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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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島津義虎は薩州島津家の六代当主。でも拙別館HPの関連では、島津義久の長女・御平の夫といったほうが通りがいいのかも(^^;)
ちなみに、拙別館の御平の項目を読んでもらうと分かるように、薩州家は義虎の息子・忠辰の代で滅亡してしまう。なので、薩州家の関連史料は残ってない




と思いきや!義虎に関しては意外にも残ってたりするんですな。
一度、『出水市史』を読む機会があったのだが、巻頭カラーページで義虎の肖像画(もちろん戦後になって顕彰の目的で新しく書いた物ではなくて、古い物だ)を見たときにはびっくり仰天した義久の肖像ですら残ってないのに(涙)
そして、地元には義虎が寄付したという絵も残っているのだという。しかも、それに絡んでいるのがあの近衛前久らしい。
詳しくはこの論文にて。
『鹿児島大学教育学部紀要 人文・社会科学編』「愛宕神社旧蔵 三十六歌仙絵扁額について」下原美保
ちなみに、歌仙絵本体の写真も載ってます(しかもカラー。)

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今更書くのも何ですが、この忙しい年の瀬になってからの、「北の将軍様」こと金正日の死の報にはビックリしましたねえ。
小泉元首相も証言してましたが、意外にも冗談をよく叩きしゃべりだったそうで(私もニュースで流れた画像で確認しました)

冗談が好きで、強権政治と言えば、拙ブログ的にはこの人を思い出します


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桐野作人氏が自分のブログで紹介されていて、該当の箇所だけ立ち読みしたのだが(^^;)
やはりじっくり読みたくて、改めて入手。

以下感想

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えー、実は私の冗談ではなくてほんとの話です(○。○)

ポケモン+ノブナガの野望

まだ詳しいことは公開されてませんが、公式HP内のビデオを見る限りでは
各武将にポケモンが割り振られていて、それを使って天下取りゲーム!?するみたい。

…拙HPのネタの元(^^;)島津家は今のところ登場予定はないようです_| ̄|○

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天正18年は12月16日に作られた1首です。おっ、タイムリー(^^;)
実は1首しかないクセに前置きがかなり長いのですが、頑張って入力します(涙)

「樺山兵部大輔忠助譜中」
天正十七年己丑之秋、 龍伯法印令赴京師給、忠助亦供奉之列、其後有京師之日、七十九歳老母数行之書、珍戴再三、而後開緘謹誦焉、其詞、初にハ、君にハ忠節をつくして怠事なく、朋友にハ信を専にして忘るゝ事なかれ、中比にハ、こゝろハ暗にあらねともいひ、終には、さらぬ別のありといへは、と書留給、其詞艶にしてみたりかハしくミえつるも、いとこゝろもとなくて、請身之暇、仲冬之際下著、則老母之悦無可比類者、十有余日無恙、而後罹病痾有平臥之牀者尚矣、以薬飼加療養而不験、請貴僧・高僧祈爾于上下神祇、而無其甲斐、雪月十有六日未之時、生念不乱向西方金剛合掌、而唱南無阿弥陀仏、宛如睡眠而赴黄泉矣、
「正文当家有之」
通善周慶大姉ハ、「以下左ニアリ」
(「薩藩旧記雑録」後編2-712)
通善周慶大姉ハ、その心かしこくして、源氏物語なとをもおほへ、筆をとり、まなひの窓をひらかむと心をよせしに、いつの比をひそや、蒲生と云所の弓やはけしきに、嫡子椛山の忠副、やたけこゝろのはかなきハ、またはたちのうちにて打死をとく、それよりあまになり、法花八軸を読誦し、朝夕をこたらす念仏さんまいにして有しか、天正十八年雪月十六日、やそちに及ひかくれられしよしを、予久しく在京せし、下向の道にて伝きゝしより、心まとひの折ふしなれは、歌のもとすゑもたゝしからす、身のあさけりとハかへりミ侍れとも、たゝこゝろさしをあらハすはかりになん、
                  龍伯
ゆくとしのそらにたゝよふあは雪の
春をもまたてなと消ぬらん
(「薩藩旧記雑録」後編2-713)

「通善周慶大姉」 こと樺山忠助の母とはこういう人

「御系図抄」
日新公二女
女子
  樺山安芸守善久室
 生于薩州伊作城、母薩摩守成久女、
 天正十八年庚寅十二月十六日卒、法名通善周慶大姉、
(「薩藩旧記雑録」後編2-711)

拙別館HPにて「島津御隅」として紹介している人物です。義久から見ると伯母に当たります。義久には伯母が4人いました(…ちなみにその一人は自分の妻だったりする)が、挽歌を送ったことを確認できるのは御隅だけです。おそらくこの当時の島津家中に於ける樺山家の地位が高いこと(御隅の夫・善久は、島津忠良に息子同様に扱われていた)なども考慮されているのかも知れません。

拙HPでは特に書かなかったのですが、夫はまだ存命なのに、息子が死んだために出家したという点が興味深いです。武家の女性は「夫が死ぬと出家する」というのが通説みたいになってるんで。
息子に先立たれたのは悲しいことでしたし、島津家が豊臣秀吉に敗北するという所も見てしまったわけですが、その後の朝鮮出兵での苦難などは見なくて、もう一人の息子には無事看取られたし、なにしろ80歳まで生きたので、比較的戦国時代の島津氏にしては幸運な女性だったのではないかと思います。


関連ネタ
挽歌を送られたその1 妙諦さん
挽歌を送られたその2 島津義弘の妻・宰相殿

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