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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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もう昨日の話になりますが。
「歴史的な会談」とか言われていた米朝首脳会談inシンガポール。
確かにある意味「歴史的な」会談になりましたね。
国民を貧困に陥れても軍事増強し、望み通りアメリカとの首脳会談を実現した北朝鮮。
ついでに首領様は人様の財布で5つ星ホテルでお付きと共に豪遊+ゴージャス観光ツアーも実行。
「国民の生活より軍事増強」…という悪しき前例を作ってしまいました。
以前私はどこかの掲示板か何かで「核廃絶と言うことが常識なのは日本だけ、諸外国では核所有=一流国家の証し、というのが常識なんじゃないか(残念だけど)」とか言うことを書いたような記憶があるのですが、それを証明するような出来事でしたね。
今後は国民の生活そっちのけで軍事増強に精出す国が続出しそう。

ちょっと前にNHKのBSプレミアム「英雄たちの選択」崇徳上皇の回で磯田道史氏が「雛人形はお内裏様が上にあるけど、現実は下にいる侍(随身のことか?)が武力で上に行ってお内裏様を引きずり下ろすこともある」云々と言う事を語ってられた記憶があるのですが、まさしく今回のことはこれに通じるよなあ~と思いながらニュースを見てました。



では気を取り直して本題に入る。

タイトルに書きましたが、TV番組の紹介です。
今回のテーマは「島津四兄弟」です。
遂にこの日が・゚・(´Д⊂ヽ・゚・
義弘単独はしょっちゅうヾ(^^;)義久+義弘というのはごくまれにヾ(--;)やりましたが、4人揃ってのお取り扱いはもしかしたらTV史上初めてかな?
ちなみにコメンテーターは桐野作人氏ですが、VTRで他の学者も出る可能性もあるかも???
なおこの番組、基本的に再放送がない(やっても不定期)なので、ご興味のある方は録画の準備をお忘れなく。

番組公式HPはこちら
放送時間は土曜日夜10:00~11:00です。

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前回のお話はこちら



実はこの古いネタを掘り起こすきっかけになったのが、倉本一宏氏の『藤原氏の研究』『藤原氏-権力中枢の一族』を読んだことなんですが、『藤原氏の研究』のある論考が目に留まりました。第2章第4節の「宣命に見る藤原氏」というものです。
先ず、宣命とはなんぞや?と言う事で、こちらの説明を御覧下さい。
天皇が宣(の)りたまう大命(おおみこと、命令)の意で、本来は口頭で宣布され、それを宣命体で書記した。奈良時代は朝賀・即位・改元・立后・立太子などの儀式に用いられ、平安時代以降は任大臣・贈位・神社・山陵などの告文にだけ用いられた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E5%91%BD
ほか「宣命」に冠する説明はこちら参照
ともかく、宣命というものがかなり特別な物であったことは分かるかと思います。
倉本氏によると、『続日本紀』の宣命を検討したところ全62件の内10件で藤原氏の先祖の功業について言及されているとのこと、そしてこのように王権(皇室)との密着をアピールしたことで、藤原氏から律令に縛られない立場で権力をふるう人物をだす土壌となったというのです。

さて、これらの宣命を読んで、奇妙なことに気が付きました。
全10件の内、5件が永手がらみなのです。

以下長文になるので、興味のある方は「つづきはこちら」をクリック。


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このネタは、何れ機会があればちゃんとした論文にしたいと思っていたネタだったのですが、事情により永久に無理そうなので、それなら公開の場に出してしまおうかと。
実は○○年前に簡単にまとめて某教授に見せたこともあったのですが、その後こちらの事情で論評してもらう機会もなく、その教授も数年前になくなってしまわれたので…。

ではタイトルを見てご興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。



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前の話はこちら
高須克弥
@katsuyatakasu
宮内庁書陵部から昭和天皇独白録の献上を許可すると連絡あり、宮内庁記者クラブで発表するから先走ってつぶやかないようご注意もいただいた。 記者さんたちから確認の電話がかかりはじめた。 つぶやき開始なう。 竹田先生ありがとう
https://mobile.twitter.com/katsuyatakasu/status/1001004848127475712?p=v
ということになったそうです。
確か落札されたのが去年の年末だったから、大体半年ぐらい手続きに時間かかったと言う事でしょうかね

あと全く関係ない話だが歴史小説家の津本陽氏死去(89歳)だとか。そういえば最近全然見かけないなあ、と思ってました。一方100歳でも元気なこういう人もいるわけで…

まあ個人的には89とか100とか勘弁です 先立つ物がないので太く短く(と書くことが白々しい位結構な年だったりするシクシク)

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前回記事でハウスバーモントカレーのイメージボーイだった方がお亡くなりになられた話をしましたが、この週末にかけて朝丘雪路とか、有名人がボコボコ亡くなられましたねえ…

ところで、今頃になって春休み中にBSで放送された「池上彰のbig対談」磯田道史編を録画していたのを拝見したわけだが。暗い話の連続で精神的に参ってしまった…でも磯田さんは歴史家としてこれから先も見届けたい云々というようなことを話されてました。鋼のメンタルですな。私は無理。
それより最後に池上氏が言っていた「(磯田氏が)大学時代に図書館で本を読みすぎて栄養失調で倒れた」という話が気になる。本が好きすぎるだけが原因じゃないような。

気を取り直して。前回の話はこちらです。

さて。
前回はいかにも豪邸!な部分を紹介したのですが(実際に最初に案内してもらったのがそこだった(^^;))
豪邸を支えるのには沢山のバックヤードがいると言うことで…

本日のネタは「1Fのお勝手」からスタート。

前回は「乾邸1F唯一の和室」で終了しましたが、その部屋と廊下をはさんで北側にお勝手スペースがあります。
内玄関
前回紹介した「通常玄関」いわゆる普段用の玄関です。普段用といいながら十分広い。

その西向かいに、女中の控え室があるのですが…現在は保存会の倉庫として使われているため閉鎖されて見学できませんでした。

内玄関を入ってすぐ右横(北側)には「応接室」がありました。前回紹介した「応接室(ゲストルーム)」と違って、ちょっとした所用で来た人(営業の人とか?ヾ(^^;))を通す部屋だったようです。こちらの部屋も現在保存会の事務室として使われているため見学できませんでした。

その応接室の北隣にあるのが「事務室」です。うーむいかにも事務的殺風景(^^;)
その事務室内にある脇玄関。いわゆる「お勝手口」でした。



1Fのお勝手は見学できないところが多かった…_| ̄|○
そのお勝手用の階段から2Fへ移動。ちなみにこの階段、狭い+急傾斜。さすがは戦前の建て物?!

主寝室 現在はベッドなどがないのでイメージしにくいですが…
この主寝室には前回書いた1Fのゲストルームをのぞき見る窓→ がありました。
この主寝室と内側の廊下(写真の右側) で繋がっていたのが
夫人用の寝室。こちらも主寝室同様現状はベッドとか無いのでイメージしづらい。
ところで主寝室と夫人寝室が別れていたと言うことは、乾新治夫妻は夫婦別室だったんですね。
夫人寝室には違い棚風の化粧台が作り付けであったりしました。洋室の中でこの辺は和風である。

なお、上記の内廊下側、主寝室と夫人寝室の間にバスルームとトイレがありました。昭和初期の建て物には考えられない現代風、と言うか欧米スタイルの寝室。 …途中で幾度か改修工事があったようで、今時のユニットバスになっていたのは見逃しましょうね(^^;)


ここまでが2Fの「表」の顔。
2Fにも「バックヤード」がありました。
先程の夫人用の寝室と廊下をはさんで北側にあるのが 「衣装部屋」です。
和室じゃないですよ。いや確かに和室だけど(^^;)誰かの部屋とか言うのではなくて、乾新治夫人の大量の着物を収納し、お着替えするためだけの部屋でした。襖を開けると、そこには着物を収納するための和箪笥が並んでいました。
この部屋、京間の8畳なのでかなり広かったです。

その北側に、女中が寝泊まりする部屋・「女中室」(8畳)と 「予備室」(6畳)がありました。西側にしか窓がないので、衣装部屋より圧迫感が感じられます。


2Fの主廊下にある階段を上ると3F。
そこには「サンルーム」がありました。…あれ、サンルーム全景を入れた写真を撮ってなかった_| ̄|○
でも御影の山手にある邸宅のしかも3Fにある部屋ですからして、景色がとても良かったです。
これは海側  こちらが山側 ちなみに正面に見えるのが白鶴美術館
この3F、埋め込み型の空調(壁の上部+下部に付いている柵)とか、昭和初期とは思えない凝った作りになっていました。ちなみにこれが空調スイッチ。こちらの形は昭和な作りですね(^^;)


以上で建物の見学は終了。
なお、この乾邸ですが庭も神戸市指定名勝になっていて、さすがは昭和の豪邸の雰囲気を今に伝えています。
こちらは洋館から見た洋風庭園
洋風庭園の西隣続きにある和風庭園。同じ敷地にあるとは思えない位雰囲気が違います。
阪神大震災で全壊し無くなった和室棟には見事な茶室もあったそうで、和室が残っていたら又雰囲気が違っていたかも知れません。



この乾邸は、この御影に建てられた邸宅の中では最後の方に建った建物でした。
8番が今回見学した乾邸。
また、これだけの豪邸(敷地面積約3870㎡)ですが、御影の豪邸群の中では一番小さいクラスの建て物だったそうです。ひょえ~。
…これらの豪邸も昭和10年の阪神大水害や戦後直ぐの財閥解体などでほとんどが失われ、現在残っているのは
・乾邸
・村山邸(現香雪美術館、建物内部は見学できない)
弘世邸(現レストラン蘇州園
ぐらいです。

神戸市でも「風見鶏の館」など異人館は行ったことある方でも、こういう昭和の豪邸を見た方はかなり少ないのでは。ご興味のある方にはお奨めできますよ~。
但し見学日が春と秋のそれぞれ1週間ずつと非常に限定されている上、事前申し込みが必要です。詳しくは神戸市の公式HPで「乾邸」で検索。


更なるおまけ ご興味のある方だけクリックプリーズ

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