大河ドラマもぐだぐだしつつ(ヲイ)50周年なんだそうです…
で、それの記念番組ということで拝見しました。
一番のメインイベントは公式サイト+携帯(本番中のみ)のネット投票による
「私が選ぶベスト大河」
たぶん、“本当にベストな作品な大河“じゃなくて”最近放送された受けのよい大河”ばかりで埋め尽くされるんだろうなとは予想していたのですが、案の定そうなった
ばかりでなく
1位がとんでもなくみんなの予想を外した作品になったのにはビックリ。
スタジオにいた出演者の目も点になった+それをまるでなかった放送事故のように淡々と受け流した渡邉あゆみアナの司会っぷりに大爆笑してしまいました(^^;)
気になる投票結果は こちら です。
最近の作品ばかりの中、平成3年(1991年)放送の「太平記」がランクインしたのは大健闘というべきでしょう。「独眼竜政宗」(昭和62年(1987年)放送)は貫禄のランクイン入りですね。
他感想など
あと、昨日のニュースに今頃反応して本当に済みません…
こういう事があるから歴史は面白い1250年…幻の大刀 聖武天皇ゆかりの品だった 奈良・東大寺出土 (1/2ページ)
このニュースのトピックス:歴史・考古学正倉院の宝物だったことが判明した東大寺大仏殿からの出土品で国宝「金堂鎮壇具」の金銀荘大刀二振。左が陽剣、右が陰剣(頼光和弘撮影)=25日午後4時28分、奈良県生駒市の元興寺文化財研究所保存科学センター(頼光和弘撮影)
奈良市の東大寺大仏の足下から明治40年に出土した国宝・金堂鎮壇具(こんどうちんだんぐ)の金銀荘大刀(きんぎんそうのたち)2本が、同寺を創建した聖 武天皇没後に妻の光明皇后が大仏に献納し、その後約1250年にわたって行方が分からなくなっていた「陰寶劔(いんほうけん)」と「陽寶劔(ようほうけ ん)」だったことが分かり、元興寺文化財研究所(奈良市)と東大寺が25日、発表した。2本は、大仏に献納された聖武天皇の遺品目録「国家珍宝帳(こっか ちんぽうちょう)」の大刀の項目の筆頭に記された正倉院宝物。献納後に光明皇后が持ち出し、埋納した可能性が高い。
同研究所によると、 陰・陽寶劔の記載欄にはいずれも献納を取り下げる意味の「除物(じょもつ)」の付箋が張られ、大仏殿竣工(しゅんこう)翌年で光明皇后の死去前年の759 年12月26日に正倉院から出された記録が残っている。除物の付箋がある宝物は7件あるが、所在が判明したのは今回が初めて。
同研究所の X線調査で、大刀のさびついた刀身の内側の根本からそれぞれ「陰劔」「陽劔」という象眼(ぞうがん)された銘文を発見。東大寺によると、大刀はいずれも長 さは約98センチで鞘は漆で塗られ、金や銀の装飾が施されており、光明皇后が756年に聖武天皇の四十九日法要に合わせて献納した陰・陽寶劔と刀身の長さ や装飾の特徴もほぼ一致した。
2本は、明治40年の大仏殿修理の際、本尊・盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)(国宝)の右ひざの下あたりから出土し、金銀荘大刀として同時期に周辺から出土した銀の壺や水晶合子(ごうす)などとともに地鎮のための鎮壇具として昭和5年に国宝指定された。
杉本一樹・宮内庁正倉院事務所長の話 「除物とある宝物の用途が判明した初めての例で非常に重要。残りの金堂鎮壇具も除物された宝物の可能性がある」
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101025/acd1010251959005-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101025/acd1010251959005-n2.htm
ただ土中に埋めるとどうしても保存状態が悪くなるので、個人的な感想を言うと本当はそのまま正倉院に入れて置いて欲しかったなあ、と。
10月11日(月)の晩放送だったのですが、録画したのを本日までにヾ(^^;)拝見しました
…ビデオ録画も1時間超えると切れ切れにしか見られない現状がつらい(つд`)
感想ですが
・現代の奈良を舞台に、当時の再現映像が入る
・現代の発掘現場の画像が入る
・研究者による最新の研究の解説とインタビューが入る
・と思えば、NHKのアナウンサーの実況のような場面も唐突にある
…と、構成が統一されていないので、何か取っつきにくいというか
画面の前で見ている視聴者はしらけちゃうような内容になってましたヾ(^^;)
しかし、平城京遷都1300年記念とはいえ、
「藤原仲麻呂の乱」なんて歴女も喰わないマイナーなお話ヾ(--;)にチャレンジした勇気は買います。
内容ですが、構成が既述の通り統一されてないので分かりにくい印象を受けましたが、NHK得意の
歴史捏造に等しい編集ヾ(--;)は無かったので、それも評価できるかと。
ついでながら、孝謙・称徳天皇役は今年の4月に放送されたNHKドラマ『大仏開眼』の石原さとみじゃなくて、こちらの番組のおばちゃんヾ(--;)のほうが史実に近いかと(^^;) 但し!この番組では奈良時代の乙姫様姿で終始登場の孝謙天皇ですが、実際はこの当時出家してしまってますので、乙姫ルックは不正確です。
個人的には最後に紹介された「藤原仲麻呂の墓」が興味深かったです。江戸時代(安政頃?)に作られたらしい地図に「伝承地」として書いてあったそうなのですが、余呉湖の近く?にあるそうで。
義久はともかく(※亀寿との結婚は豊臣秀吉との命令でもあったので逃げられなかった)、カタリナ夫人の場合、そもそもその娘を側室にしなければこんな大地雷踏むこともなかったわけで。その独裁ぶりや正室亀寿への冷淡さなどから、あまり評判のよくない家久ですが、考えてみれば、舅(義久)と姑(カタリナ夫人)には永年苦しめられた婿さんですね
要は忠恒(家久)は若い女に引っかかりやすいバカだったんですよ(暴言)
…まあ、側室の身辺調査はやっとくべきだったでしょうね、と、そのあたりを突っ込んでいくと私の持ちネタをばら(以下自粛)
今具体的な資料を出せないのですが、かなり前から体調は悪かったような。喉のトラブルを都度都度訴えているので、喉頭癌じゃないかとにらんでますが。ちなみに家久(忠恒)没年は事件発覚後6年経った寛永16年(1638年)ですね。…目の上のたんこぶが無くなってせいせいして寿命が延びたのかな?(苦笑)カタリナ夫人を種子島に追放した前後、家久は病床にあります。もう晩年ですからありえることでしょうが、カタリナ夫人がらみの精神的な心痛が起因ではないでしょうか?


