忍者ブログ
拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

関連ネタ   

石原莞爾の墓の世話をしている人がドイツのarteというテレビ局が石原莞爾ドキュメンタリー制作に協力されたという話が公式HPにも掲載されていました。公式HP管理人の方はかなり内容に期待されておられた様子なのですが、下記のブログによると、やっぱりというか典型的な悪人論だったようですね。
http://swissnews.exblog.jp/17206258/
と言うかこのドイツのTV局、最初から石原莞爾コレクションの映像だけが目当てで、騙されたんじゃないかなとも思われますが。

<追記>
石原莞爾のドキュメンタリー問題については、以下の掲示板でも触れられていました。
独仏共同の公共放送アルテで放映された石原将軍の映像は、当初の予想と違って「戦争を引き起こした石原莞爾」というタイトルで、真逆の姿で放映されたとのことです。取材のために都合3回にわたって来日した仏人ビロリ氏一行(最後は英人、ドイツ人のカメラマンも同行)の意図とは違い、局の判断で変更されたとのことですが、企画書に石原将軍の最高の写真を使ってくれたものの、制作意図(人物像)は私が何度聞いても当初からハッキリしませんでした。

放映後のDVDを送ってくれるよう仏独同時通訳をしてくれたパリ在住の日本女性にお願いしても、今日までそれが実行された形跡はありません。放映後は、私との通信を意図的に避けている感じも伺えます。日本でも未だ石原将軍は「悪者扱い」なので、ムベなるかなですが、今までの彼らの労力は一体何だったのか、ビロリ氏の本音も聞いてみたいものです。
http://free2.nazca.co.jp/mk15/taku123/index2.html
うーむ、私の推測が当たっていたようです。

おまけ
この人の見解が、今のところの私の石原莞爾イメージに近いかなあ…
ていうか、現代人が石原莞爾見たら誰でもこう思うだろう、最初っから莞爾を先入観ありありで見ているような人以外は、ね。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/yatsu8hd/forum/40.html

さらなるおまけ

拍手[0回]

PR
ももいろクロスバーZ

ももいろクロスバーZ(ももいろクロスバーゼット、Momoiro Crossver Z)は、南九州の大名家・島津氏所属の男性アイドルグループ。愛称はももクロ、ももクロちゃん。

概要
「ピュアな男の子が、勝利を運びたい」という意味を込め、ももいろクロスバーとして1554年に結成[1]。1568年3月1日に川上久朗の戦死に直面し、その翌日から心機一転、ももいろクロスバーZとなって再出発した。Zの意味は公式には発表されておらず、銘々に解釈が委ねられている[2]。また、Zの文字を宙に書いて指を突き出すポーズを常用する[2]。
メンバーは武将がメインのため、週末ヒーローと称して土日を中心に活動する。「いま、会える捨てがまり」のキャッチフレーズのもと、敵武将との距離感の近さを重視しライブ[3]アイドルとしての活動を行ってきた。数人の敵武将を相手にしての野伏せりに始まり、加治木饅頭の手売り[4]、野宿をしながらの西日本ツアー[5]などの下積みを経ており、鎌倉時代からの守護大名所属ながらメジャーデビューまでに約20年[6]を費やした。今でもライブでは、ファンへの感謝を深く長いお辞儀で表すシーンが度々見受けられる[7]。

メンバー
一人ひとりにイメージカラーが割り当てられており、衣装や装飾品はその色を基調とする場合が大半である。
 レッド  島津義久 茶畑[8]の引きこもり(一応不動のリーダー。義弘がリーダーじゃねーぞ!)
 イエロー 島津義弘 みんなの弟[9](武闘派と言われるが本当はさびしんぼう)
 ピンク 島津歳久 ももクロのアイドル[10](ちょっと目立たない正統派武将)
 グリーン 島津家久 小さな巨人[11](一番若いが沖田畷や戸次川などの戦いの実績は半端ではない)
 パープル 伊集院忠棟 内通武将?(豊臣秀吉になびいてるって噂ホントかな?)
元メンバー
 ブルー 川上久朗 クールビューティー(凛々しい超若手家老)[12] 

脚注
1.岩剣城の戦いのあった日
2.パロディネタに深くつっこみを入れてはいけない。
3.合戦のこと
4.メンバーの一人・義弘の好物である
5.実は義久、義弘が参加したのは天正15年以降である 他の3人は早々上洛経験があったのに なおこの時の体験を家久は「家久君上洛日記」として残している
6.耳川の戦い(高城川の戦い)<天正6年(1578年)>が一応メジャーデビュー?
7.伝統ある守護大名出身だから礼儀正しいのだ。
8.実は茶葉の生産量日本2位の鹿児島県。
9.あんなごつい弟いらないと言われても困る許してたもんせ
10.戦前までは四兄弟の中で一番人気があったとか(実話)
11.実際は背が高かったらしいが根拠不明
12.義久とアレな関係だったって噂ですがヾ(^^;)



…わっ、みなさん怒らないで来年からもうしませんから
元ネタ こちら(wikipedia「ももいろクローバーZ」)

拍手[2回]

前の話
・陽和院殿は公家平松家(実はその親戚の交野家)の出身
・結婚前は後光明天皇の女官だったんだよ
…と言う所までは調べたのだが

よく考えれば女官と言うことは公務員だから
実名がなんかの記録に残ってるはずだな、ということに今頃気が付いた。
※官人は位をもらうが(陽和院殿は何位だったか不明、掌侍と言うことは従七位か従五位)、その時に公式書類に実名が書かれる

で、官位をもらった人名一覧と言えば『公卿補任』。ただ、これは男性しか乗ってないので、この女官版はないかと調べてみたら


ありませんでした!_(。_゜)/
むー探し方が足りないのかも。


女官版の『公卿補任』のような物をご存じの方がいらっしゃいましたら、情報お待ちしてます<(_ _)>

拍手[0回]

石原莞爾関連で、何故か幕末のこの事件が疑問に浮上(^^;)
ま、島津に思いっきり関係あるからいいかーヾ(^^;)

上記の事件について知らない人はこちら

戊辰戦争以後、明治時代にはいろいろ言っちゃいけないタブーができたように幕末ドシロウトの私には見える。
例えば「錦の御旗って本物だったの?」とか、「会津藩って最初は官軍だったような気がするんだけどかわいそ」とか
(今放送中の大河ドラマでも後半はそういう描写が出てくると思う、多分)
※間違ってたら皆様の修正御願いします<(_ _)>

で、表題の話。
「幕末、江戸城下が放火とか強盗とかで物騒になってたんだけど、あれって薩摩藩が手を引いてたんだってねー」
…と言うようなお話がおおっぴらに出来るようになったのはいつ頃辺りなんだろうか?
主犯?の相楽総三の名誉が回復されたのが昭和3年(1928年)みたいだから、その辺から解禁されたのだろうか。
詳しい誰かの御教示お待ちしております。

拍手[0回]

おそばせながらBS-TBSの「ライバルたちの光芒」3/20放送分「西郷隆盛vs大久保利通」拝見致しました。

まあ内容は普通だったんですがヾ(--;)
いや、一つだけ普通じゃないところがあった。
久光が二人を回想するというドラマ形式になっていたのだが、そこに久光の嫁+島津斉彬の娘である島津寧子が登場するのである!
島津寧子については拙ブログで触れたことがあるのだが、映像化されたのはもしかして初めてではないだろうか。

…やっている女優さんの年齢が史実より少々高めなんじゃないかという野暮なつっこみはこの際無しにしておきますヾ(--;)

拍手[0回]

カレンダー
05 2026/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新記事
(02/24)
(02/02)
(01/27)
(01/26)
(01/25)
最新コメント
[08/22 พวงหรีด]
[08/20 wine]
[08/19 ขาย ไวน์]
[08/15 The flag shop uae]
[08/11 uniform store]
最新トラックバック
ブログ内検索
プロフィール
HN:
ばんない
性別:
非公開
自己紹介:
初めての方はこちらの説明をお読み下さい。リンク・引用の注意もあります。

プロフ詳細はこの辺とかこの辺とか
カウンター
バーコード
アクセス解析
P R
Template by Crow's nest 忍者ブログ [PR]