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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
まず、今回の主人公・牟漏女王とはどんな人物なのか?
彼女は、前回までの主人公・県犬養橘三千代と最初の夫・美務王との間に産まれた唯一の娘です。
しかし!彼女を単独で取り上げた論文はほとんど無し!森田俤氏の奈良時代のお経の研究で少し出てくる程度で、ほとんどが母・橘三千代か夫・藤原房前の関わりで名前が出てくる程度なのです。
牟漏女王は、その程度のレベルでしか語れない女性なのでしょうか?
実は、奈良時代の政治に深く関わった女性の一人が彼女であると、私は考えています。

牟漏女王の生年は分かりませんが、前に橘三千代の所で述べたように、牟漏女王の最初の子供の生年(藤原永手・和銅7年(714年)生)から、このように推定できます。
このころの女性は13歳で結婚は許されました(律令の規定による)。
で、14歳で牟漏女王が藤原永手を生んだとすると、牟漏女王の生年は文武天皇4年(700年)となります。
しかし、この最下限の推定には無理があります。
というのは、この翌年には牟漏女王の妹・藤原安宿姫が生まれております。名前を見て頂ければすぐに分かりますが、安宿姫は牟漏女王とは父親が違う異母妹でした。一年違いで父違いの子供を産む…(^^;)物理的に不可能ではないですが、お正月で一歳繰り上がるこの時代の「一年違い」というのは、12月31日と翌年の1月1日生まれで「一歳違い」というのもあり得ますからねえ…。ちと、考えにくい。
ということで、16歳から20歳の間で藤原永手を産んだと仮定して、推定 持統天皇6年(693年)~文武天皇2年(697年)頃生まれとするのが通説となっているようです。

さて、牟漏女王の母・橘三千代については既に述べましたが、
牟漏女王の父・美務(みぬ)王とはどんな人物だったのでしょう?

敏達天皇―難波皇子―大派王―栗隈王―美務王 ┌葛城王(後の橘諸兄)
│  │
├──┼佐為王(後の橘佐為)
│  │
県犬養三千代 └牟漏女王


美務王について語るには、まず美務王の父・栗隈王について語る必要があるでしょう。
栗隈王は、一度も皇位争いに絡まなかった傍流の皇族、難波皇子の孫に当たります。但し、栗隈王の父「大派(おおまた)王」という人物の所在が『日本書紀』では確認できませんし、敏達天皇の皇子「大派皇子」と混同されている可能性もあるので、そうすれば栗隈王は傍流とは言え天皇の孫になるわけですね。
栗隈王の経歴は余り確認できませんが、672年の「壬申の乱」の時点では「筑紫大宰(つくしのおおみこともち)」という、後の「太宰師(ださいのそつ)」に当たる役職におりました。日本と唐と新羅の三角関係で緊張して
いるこの時期、この役職は重職です。ここから考えるに栗隈王はなかなかの軍事才能を持っていたと考えられるでしょう。
さて、「壬申の乱」の際、大友皇子の使者が筑紫にやってきました。大海人皇子と戦うため、自分に加勢するよう督促に来たのです。
ところが!栗隈王は
「今は日本、唐、新羅が緊張している難しい時期だからここから動けない」
と消極的な姿勢を示し、息子の美務王がこの使者を追い返してしまったというのです。
その後、栗隈王は676年に亡くなりますが、「壬申の乱」の際大友皇子に味方しなかったことから、後に「従二位」という高い位を追号されています。
息子の美務王も同様です。美務王はほとんどを父の役職の影響か、筑紫の役人として一生を過ごしました。

既に「橘三千代」の項で述べましたが、このような美務王の立場に注目して結婚したのが、少壮の宮廷女官・県犬養三千代であります。
2人の間の最初の子・葛城王(後の橘諸兄)は天武天皇13年(684年)生まれですから、2人の結婚は天武12年(683年)以前にさかのぼります。
美務王は、壬申の乱の時に既に父親の護衛として活躍しているくらいでしたから、この時30歳半ばは越えていたと考えられます。この時代ではかなり遅い結婚です。

美務王は筑紫の役人・県犬養三千代は宮廷女官と言うことから、美務王は単身赴任が多かったようです。
そして、その間に三千代に近づいた男がおりました。藤原不比等であります。
この時期がいつかはっきりしませんが、持統末年頃から文武初年頃と考えられております。
…あれ?この時期と言えば、今回のヒロイン・牟漏女王が産まれたと考えられる時期ではありませんか!
黛敏道氏などは、はっきりこう書いております。
「牟漏女王などは、父親が藤原不比等である可能性すらある」
要するに、「父の分からない子」という悪評ですね。
実際にはどのような風評が経ったか?という史料は全く残っておりません。
しかし、黛氏のようなことが、牟漏女王が産まれた頃に言われなかったとも否定できないのであります。

ともかく
牟漏女王が物心付く頃には、既に実の父と母は離婚してまして、父の恋敵が義理の父としていたわけですね。しかも、自分のホントの父が誰かという疑惑もある???
家族事情が今とはずいぶん違う1300年前の昔とは言え、このような複雑な環境が牟漏女王を苦しめたことは言うまでもないでしょう。

…つづく

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