拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
去年紹介させて頂いた「義久君上京日記(仮)」こと「天正拾八年自三月至十二月御日記」(「薩藩旧記雑録 後編」2-715『鹿児島県史料 旧記雑録後編2』所収)についてですが
何と先行研究がありました。タイトルはこれです。
「『薩藩旧記雑録』の「譜」とその周辺‐島津義久・天正年中日々記・古今伝授‐」(『東京大学日本史学研究室紀要別冊 中世政治社会論叢』所収)
拙ブログとの関係でこの論文のポイントは
・「義久君上京日記(仮)」の著者を八木正信(嘉竺)と推測していること(p.327)
・日記の記述内容に政治的な話が乏しいのは著者(八木正信)の立場による物ではないか(p.328~329)
以上です
八木正信については以前拙ブログで紹介したことがあります こちら
ほか、「旧記雑録後編」に所収されている島津義久の記録に関して、後世の歴史認識による取捨選択があったのではないかなど興味深い指摘がなされています。
なお、『東京大学日本史学研究室紀要別冊 中世政治社会論叢』ですが、国立国会図書館には所蔵があるようです。他は都道府県立図書館クラスや大学図書館でも所蔵がないようで入手に不便がありますが、国立国会図書館は遠隔コピーサービスが使えます(料金高いですけどね!ヾ(--;))
末尾ながら、この論文を御教示+ご提供下さいました東大史料編纂所・佐藤雄基氏にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
何と先行研究がありました。タイトルはこれです。
「『薩藩旧記雑録』の「譜」とその周辺‐島津義久・天正年中日々記・古今伝授‐」(『東京大学日本史学研究室紀要別冊 中世政治社会論叢』所収)
拙ブログとの関係でこの論文のポイントは
・「義久君上京日記(仮)」の著者を八木正信(嘉竺)と推測していること(p.327)
・日記の記述内容に政治的な話が乏しいのは著者(八木正信)の立場による物ではないか(p.328~329)
以上です
八木正信については以前拙ブログで紹介したことがあります こちら
ほか、「旧記雑録後編」に所収されている島津義久の記録に関して、後世の歴史認識による取捨選択があったのではないかなど興味深い指摘がなされています。
なお、『東京大学日本史学研究室紀要別冊 中世政治社会論叢』ですが、国立国会図書館には所蔵があるようです。他は都道府県立図書館クラスや大学図書館でも所蔵がないようで入手に不便がありますが、国立国会図書館は遠隔コピーサービスが使えます(料金高いですけどね!ヾ(--;))
末尾ながら、この論文を御教示+ご提供下さいました東大史料編纂所・佐藤雄基氏にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
PR
『中江丑吉の肖像
』は、1991年に剄草書房から出版された、中江丑吉本としては最新の物です。…と言っても20年以上前になるのね、1991年は私にとってはついこのあいd(以下自粛)
阪本芳直氏の中江丑吉関連の随筆や論文をまとめた物で、『中江丑吉という人』や『中江丑吉の人間像』等に出てきた物と重複する物が多いです。
この本だけに出てくる今田関連論文は
・三通の未公開書簡について
・今田新太郎-五十年前の一枚のハガキから-
です。
2つとも長文なんで転載はしないヾ(^^;)図書館で借りて読むor古書を買ってみて下さい。
特に下の「今田新太郎-五十年前の一枚のハガキから-」は現在今田新太郎を単独で取り上げた唯一の論文と言ってよい物であり、かつ、柳条湖事件を新たな視点から切り開いている物です…のわりにはこれを使った満州事変論文や本を管見で見たことない…_| ̄|○
当時35歳の今田新太郎が中江丑吉に送った無邪気な内容の手紙(しかし、実は柳条湖事件に関係するいろんな事をバラしてたりする)は必見です。いや新太郎は丑吉になついてるんねー本当にお兄さんと思ってたのねー…と言う事を感じさせます。男兄弟いなかったからかな新太郎。
…
この手紙だけでもピックアップしてみるか。原文は漢字カタカナ交じりですが、変換面倒なので漢字ひらがな交じりでいく。
・上海の宮本さん:満鉄の宮本通治氏か?(阪本芳直氏注)
・北平:現在の北京のこと。
・原さん:満鉄の原武氏か?(阪本芳直氏注)
・妹の桜:新太郎の妹、結婚して「渡部」姓に。
・亭主は外遊中:桜の夫は仕事でヨーロッパに出張に行っていたが、その出先で満州事変勃発を知り、「これは日本の陰謀である」旨の現地新聞記事切り抜きを妻の桜に送っている。あと、日本円が一気に下落したのですごく苦労したらしい…(「今田新太郎-50年前の一枚のハガキから-」)
・斉藤博士:斎藤茂吉
・ほのぼのと諸国:原文ママ
・転書:おそらく「添書」の間違い(阪本芳直氏注)
・笠山大夫:笠山医師
・下女:今田は今回の転勤の際、女中を連れて行った。詳細拙ブログこの記事
・書生:雄峰会の片岡駿。戦後も右翼運動家として活躍した。
・もう一人書生:雄峰会の奥戸足百。片岡同様戦後も右翼活動家として活躍。なお神兵隊事件で投獄されている。
阪本芳直氏の中江丑吉関連の随筆や論文をまとめた物で、『中江丑吉という人』や『中江丑吉の人間像』等に出てきた物と重複する物が多いです。
この本だけに出てくる今田関連論文は
・三通の未公開書簡について
・今田新太郎-五十年前の一枚のハガキから-
です。
2つとも長文なんで転載はしないヾ(^^;)図書館で借りて読むor古書を買ってみて下さい。
特に下の「今田新太郎-五十年前の一枚のハガキから-」は現在今田新太郎を単独で取り上げた唯一の論文と言ってよい物であり、かつ、柳条湖事件を新たな視点から切り開いている物です…のわりにはこれを使った満州事変論文や本を管見で見たことない…_| ̄|○
当時35歳の今田新太郎が中江丑吉に送った無邪気な内容の手紙(しかし、実は柳条湖事件に関係するいろんな事をバラしてたりする)は必見です。いや新太郎は丑吉になついてるんねー本当にお兄さんと思ってたのねー…と言う事を感じさせます。男兄弟いなかったからかな新太郎。
…
この手紙だけでもピックアップしてみるか。原文は漢字カタカナ交じりですが、変換面倒なので漢字ひらがな交じりでいく。
御研究連日のこと、存じますが、御身御大切に祈り上げます。先日上海の宮本さんから手紙ありました。北平の原さん彼の地に行かれたそーです。私の妹の桜という婆々(亭主は外遊中)が目下斉藤博士(ほのぼのと諸国)の弟子で通ってますが、同博士が北平に行ったとき、誰からか転書を貰って「あなた」に面会のはずのところ、其機がなくて残念だとか妹に言ったそうです。多分笠山大夫の「かべ」にあった歌は其時かなと存じます。私、目下下女一、書生一、来月もう一人書生が来る筈です。頗る「のんき」にかまへてますが、性来の鈍物、ちっとも頭の方がすすみません。折角御加餐の程祈ります。<余り当てにならない補足>
四月二十九日 拝呈
・上海の宮本さん:満鉄の宮本通治氏か?(阪本芳直氏注)
・北平:現在の北京のこと。
・原さん:満鉄の原武氏か?(阪本芳直氏注)
・妹の桜:新太郎の妹、結婚して「渡部」姓に。
・亭主は外遊中:桜の夫は仕事でヨーロッパに出張に行っていたが、その出先で満州事変勃発を知り、「これは日本の陰謀である」旨の現地新聞記事切り抜きを妻の桜に送っている。あと、日本円が一気に下落したのですごく苦労したらしい…(「今田新太郎-50年前の一枚のハガキから-」)
・斉藤博士:斎藤茂吉
・ほのぼのと諸国:原文ママ
・転書:おそらく「添書」の間違い(阪本芳直氏注)
・笠山大夫:笠山医師
・下女:今田は今回の転勤の際、女中を連れて行った。詳細拙ブログこの記事
・書生:雄峰会の片岡駿。戦後も右翼運動家として活躍した。
・もう一人書生:雄峰会の奥戸足百。片岡同様戦後も右翼活動家として活躍。なお神兵隊事件で投獄されている。
今田新太郎よりマイナーだと思われるのだが、実はwikipediaにはもう単独立項されてるという…_| ̄|○
でも、知らない人の方が多いと思うので簡単に説明してしまうと
・張作霖爆殺事件の実行犯
・満州移民の提案者
です…
特に、満州移民を実際に提案して推進したと言う事で戦前には神の如くあがめ奉られたのです
が
ご存じのように、終戦を目前にして、ソ連の満州侵攻により「満州国」が崩壊すると、移民の大半が這々の体で逃げ…というか無事逃げられた人なんかほとんどなく、財産を失っただけならまだマシな方で、一家離散、生き残った子供が「孤児」となってその後の中国で悲惨な人生を送った人が多かったのは記憶に新しいかと思います。
-その結果「東宮鉄男」は一転して恨みの対象となり、名前をいうのすらおもんばかられる対象となったのでした。
唯一の幸運?は鉄男自身は日中戦争でとっくに戦死していて、非難を直接受けなかったことでしょうかね…。
なお、名前がかなり立派なのに驚く方が多いと思いますが(というかわたしがそう)、「東宮」は”とうぐう”じゃなくて”とうみや”とよび、今でも群馬県で旅館を経営されたりしている結構な名士一族のようです。「東宮鉄男」で検索するとご親族のブログなどがぽつぽつヒットします。2006年頃にNHKの下請け会社の攻勢に根負けされ?東宮鉄男の遺品や日記を公開されて、それがNHKスペシャルで紹介されてかなり反響を呼んだようです。
こちらのブログに写真が載ってます。名は体を表す。
※ちなみにこのリンク先のブログの管理者氏はあの樋口季一郎(石原莞爾の若いときの友人で、のち満州に逃れてきた大量のユダヤ人を救ったと言われる)の親戚だそうです。
さて、今田ネタでなんでいきなり関係があるようでないようなこの人を出してきたかというと、
今田新太郎はこの人が死んだときに弔文を書いているのですよ。
でも、知らない人の方が多いと思うので簡単に説明してしまうと
・張作霖爆殺事件の実行犯
・満州移民の提案者
です…
特に、満州移民を実際に提案して推進したと言う事で戦前には神の如くあがめ奉られたのです
が
ご存じのように、終戦を目前にして、ソ連の満州侵攻により「満州国」が崩壊すると、移民の大半が這々の体で逃げ…というか無事逃げられた人なんかほとんどなく、財産を失っただけならまだマシな方で、一家離散、生き残った子供が「孤児」となってその後の中国で悲惨な人生を送った人が多かったのは記憶に新しいかと思います。
-その結果「東宮鉄男」は一転して恨みの対象となり、名前をいうのすらおもんばかられる対象となったのでした。
唯一の幸運?は鉄男自身は日中戦争でとっくに戦死していて、非難を直接受けなかったことでしょうかね…。
なお、名前がかなり立派なのに驚く方が多いと思いますが(というかわたしがそう)、「東宮」は”とうぐう”じゃなくて”とうみや”とよび、今でも群馬県で旅館を経営されたりしている結構な名士一族のようです。「東宮鉄男」で検索するとご親族のブログなどがぽつぽつヒットします。2006年頃にNHKの下請け会社の攻勢に根負けされ?東宮鉄男の遺品や日記を公開されて、それがNHKスペシャルで紹介されてかなり反響を呼んだようです。
こちらのブログに写真が載ってます。名は体を表す。
※ちなみにこのリンク先のブログの管理者氏はあの樋口季一郎(石原莞爾の若いときの友人で、のち満州に逃れてきた大量のユダヤ人を救ったと言われる)の親戚だそうです。
さて、今田ネタでなんでいきなり関係があるようでないようなこの人を出してきたかというと、
今田新太郎はこの人が死んだときに弔文を書いているのですよ。
別件で検索中にこんなHP発見。
近代日本史料研究会
日本近代の重要人物の研究データベースなども作っているらしい。
『近現代日本人物史料情報辞典』という書籍も発行されたようだが…
今田新太郎は現在収録項目にも上がってないし、今後も収録予定もないようだ_| ̄|○ しくしく
近代日本史料研究会
日本近代の重要人物の研究データベースなども作っているらしい。
『近現代日本人物史料情報辞典』という書籍も発行されたようだが…
今田新太郎は現在収録項目にも上がってないし、今後も収録予定もないようだ_| ̄|○ しくしく
偶然こんな記事を見つけたのであった
拙ブログ関連ネタ こちら
あと隆文氏が京都出身とはしらんかった 実は島津本宗家先代当主(島津忠秀)も京大出身だし、なにげに京都と縁のある近代島津家。
おまけ
実はこの記事「半グレ集団「怒羅権」組織名に日本への怒りや同胞団結込める」の関連記事だった⊂(。Д。⊂⌒`つ マフィアの関連記事になんでこれが
西郷隆盛の曾孫 「まだ『島津さん』とは呼べません」〈週刊朝日〉うへあ
dot. 8月25日(日)11時43分配信
江戸幕府を倒幕させ、“近代日本建国”の立役者の一人となった西郷隆盛。その曾孫である陶芸家の西郷隆文氏は、隆盛時代からお世話になっている島津本家には、絶大な信用を置いているという。
* * *
流罪で奄美大島にいた西郷隆盛と、妻・愛加那(あいかな)との間にできた菊次郎が、私の祖父になります。父は京大で航空機の研究をしていたので、小さいころは京都でした。中学3年のとき、鹿児島に引っ越し、大学卒業まで住んでいました。鹿児島にいても、隆盛のひ孫だということは意識しませんでしたね。高校生くらいのときは、あえて考えないようにしていたのかな。
意識したのは20歳になる直前のこと。パチンコ屋でチンピラとケンカして殴られ、ひどい顔をして帰ったんです。そうしたらおふくろにこう言われました。
「二十歳(はたち)をすぎて悪さをすると新聞に名前が載るよ」
西郷という名前を継いで、これはまずいなと。それから悪いことはしていません。
大学卒業後は東京のアパレルメーカーに就職しました。25歳で帰郷し、陶芸家になるべく地元の窯元で修業をしました。30歳になり、独立のため窯を構える場所を探していたときのことです。おふくろの母であるばあ様がこう言いました。
「日置へ行たみゃんせ(行ってみなさい)。墓守どんの小屋があっはずじゃ」
日置島津家の菩提(ぼだい)寺である鹿児島県日置市の大乗寺跡のことでした。行くと確かに古い小屋がある。ここに私の仕事場である「日置南洲窯」を開きました。
おふくろは日置島津家から西郷家へ嫁に来たんです。関ケ原の合戦で有名な「敵中突破」で帰還した、義弘公の弟・歳久公を祖とする家系です。先代の16代当主がおふくろの弟です。
島津本家の現当主は、32代の修久(のぶひさ)先生です。たまにお会いしますが、語りや立ち居振る舞い、すべてが殿様にしか見えない。「さん」付けでは私はとても呼べず、修久先生のほか、修久様か修久公と呼んでいます。もう普通の敬意を通り越している。「腹を切れ」と言われたら切るかもしれません。それくらい信頼しています。
宗主であることと、隆盛時代からお世話になっているというのもある。薩摩気質なんでしょうね。一度信用した上の人を絶対に裏切らないし、その人の言うことしか聞かない。そして、上の人は出世すると下を引っぱり上げる。これが「薩摩の芋づる」です。
隆盛が言う「敬天愛人」の精神は菊次郎にも引き継がれていました。台湾で都守を務めたとき、“西郷堤防”と名づけられた堤を造りました。洪水に悩んでいた人々に感謝され、現地に菊次郎の徳政をたたえる石碑があります。
もうひとつ、父が話してくれた隆盛の言葉があります。
「迷ったときは、損するか得するかではなく、善いか悪いかで決めろ。そうすれば、おのずと答えは出る」
これだけは私も守っています。
※週刊朝日 2013年8月30日号
(下線はばんないによる補足)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130825-00000002-sasahi-soci
拙ブログ関連ネタ こちら
あと隆文氏が京都出身とはしらんかった 実は島津本宗家先代当主(島津忠秀)も京大出身だし、なにげに京都と縁のある近代島津家。
おまけ
実はこの記事「半グレ集団「怒羅権」組織名に日本への怒りや同胞団結込める」の関連記事だった⊂(。Д。⊂⌒`つ マフィアの関連記事になんでこれが

