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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
調べ物のついでにはじめて知ったのだが、下田歌子ってすごい女性だったんですね。

わたしは5000円の人ヾ(^^;)のからみで単なる和歌の先生(あながちこれもはずれじゃないかもしれないが)と思っていたのだが、
若き日は女闘士
結婚してからは病弱な夫の代わりとなって働き
伊藤博文には「男だったら大臣になっている」と太鼓判を押され
乃木希典とガチンコのケンカもした(○。○)

…そうそう、東京の実践女子大をつくったというのもこのひとだったんですね。と〜り〜びあ〜ヾ(^^;)
その実践女子大の下田歌子紹介hp
トップページの着物姿がりりしい。美人だったんですね。

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昨日、図書館で見てきた『日吉町郷土誌』。

表紙に載っていたのが西郷隆盛の友人とされる桂久武の写真。(ちなみに同時期に鹿児島藩家老だった小松帯刀清兼が右側に載っているが、こちらはネットでも見られる→こちら

結構男前だった。

ちなみにネット上にあるこれと同じものだと思うのだが、ネット上のものはやや不鮮明なような。

桂久武は藩主家にも近い血縁の超エリートだったにもかかわらず、西郷隆盛との交流(最もこのせいで西南戦争に巻き込まれて戦死してしまうのだが)など人柄の良かったことで知られる人物です。写真はその辺がほのかに偲ばれるような。

おまけ
小松帯刀には京都に美人の愛人(舞妓さんだったらしい)がいて、しかも彼女の遺言で墓は鹿児島の帯刀の隣にあるらしい…意外だ。というか本妻は不満はなかったのだろうか…。

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「東海雑記」尾張徳川17代
御三家筆頭でありながら何やってたかよく知られてないヾ(^^;)尾張徳川藩のことが簡略にまとまっているので僭越ながら推薦。
初代と2代の説明が何故か欠落してるのが何ではあるが。

実は尾張藩は幕末の会津藩当主・松平容保の実家でも有るんだよね(注:正確に言えば尾張藩分家・高須藩が容保の実家。でも幕末の時点では兄の慶勝が尾張藩当主になっていた)…松平容保は養子だったばかりに貧乏くじをひいた人というのが私の今のところの考えなのだが、幕末の尾張藩って、このブログによると実はかなりキーポイントになる動きをしているみたいですね。実家と連帯行動をとれなかったというのは会津藩(の当主の容保)にとっては痛かっただろう、と言うか謎。

それと推薦はしてみた物の、このブログも2005年の夏以降はこのテーマに関しては更新されてないんだよねえ…

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最近大山巌というひとに「こって」いる。
と言うか、この人の奥さん(ちなみに山川捨松という)に興味を持ったのが始まりだが。

現代人の多くには単なる『坂の上の雲』の脇役でしかない(おい)大山巌。しかし、彼の腹周り同様大山巌はネタの宝庫であった。まず先述の山川捨松を口説き落とす下りもネタ満載である。(あの益田孝とか絡んでるとか今まで知らなかった)年を取ったときにはおおぼけをかましていた巌も若いときには「薩英戦争のスイカ売り事件」とか「寺田屋事件」とか、従兄弟の西郷隆盛が手を焼く超過激派の暴れん坊だったらしい…(しんじられん)
山川捨松の兄弟も
あの新撰組の斎藤一や、西南戦争で熊本城に籠城しその後右翼(おい)に転じた谷干城の”だち”である会津藩元家老・山川浩とか、
「千里眼事件」に絡んでくる物理学者の山川健次郎、
夫の浮気に愛想を尽かして離婚し、戊辰戦争では男装して鉄砲を撃ちまくり、明治維新後は女子師範学校の校長になったという山川二葉とか
ともかく曲者揃いなのである。

そんな大山の姓名判断がこれらしい。
大山巌の姓名判断

総合運勢 万事叛乱流転型
人格判断 行動派
ギャンブル運 実力勝負、サシが良い
恋愛タイプ 顔に似あわずよくもてる、口がうまい

全部当たってるやん。特に最後の「恋愛タイプ」ヾ(^^;)
(ちなみに赤字は私の補強じゃなく、最初から赤字強調になってました。わかるなあ、その気持ち。)

ちなみにこの大山巌と山川捨松の間に生まれたのが考古学者で有名な大山柏氏。父の後を継いで陸軍に入った物の自分の才能を早々に見極めて、自分から「予備役(要はクビ)になりた〜い」と志願するという強烈な行動に出て、その後は慶応大学で趣味の考古学を教えたりした、この曲者夫婦にしてこの息子…という人物らしい。晩年に回想録を書いたが、そのタイトルが
金星の追憶』(きんせいのついおく)
という、かなりこっぱずかしい物である。これ、ご自分のことを金星に例えてられるんですよね、多分…(^^;)。この本の内容もネットで見る限り、さすが曲者というネタ満載本のようだ。
http://imperialarmy.blog3.fc2.com/blog-entry-6.html
なのに絶版_| ̄|○…風邪が治ったら図書館に行こう。

大山柏さん関連本にはこんな物も(こちらはネットでも入手可能)
失われた史前学

ちなみに柏さんの息子は桂さんと言い、孫は梓さんというそうだ。(2006/3/22修正 長男が梓さん、次男が桂さんだそうです。)「変な名前〜」(3/12の『功名が辻』千代@仲間由紀恵風に言ってみる)
桂さんも梓さんも全員分野は違うが学者。やっぱり根は軍人向きじゃない家系だったようだ。>大山家

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ある調べ物からリンクをたどって、こういう記事にたどり着いた。
京都・金戒光明寺について(wikipedia記事)

知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の大本山だが、下記にあるように、会津小鉄とのゆかりから、観光地としては敬遠される傾向がある。

地元在住であったがこれは知らなかった。確かに、金戒光明寺はまわりに真如堂、一寸離れているが永観堂や平安神宮もある観光スポットの割には観光客の行かない寺である。最も私も何年前の「秋の特別公開」にいって
「大きい寺の割には面白い見物のない寺だなあ」ヾ(^^;)
と言う感想を持ったのだが。

ところで、上記wikipediaの記事で分かるように幕末会津藩ヲタの人にとって金戒光明寺はたまらないスポット(と言うより聖地)であるらしい。関連記事google検索結果
だがしかし、京都のやーさま重鎮「会津小鉄」を会津藩が新撰組並に重用していたという史実は会津藩ヲタにとっては余り触れたくないことらしい(当たり前か)
会津小鉄と会津藩のつながりについて書いてあるHP検索結果(90件余りヒットするも内容が重複しているもの多し、実質30ぐらい?)

ところで、以前ある人から聞いたことがあるのだが
「海援隊の末裔が三菱財閥、新撰組の末裔が山口組」
坂本龍馬死後、同じ元土佐藩士である岩崎弥太郎が海援隊事業を引き継いだことは三菱の公式HPにも書かれている。こちら
しかし、「新撰組の末裔が山口組」とは???
と思ったら、上記wikipedia「会津小鉄」にヒントがあった。

組織名の由来は、京阪のヤクザ社会の多くが博徒「会津の小鉄」こと上坂仙吉を起源とするためといわれ、(以下略)
…なるほどねえ(^^;)にしても、新撰組と会津小鉄は会津藩の配下という関係でいくらやってることが似てるといっても間接的につながりはあっても直接的にはどうなんでしょうね。

それにしても静岡の「清水次郎長」といい、幕末はやーさまの大活躍した時代だったようだ。NHK様、大河ドラマでやってみない?ヾ(^^;)

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