【パリ4日時事】中世から欧州各地を支配したハプスブルク家のスペインの王朝(1516~1700年)断絶について、近親婚の繰り返しで発症する遺伝子疾患が原因だった可能性が高いとの説を同国の学者チームがこのほど、米オンライン科学誌「プロス・ワン」に発表した。
スペイン・ハプスブルク朝最後の王カルロス2世(1661~1700年)は体が小さく病弱で内臓疾患や血尿に悩んだ。2度結婚したが性的に不能だったとされ、世継ぎがないまま死亡。仏ブルボン家にスペインの王座を渡す結果となる。
この王の16世代にわたる祖先や血縁者3000人の系図情報を基に、スペインのサンティアゴデコンポステラ大学の遺伝学者らが近親婚のリスク度を示す「近 親交配係数」を計算したところ、係数は初代カルロス1世の父親の0.025から代を重ねるごとに上昇、カルロス2世では10倍の0.254に達した。
同王朝の結婚11例中9例は近親婚で、カルロス2世も両親がおじとめいの関係だった。頻繁な近親婚は劣性遺伝子を発現させやすく、「2つの異なる遺伝子疾 患(下垂体ホルモン欠乏症と遠位尿細管性アシドーシス)の同時発症」がカルロス2世を襲ったと遺伝子学者らはみている。(2009/05 /04-15:04)
拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
卑弥呼の墓か、築造期一致 奈良・箸墓古墳http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009052901000239.html
邪馬台国の女王卑弥呼の墓説がある奈良県桜井市の箸墓古墳の築造時期が、土器などの科学的分析で240-260年と推定されることが、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究グループの調査で29日分かった。 中国の歴史書「魏志倭人伝」によると、卑弥呼は248年ごろに死亡したとされる。研究グループの春成秀爾同館名誉教授(考古学)は「時期が一致し、卑弥呼の墓の可能性が極めて高くなった」と指摘。畿内説と九州説に二分される邪馬台国の所在地論争に大きな影響を与えそうだ。 箸墓古墳は、3世紀初めごろに出現した当時国内最大の集落跡、纒向遺跡にある全長約280メートルの前方後円墳。宮内庁が陵墓に指定しているため、墳丘内の発掘はできず、周辺の調査で見つかった土器などが年代を知る手掛かりになっていた。 研究グループは「放射性炭素年代測定法」と呼ばれる手法を使い、箸墓古墳の周濠から出土した築造時とみられる土器10点に付着した炭化物を分析し、測定値を年輪年代測定法の年代で換算した。この手法については、精度や測定データ処理に対し、慎重な見方をする研究者もいる。 研究成果は、日本考古学協会総会で31日に発表する。 【共同通信】
2009年5月29日 邪馬台国 ナゾ解き続く 化学分析、畿内説に"軍配" 箸墓古墳http://www.sankei-kansai.com/2009/05/29/20090529-010451.php
「昼は人が造り、夜は神が造った」と日本書紀に記された箸墓古墳(奈良県桜井市)。邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説もあり、大和か九州かで揺れる邪馬台国の所在地論争もからんで、被葬者は古代史最大の謎ともされる。その築造年代を「放射性炭素年代測定」は西暦240~260年とはじき出した。これは、中国の歴史書に記された卑弥呼の没年とほぼ合致。科学分析は邪馬台国畿内説に“軍配”をあげた形になった。しかし、測定法の精度を疑問視する見方もあり“謎解き”はまだ続きそうだ。 「卑弥呼が魏に朝貢(239年)。2代目女王・壱与(いよ)朝貢(266年ごろ)」。中国の歴史書「魏志倭人伝」は、3世紀の日本について年代順に細かく記述している。 年代測定を行った国立歴史民俗博物館の研究チームは、箸墓古墳や他の遺跡出土の土器など数千点の放射性炭素年代を調査。箸墓古墳の周(しゅうごう)から見つかった「布留0(ふるゼロ)式」とよばれる土器は、西暦200~300年代の測定結果が出されたが、これより少し新しいとされる形式の土器「布留1式」では270年ごろと割り出したことなどから、「布留0式」を240~260年に絞り込むことができたという。 研究チームの小林謙一・中央大学准教授は「かなり精度の高いデータが得られた」と強調する。 一方で、考古学者を中心に慎重な見方が多いのも事実だ。かつて箸墓古墳を発掘した奈良県立橿原考古学研究所の寺沢薫・総務企画部長は「研究途上の炭素年代測定によって、10年単位まで絞り込むことができるのか疑問がある。これで箸墓古墳の築造時期が決まったとはとても思えない」と指摘する。 箸墓古墳を270年ごろの築造とみる兵庫県立考古博物館の石野博信・館長も「科学的な炭素年代を頼りにしたいが、まだまだデータが不足している」と慎重な立場だ。被葬者像については「箸墓のような巨大古墳は、戦乱をおさめ、卑弥呼の後に女王になったとされる臺与(とよ)(=壱与)こそふさわしい」と話した。 【写真説明】放射性炭素年代測定が行われた箸墓古墳出土の土器=奈良県橿原市の奈良県立橿原考古学研究所 (2009年5月29日 14:25)
他関連ニュースはこちら
ということで、先週末は大々的にニュースになってました。
しかしどうよ。
いや、
箸墓古墳が一番古い前方後円墳とか、
もしかしたら古墳時代じゃなくて一般的に弥生時代とされている時代の”古墳”じゃないのか
…という話よりも「箸墓古墳=卑弥呼の墓=だから邪馬台国は大和国にあった!!!」…というところに焦点を宛てた報道しかできないマスコミの貧困さにあきれ果てて声が出ませんわ。日本の古代史は邪馬台国しかないのかよ。
あるいはこう書かないと
そんな中、かつて「ゴッドハンド」騒動スクープで新聞協会賞を取ったhentai毎日新聞さんは「うちは他とは違うんざます!」といわんばかりのタイトルで報道。
箸墓古墳:歴博年代測定、「箸墓は卑弥呼の墓」 信頼性疑問もhttp://mainichi.jp/enta/art/news/20090601ddm041040065000c.html
国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)の研究グループは31日、古墳時代の始まりを示す箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)は240~260年に築造されたと、東京・早稲田大であった日本考古学協会の研究発表会で報告した。247年ごろとされる邪馬台国の女王・卑弥呼の死亡時期と重なるため、邪馬台国所在地論争の点で注目される。しかし、この測定で箸墓を卑弥呼の墓とするには問題が残り、数値が独り歩きすることへの懸念がある。 発表後、司会者の同協会理事が「(発表内容が)協会の共通認識になっているわけではありません」と、報道機関に冷静な対応を求める異例の要請を行った。 歴博グループは、放射性炭素年代法によって全国で出土する土器に付着した炭化物を中心に年代を測定。箸墓でも、築造時の土器とされる「布留(ふる)0式」など16点を測り、この前後につくられた他の墳墓や遺跡の測定結果も総合して240~260年を導いた。春成秀爾(ひでじ)・歴博名誉教授は「この時代、他に有力者はおらず、卑弥呼の墓であることが確定的になった」と述べた。 しかし、土器付着炭化物は同じ地点から出た他の資料に比べ、古い年代が出る傾向がある。中国の史書「魏志倭人伝」では、卑弥呼の墓は円形とあって前方後円墳の箸墓とは異なるなど、文献上からも問題があり、会場からはデータの信頼度などに関し、質問が続出した。【伊藤和史】
…毎日は今後はこの分野だけに特化した新聞になればいいと思うよヾ(^^;)
PR
「進歩史観」、ご存じでない方は参考 こちら(wikipedia)
通常は共産主義史観として使われることが多いかと思う。
本館の舞台にしている時代が戦国時代~江戸時代初頭と言うこともあり、いろいろな論文を参考に読んでいても
「国人蟠踞の戦国時代から、天下統一された整然とした支配大系の織豊時代→江戸時代へ」
という考え方をふまえたものが多い。そういった考えのもとでは、
豊臣政権、徳川幕府に従い、支配体系を築き上げた大名ほど評価される
のは、まあ当然だし、当たり前だろう。
そして、その考えのもとでは、
豊臣政権・徳川幕府の体制に対応できなかった人は当然低評価、あるいは罵倒される。
それって、一種の進歩史観だと思うわけですよ、私は。
しかし、その時代を生きてきた実際の人の立場に、自分を置き換えて考えてみると、果たして、上記のように簡単に割り切って人を評価できるものか?
たとえば、戦国末期の九州に宇都宮鎮房という国人がいたのだが、豊臣秀吉の九州御動座後、転封をこばんで領主から転落する。その地には秀吉配下の大名・黒田如水+長政親子が封される。当然昔からの領主である宇都宮氏と新領主である黒田氏の間はうまくいかず、最後は宇都宮一族は陰謀にはめられ、一族滅亡する・・・。普通なら宇都宮氏の悲惨な話と感じる方が多いと思うのですが、上記の今学会の主流の史観では
「豊臣政権に従わなかった宇都宮氏がアホ!死んで当然だよね!」
・・・と、極論すればこうなっちゃう。
そんなに簡単に人の判断や人生を割り切れるもんかしら?
本館にもちょっと関係のある例の本で、ゲームで有名なあの方が「豊臣体制に順応しようとしている進歩派」として好感的に書かれ、その兄が「反豊臣体制、既得権益に固執する国人を代表する遅れた人」として罵倒気味に書かれているのは、上記の学会主流の史観のせいでしょう、たぶん。
いや、そればかりではなく、例の本が書かれたときの「既得権益に固執する団体や人がいるから日本は改革に乗り遅れた」というマスコミの煽り?にうまく内容をあわせたのかもしれません。
・・・
そのときの時代のブームに、過去の人を当てはめるのって、いかがな物でしょうか。
一般の人にはそうすることで話が説明し易くなり、一見わかりやすくはなるかも知れないけど、それでその人の本当の姿が分からなくなることがあると思うのです。
また、上の史観で話を進めた結果だと思うのですが、例の本では「琉球出兵」について扱いが軽いことが指摘されてます。・・・そりゃ扱いも軽くなるでしょう。だって、上の史観で話を進めていったら
「琉球はとっとと島津の話を聞いて徳川幕府に服属すべきだった!そうしたらあんなことには・・・」
という結論になってしまいますもの。しかし、その結論では
今の沖縄タブーに引っかかる(爆)
ということで、
「中央体制に順応するため財政を立て直す琉球出兵は大事な事業だけど、あたらずさわらず軽く流しましょう」
・・・こうなるのは編集上、売り上げ上、他諸般の理由(爆)で当然でしょう。
私は、読んだときには「うまく逃げやがって」と思ったのですが(苦笑)、あれに関して沖縄の人から何か苦情とか意見のような物はきたのかしら。あと例の本を書いたお方が沖縄で講演するようなことがあったら、その件に関して沖縄の誰かさん質問してみてくださいな。まあ頭の良い人だからうまく逃げると思うけど(爆)
まあ、学会は考えてみればあくなきポスト抗争の修羅場であって、勝ち組の人しか残ってないから、上のような史観になるのは仕方ない所なんですよね。そういう史観からこぼれた人をさらっていくのが私たちみたいな外野(学会の人から見たら単なる「ゴミ」)の役割なのかな、と思ってます。
<関連?>
・自然破壊を視点に新しい歴史観の創造(義江明夫氏講演)
いろいろと異論もあるかと思う。しかし、「自然との関わりが江戸時代の町人文化では欧米文化と遜色ないレベルに達している」という意見自体が一種の「進歩史観」と言っても間違いないかもしれない。
通常は共産主義史観として使われることが多いかと思う。
本館の舞台にしている時代が戦国時代~江戸時代初頭と言うこともあり、いろいろな論文を参考に読んでいても
「国人蟠踞の戦国時代から、天下統一された整然とした支配大系の織豊時代→江戸時代へ」
という考え方をふまえたものが多い。そういった考えのもとでは、
豊臣政権、徳川幕府に従い、支配体系を築き上げた大名ほど評価される
のは、まあ当然だし、当たり前だろう。
そして、その考えのもとでは、
豊臣政権・徳川幕府の体制に対応できなかった人は当然低評価、あるいは罵倒される。
それって、一種の進歩史観だと思うわけですよ、私は。
しかし、その時代を生きてきた実際の人の立場に、自分を置き換えて考えてみると、果たして、上記のように簡単に割り切って人を評価できるものか?
たとえば、戦国末期の九州に宇都宮鎮房という国人がいたのだが、豊臣秀吉の九州御動座後、転封をこばんで領主から転落する。その地には秀吉配下の大名・黒田如水+長政親子が封される。当然昔からの領主である宇都宮氏と新領主である黒田氏の間はうまくいかず、最後は宇都宮一族は陰謀にはめられ、一族滅亡する・・・。普通なら宇都宮氏の悲惨な話と感じる方が多いと思うのですが、上記の今学会の主流の史観では
「豊臣政権に従わなかった宇都宮氏がアホ!死んで当然だよね!」
・・・と、極論すればこうなっちゃう。
そんなに簡単に人の判断や人生を割り切れるもんかしら?
本館にもちょっと関係のある例の本で、ゲームで有名なあの方が「豊臣体制に順応しようとしている進歩派」として好感的に書かれ、その兄が「反豊臣体制、既得権益に固執する国人を代表する遅れた人」として罵倒気味に書かれているのは、上記の学会主流の史観のせいでしょう、たぶん。
いや、そればかりではなく、例の本が書かれたときの「既得権益に固執する団体や人がいるから日本は改革に乗り遅れた」というマスコミの煽り?にうまく内容をあわせたのかもしれません。
・・・
そのときの時代のブームに、過去の人を当てはめるのって、いかがな物でしょうか。
一般の人にはそうすることで話が説明し易くなり、一見わかりやすくはなるかも知れないけど、それでその人の本当の姿が分からなくなることがあると思うのです。
また、上の史観で話を進めた結果だと思うのですが、例の本では「琉球出兵」について扱いが軽いことが指摘されてます。・・・そりゃ扱いも軽くなるでしょう。だって、上の史観で話を進めていったら
「琉球はとっとと島津の話を聞いて徳川幕府に服属すべきだった!そうしたらあんなことには・・・」
という結論になってしまいますもの。しかし、その結論では
今の沖縄タブーに引っかかる(爆)
ということで、
「中央体制に順応するため財政を立て直す琉球出兵は大事な事業だけど、あたらずさわらず軽く流しましょう」
・・・こうなるのは編集上、売り上げ上、他諸般の理由(爆)で当然でしょう。
私は、読んだときには「うまく逃げやがって」と思ったのですが(苦笑)、あれに関して沖縄の人から何か苦情とか意見のような物はきたのかしら。あと例の本を書いたお方が沖縄で講演するようなことがあったら、その件に関して沖縄の誰かさん質問してみてくださいな。まあ頭の良い人だからうまく逃げると思うけど(爆)
まあ、学会は考えてみればあくなきポスト抗争の修羅場であって、勝ち組の人しか残ってないから、上のような史観になるのは仕方ない所なんですよね。そういう史観からこぼれた人をさらっていくのが私たちみたいな外野(学会の人から見たら単なる「ゴミ」)の役割なのかな、と思ってます。
<関連?>
・自然破壊を視点に新しい歴史観の創造(義江明夫氏講演)
いろいろと異論もあるかと思う。しかし、「自然との関わりが江戸時代の町人文化では欧米文化と遜色ないレベルに達している」という意見自体が一種の「進歩史観」と言っても間違いないかもしれない。
Ciniis検索結果
確実に2000年以降は小遣い稼ぎのコラムばっかりで、まともな論文書いたらへんみたいやねぇ…
千葉水産センターとかは同名の別人だろうし。
ついでにこの人もやってみた。
Ciniis「山本博文」検索結果
なんと福井県で地震の研究やっている同名の人がいらっしゃるようで、どれがどれだか分かりにくい(^^;)
それらしいのを抽出してみると、原口氏と似たような傾向があるなぁ。一番近年のまともな論文らしいのはこれかな。→ <研究報告>島津家文書の内部構造の研究(2003年)
確実に2000年以降は
千葉水産センターとかは同名の別人だろうし。
ついでにこの人もやってみた。
Ciniis「山本博文」検索結果
なんと福井県で地震の研究やっている同名の人がいらっしゃるようで、どれがどれだか分かりにくい(^^;)
それらしいのを抽出してみると、原口氏と似たような傾向があるなぁ。一番近年のまともな論文らしいのはこれかな。→ <研究報告>島津家文書の内部構造の研究(2003年)
ちょっと前のニュースですが
…えー、戦国時代の島津(特に島津日新斎忠良お祖父様以降)…ヾ(--;)
そうか、アレな忠恒も近親交配の結果に違いない!(と思ったが、母親は島津氏とは縁のない家から来てるしなぁ)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200905/2009050400181「近親婚の繰り返しで断絶」=スペイン・ハプスブルク朝-遺伝学者
…えー、戦国時代の島津(特に島津日新斎忠良お祖父様以降)…ヾ(--;)
そうか、アレな忠恒も近親交配の結果に違いない!(と思ったが、母親は島津氏とは縁のない家から来てるしなぁ)

