だったりします。
この8首のうち、現在まで拙ブログに未収録の物が1首ありました。今回紹介させて頂きます。
ところで「早崎」…「早咲き」…オヤジギャグかヾ(--;)
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何かビニールポーチに入れて貸し出された(^^;)
取り出してみると、紙質がかなり悪く、紙がへろへろである。
巻末の発行年を見ると昭和18年。戦争まっただ中である。そりゃ紙もいいの使えません罠…
でも、実は今田さん関連で借りた昭和20年代前半の本よりは随分マシだったり_(。_゜)/
この本は有名な歌人・川田順が南北朝時代(当時は「吉野時代」と言われていた)、幕末の和歌の研究をした後に、「次は戦国時代だ!」…と出したものです。対象は応仁の乱~万治2年_(。_゜)/。戦国武将の辞世を集めてたら江戸時代も中期に掛かるころまでやらざるを得なかった様だ(^^;)
巻末の索引を見ると、一番多く収録されているのが豊臣秀吉(24首)、次が細川幽斎(20首)。島津義久の作は8首ですが、実はこれは武田信玄、伊達政宗らと並んで同率3位だったりします。
この8首のうち、現在まで拙ブログに未収録の物が1首ありました。今回紹介させて頂きます。
年の矢の早咲きそむる梅が香に千里残らず春は来にけり元々の収録は「西藩野史」(11巻)。天正元年正月、大隅国早崎の陣中にて詠まれた物とのことです。大隅国早崎とは現在の鹿児島県垂水市海潟で、桜島と大隅半島の繋がっている部分になります。但し繋がったのは大正時代のことで、それまでは桜島とこの間には海峡がありました。ここに「早崎営」という出城が置かれ、要所である牛根城をめぐり島津氏と肝付氏との間で合戦が行われました。現在も国道220号線の改良工事がよく行われているようで交通の要所でもあり難所でもあります。
ところで「早崎」…「早咲き」…オヤジギャグかヾ(--;)

