拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
今回upするのは、今から20年近く前(…)に某所にupしたものです。
最近ちょっと調べ物していたら、検索中に偶然にこの人のことが出て来てこのネタを思い出しました。
…と言う事で、島津氏のネタが書けないので昔の話で胡麻化してみる(ヲイ)
ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。
※なお、20年以上前のデータのため、一部崩れたりする個所がありますが、訂正するのも面倒なのでこのまま再掲します。御了承下さい。
最近ちょっと調べ物していたら、検索中に偶然にこの人のことが出て来てこのネタを思い出しました。
…と言う事で、島津氏のネタが書けないので昔の話で胡麻化してみる(ヲイ)
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※なお、20年以上前のデータのため、一部崩れたりする個所がありますが、訂正するのも面倒なのでこのまま再掲します。御了承下さい。
今日、電車の中で『続日本紀』(講談社学術文庫版の中巻)よんで
発見?!してしまいました。
たぶん、まだどの学者も指摘してない?事だと思うので、先に
唾ツケさせていただきます(--メ)。
*
天平感宝元年の「大仏開眼の詔」の条で、大勢の女性がいきなり無位から位
を授かっております。
ほとんどが橘氏なのですけど、その中に唯一石上氏の女性が混じっておりま
す。この女性の名前が
石上朝臣国守
というのです。まえから
「たぶん女の人の中に混じっているから、女性なんだろうけど、この名前か
らすると男が間違えられたのかなあ」
なんて思っていたのですが、別件で藤原氏の正妻について調べて
いて、やっと気が付きました(^^;)。
藤原宇合の正妻・広嗣、良継の母:石上国盛大刀自
 ̄
『続日本紀』天平感宝元年条 :石上朝臣国守
 ̄
字が違うだけで、読みは一緒じゃないですか。それに、藤原宇合の正妻とな
れば、橘氏(光明皇后の母・橘三千代の一族)と並んで、石上氏でありなが
ら官位をもらっているのが納得できます。
このネタはその後も気になっていたようで、この2年後にもっと長文でネットにupしたようです。
そちらの方も順次紹介します。
ということで、続く(^^;)
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