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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
今回のネタの五郎丸保という人物を名前だけでも知ってたらかなりの日本近現代史通。
今をときめくラグビーのあの人の親族かどうかは不明です が かなりの珍名字なのでその可能性はなきにしもあらずかも知れない。
なお昔々「源五郎丸洋」というのがおりましてな(^^;)というと年齢と出身地がばれるヾ(--;)


拙ブログで「五郎丸保」という人物について、少しだけ触れたことがある。 写真はこちら
恐らく満州青年協会の関係者で山口重次に近く、浅原健三とは不仲だったと言う事までは分かるが、それ以外のことはさっぱり…

拙ブログへのアクセス履歴を見ていると、たまにこの人物関係でたどり着く人がいるようだ。
ちょっと気になったので検索してみた。
・戦中に大日本興亜協会なる団体の役員になっているらしい。参考こちら
戦後は亜細亜大学の理事になっている。昭和29年(1954年)~昭和31年(1956年)の間のこと。その後は再選されなかったようす。
国立国会図書館に所蔵されている石原莞爾の関係史料は元々はこの五郎丸の持ち物だったらしい。所蔵経緯については説明がなかったので不明(なんだが、山口重次史料同様古本屋から救済のパターンだろうか)

「大日本興亜協会」は名前から見て翼賛的な性格を持っていたところではないかと推測されますが、これがネットで検索しても余り良く分からなかった…。戦後亜細亜大学の理事を短期間ですが務められたのはこの大日本興亜協会の縁による物と思われます(※亜細亜大学は「興亜専門学校」という学校の後裔という)

と言う事で、やっぱり石原莞爾と浅原と今田を酷い目に会わせるきっかけを作ったという以外の事蹟はあんまりよくわからんかったです(爆)
ただ戦中はそれなりの団体の役員になり、戦後もちょっとではありますが亜細亜大学の理事もやってたくらいなんで、満州国協和会を失意のまま去り、戦後書いた回想録は出版元によって跡形もなく改竄されたという山口重次に比べたら幸せな人だったんじゃないでしょうか、たぶん。
※ということでこの人同様情報求む。コメントお待ちしてまーす。

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