拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
斎藤知事(もう「前知事」だが)の今までの経過をまとめたいい記事を見つけたのでコピペ
不信任直後に相次ぎテレビ出演、出直し選への布石と知られざる斎藤知事誕生秘話 混迷・兵庫県知事失職㊤
9/27(金) 7:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a5f806406b10c2303d14a529691197615f7fab8?page=1
「噓八百」会見直後、斎藤知事側近は県警本部に走った 混迷・兵庫県知事失職㊥
9/28(土) 7:22配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ad420f22804116ef31157b93d68a41aaadc97b6
候補者乱立で「斎藤再選」の可能性も、思惑入り乱れる出直し知事選 混迷・兵庫県知事失職㊦
9/29(日) 7:32配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/642fe5f6c9702823f8e20624de0eb860a8446adb?page=1
不信任直後に相次ぎテレビ出演、出直し選への布石と知られざる斎藤知事誕生秘話 混迷・兵庫県知事失職㊤
9/27(金) 7:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a5f806406b10c2303d14a529691197615f7fab8?page=1
斎藤元彦は神戸市須磨区出身。名前は地元の有力者だった母方の祖父が付けた。兵庫県知事を昭和37年から2期務め、祖父と親交のあった金井元彦にあやかった。
愛媛県内の中高一貫校に進み、1年の浪人を経て東大に進学。卒業後の平成14年に総務省に入った。地方自治を所管する同省の官僚は潜在的な知事候補。祖父からはこう激励されたという。「いずれは兵庫に戻り、知事になれ」
県選出の自民党国会議員の元秘書が斎藤と初めて会ったのは10年近く前のこと。斎藤はこの頃からたびたび事務所に顔を出すようになった。党内の情勢、次の総裁選…。「自民は今こうなってるんだよと、私から教えてあげることが多かった。今思えば、野心みたいなものがあったんだろう」。総務省での20年のキャリアのうち地方出向が半分以上。本省勤務の少なさが斎藤の知事志向に拍車をかけた、との指摘もある。
■自民と維新からの推薦 離れ業か時流か
前回知事選(令和3年7月)からさかのぼること1年前、自民のベテラン県議、内藤兵衛(ひょうえ)(66)と石川憲幸(のりゆき)(69)は地元選出の参院議員、末松信介(68)から斎藤を紹介された。神戸市内のホテルで斎藤と歓談した2人はすぐに好感を持った。
この頃、自民は知事選の候補者選定で迷走していた。日本中が新型コロナウイルス禍に揺れる中、日本維新の会共同代表で大阪府知事の吉村洋文(49)ら「物言う知事」たちのリーダーシップがひときわ脚光を浴びていた時期。一方、兵庫県政で5期目の終盤に差し掛かっていた井戸敏三(79)は公用車を最高級車「センチュリー」に切り替えたことが悪い意味で注目を集めていた。
兵庫では現職知事が副知事を後継とする「禅譲方式」が約60年間続いていた。井戸の引退が確実視される中、慣例では自民の次期候補は副知事だった金沢和夫(68)になるはずだった。
だが独自候補擁立を模索する維新の動向が、この既定路線に動揺を生じさせた。「センチュリー批判」のただなかにあった井戸の禅譲候補では「維新に勝てない」という危機感があった。
そんな情勢のもと、内藤や石川は県議団の若手に斎藤を引き合わせ、県政に関する勉強会を開いた。いわゆる「ハコもの行政」を否定し「無形の価値。僕はそれでいい」と語る斎藤に、「会うたびに引き込まれた」と内藤は振り返る。県連が金沢支援で固まる中、内藤らは令和3年3月、当時、大阪府財政課長だった斎藤に出馬を要請するに至る。
そんな自民の分裂に乗じたのが、当時の維新代表、松井一郎(60)だった。「自民の一部会派が支援するなら、勝てる」と自民に先んじて党推薦を出した。これに自民の党本部が反応し、最後は国会議員らの主導で斎藤の推薦を決定した。
斎藤は結果的に、「不倶戴天」の敵同士であるはずの自民、維新の両党から推薦を得るという離れ業をやってのけた。「とにかく井戸さんがダメで、若い候補なら勝てた。斎藤の実力というより、時流に見事にはまった」と当時を知る自民の地方議員が指摘する。
「とにかく知事になれと祖父からずっと言われてきたんだろう。総務官僚からそのための道を進み、それだけが目標だった」
辞職の汚名は刻めない-。斎藤が文書問題でどれだけ非難されようと決して辞職しなかったのも「元彦」の名前ゆえと、議員は語った。(文中敬称略)
「噓八百」会見直後、斎藤知事側近は県警本部に走った 混迷・兵庫県知事失職㊥
9/28(土) 7:22配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ad420f22804116ef31157b93d68a41aaadc97b6
3月27日夕、神戸市中央区の兵庫県庁からほど近い県警本部庁舎に県幹部の姿があった。県警の担当者と向き合ったのは、総務部長(当時)の小橋浩一(ひろかず)(60)や県民生活部長(同)の井ノ本知明(ちあき)(57)ら3人。「名誉毀損(きそん)で告訴や被害届を出せないか、知事から相談してこいと言われまして…」。県西播磨県民局長(同)の男性(60)が作成した告発文書をみせ、こう切り出した3人の表情には困惑が浮かんでいた。
この直前、兵庫県知事の斎藤元彦(46)は記者会見で怒りをあらわにしていた。「業務時間中に噓八百含めて、文書を作って流す行為は公務員として失格だ」。斎藤は男性をこき下ろし、文書は誹謗(ひぼう)中傷に当たるとして「被害届や告訴なども含めて法的手続きを進めている」と宣言した。
だが、文書はその斎藤自身のパワハラ疑惑などを告発したもの。公益性があり、立件は難しいとの県警側の感触を得ると、以降、斎藤が自ら告訴に言及することはなくなった。
3年前、知事就任にあたって「ボトムアップ」を掲げた斎藤。就任時には職員に向け「失敗を恐れないで。失敗したら私が責任を取る」とメッセージを送った。ある中堅職員はこの言葉に期待を抱いたが、ほどなく失望に変わったという。
就任直後、斎藤が設置したのは、知事の肝煎り政策を進める「新県政推進室」。トップの室長には、後に県警本部に走ることになる小橋が就き、井ノ本も室次長に名を連ねた。
同じく室次長となった現産業労働部長の原田剛治(こうじ)(56)、9月に副知事として招かれた片山安孝(64)を含めた4人は、総務省キャリアだった斎藤の宮城県庁勤務時代に、東日本大震災の復興支援で宮城に派遣されるなどしていて知己を得た間柄だ。
次第に県政の重要事項は、斎藤とこの4人の間で決められるようになった、と職員や県議らは口をそろえる。小橋、井ノ本、原田は昇進を重ね、県庁内の枢要なポストを占めていく。斎藤と4人の蜜月ぶりは、宮城県名物をもじって「牛タン倶楽部」と呼ばれた。
「就任時には部局に任せますと言っていたが、結局はトップダウンだった」。斎藤に近い県議は、その運営手法をこう評する。象徴として挙げるのは、斎藤が自身の功績としてアピールする県庁舎の建て替えだ。
県庁舎は前知事、井戸敏三(79)の時代に建て替えを含めた再整備が決まった。だが、斎藤は就任4カ月後の令和3年12月に凍結を表明。井戸の時代から事業費が約1千億円に上振れしており、「県民の理解を得られない」とした。
大規模な支出を伴う事業は止めたが、その後がなかなか決まらない。庁舎の一部は耐震性の問題で解体する必要があり、現状維持の選択肢はない。5年3月、ようやく斎藤が打ち出したのはテレワークの推進により職員の出勤率を4割とし、庁舎をコンパクト化する案だった。
「みんな絶句した。冗談かと思った」。職員の一人が振り返る。県庁は大規模災害時に司令塔の役割が求められる。阪神大震災を経験した職員にとって、斎藤のプランは寝耳に水だった。
「事業を凍結するのは正しい判断だったと思う。ただ、いきなり4割出勤といえば混乱を招く。丁寧さが必要だった」。県議はこう指摘した。
「徹底的に調べてくれ」。今年3月21日、告発文書を入手した斎藤は知事室に牛タン倶楽部の4人を招き、こう指示したという。
人事の硬直化、根回しやコミュニケーションの不足…。斎藤県政のゆがみは、冷静さと客観性を欠いた「告発者捜し」として表出し、不信任の大きな要因となった。
候補者乱立で「斎藤再選」の可能性も、思惑入り乱れる出直し知事選 混迷・兵庫県知事失職㊦
9/29(日) 7:32配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/642fe5f6c9702823f8e20624de0eb860a8446adb?page=1
「こういう状況になったことは…申し訳ないなという思いで…あの、自分自身に対して悔しい思いです」
兵庫県議会の自民党会派などによる辞職申し入れを翌日に控えた9月11日の午後、定例記者会見に臨んだ兵庫県知事の斎藤元彦(46)は開始から約1時間後、突然声を詰まらせ、涙ぐんだ。
令和3年の前回知事選で自民と日本維新の会の推薦を得て初当選を果たした斎藤に対し、維新はすでに会見の2日前、辞職要求と出直し知事選の実施を申し入れていた。
自民を含む全86県議から退場を迫られる事態にあって、斎藤は3年前に自身に出馬を要請した自民県議3人の実名を挙げ「先生方には心から感謝している」と述べた。
これを聞いた維新県議は、ほくそ笑んだ。「自民と知事。維新の名前は出ないほうがいいねん」
3年前の知事選で斎藤は松井一郎(60)や吉村洋文(49)ら当時の維新幹部の応援を受けた。就任後に知事報酬の削減など「身を切る改革」や将来世代の支援を進める一方、重要政策を根回しなく発信する姿勢は、揶揄(やゆ)を込めて「維新知事」と評された。
当の維新側も、国政と地方の選挙で党勢を拡大している間は、それに乗った。「維新県議団は知事与党」。告発文書問題発覚後の今年4月に至っても、県組織「兵庫維新の会」代表で参院議員の片山大介(57)は、そう言ってはばからなかった。
しかし文書問題で告発者を特定して処分した斎藤の対応に批判が集まる中、県議会調査特別委員会(百条委員会)の設置に維新県議21人全員が反対し「斎藤擁護派」のイメージが拡散すると、一気に守勢に立たされた。
本拠地・大阪の選挙で敗北が相次ぎ、党内から「文書問題の対応が後手に回った影響だ」との批判が噴出。調査優先の方針を転換し、他会派に先駆けて辞職を要求したのも、斎藤擁護派のイメージを払拭する思惑があったからにほかならない。
一方の自民。もとをただせば、3年前の知事選は一枚岩でなかった。維新が独自候補を擁立すれば、自民候補と目されていた当時の副知事では勝てないとの見方が一部で強まり、斎藤を支持する県議11人が会派を離脱して擁立に走った。維新勢力の県内への伸長を警戒した国会議員が同調し、斎藤の党本部推薦を決めた経緯がある。
昨年4月、自民は会派を統一したが、しこりは残る。百条委設置の採決では足並みがそろわず1人が反対。不信任決議案の提出にあたっては、最大会派として主導する動きはみられず、立憲民主党議員らでつくる第4会派「ひょうご県民連合」に引っ張られる形になった。
全会一致の不信任決議も斎藤に辞職を決断させるに至らず、主導権を握られた形で出直し選に突入する自民は独自候補擁立を模索する一方、他党との相乗りの可能性も否定していない。ベテラン県議は「こんな短期間で決める候補でいいのか。準備不足だ」と憤る。
維新は独自候補を擁立する方針。県民連合は政党色を出さずに候補者を支援する考えで自民、公明に連携を呼びかける。県民連合の県議は「今回は資質、人物の問題。県民に責任を持てる知事を誕生させる」と息巻く。
3年前と構図は一変するものの、各党の思惑が複雑に絡む点は出直し選も同じ。ただ情勢は流動的で、候補者が乱立すれば「『斎藤再選』の可能性も否めない」とある県議は危機感を募らせる。
県政の刷新を掲げる斎藤が知事就任後3年余りで講じた政策の評価も定まらない中、有権者は、斎藤県政継続の是非について判断を迫られる。選挙によって県民の負託を得た知事は現下の混迷に終止符を打てるのか。答えはまだ見えない。(敬称略)
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