拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
本の著者・秦郁彦は日本現代史研究家の重鎮、昭和32年(1957年)に花谷正にインタビューし、満州事変が自作自演だったことを暴いたことで著名。
この本は昭和57年(1982年)6月25日、文藝春秋社より発行。
今田に関係がありそうな所もなさそうなところも興味深いところをピックアップ。
ではまいる。
※下の「つづきはこちら」をクリック
この本は昭和57年(1982年)6月25日、文藝春秋社より発行。
今田に関係がありそうな所もなさそうなところも興味深いところをピックアップ。
ではまいる。
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諸史料(島津側の史料も含め)もタイトルのように書いてあるので、そのまま素直に考えていたの
だが
改めてみたら、これは変じゃん。
陽和院殿が島津光久と結婚した年:万治2年(1659年)
平松時庸死去:承応3年(1654年)
結婚する5年も前に養父死んどる~⊂(。Д。⊂⌒`つ
ひとつの考えとしては、陽和院が養女になったのは結婚を機にした物ではなく、女官になったタイミングではないかと。
女官の任官年がはっきり分からないのが難点だが、後光明天皇の薨去年(承応3年(1654年))以前には下がるが…。
今ひとつの考えは、実際は平松時庸の息子・時量の養妹だった、という物。実は、この時量という人はかなりやり手だったようで、自家を興隆させるために、門葉でありかつ親しい関係でもあった近衞基凞に願い出て、平氏(平松家は平家末裔)遠祖の日記「兵範記」をもらい受けるなど、活発に活動していた。そんな時量が、従兄弟・陽和院と島津光久の縁談をまとめ、更に陽和院を自分の兄弟としたことは十分あり得る。
さあ、真相はどっち?
だが
改めてみたら、これは変じゃん。
陽和院殿が島津光久と結婚した年:万治2年(1659年)
平松時庸死去:承応3年(1654年)
結婚する5年も前に養父死んどる~⊂(。Д。⊂⌒`つ
ひとつの考えとしては、陽和院が養女になったのは結婚を機にした物ではなく、女官になったタイミングではないかと。
女官の任官年がはっきり分からないのが難点だが、後光明天皇の薨去年(承応3年(1654年))以前には下がるが…。
今ひとつの考えは、実際は平松時庸の息子・時量の養妹だった、という物。実は、この時量という人はかなりやり手だったようで、自家を興隆させるために、門葉でありかつ親しい関係でもあった近衞基凞に願い出て、平氏(平松家は平家末裔)遠祖の日記「兵範記」をもらい受けるなど、活発に活動していた。そんな時量が、従兄弟・陽和院と島津光久の縁談をまとめ、更に陽和院を自分の兄弟としたことは十分あり得る。
さあ、真相はどっち?
田中隆吉の本で、もう一冊気になるのがあったので借りてみました。
『裁かれる歴史』と言うタイトルです
が
地元の図書館には初版本しか所蔵してなかった。「初版本」と言えば普通レア度が高い貴重品…と思われがちですが、何しろこの本が出たのは戦後まもなくの昭和23年。
紙がぼろぼろ。
よくこの本崩壊せずに残った物である(※ただし表装はし直されていました)
ページをめくる度になんか紙がぽろぽろ粉になるような気が…
内容自体は前の『敗戦をつく』と同様で東条+武藤批判で埋め尽くされていますが、内容は意外にかぶっていません。
そして今田ネタは残念ながら無かったのですが_(。_゜)/、意外な人物の話が…
表題に書いた「茂川秀和」と言う人物の話です。彼は今田とは陸軍士官学校同期(30期)、「今田新太郎君を偲う」(高嶋辰彦、『追悼録』(陸士三〇期生同窓会)所収)によれば、今田とは親友で、当初は今田の追悼文も彼が書く予定だったらしい位の中だったようです。ただし、茂川が病気で倒れてしまったため、高嶋に白羽の矢が立ったとのこと。
茂川に関する記事は今田より更に少ないような気がするので、この記録は貴重な物…が、何しろモンスター田中隆吉の書くことですからねえ…
ではまいる。
『裁かれる歴史』と言うタイトルです
が
地元の図書館には初版本しか所蔵してなかった。「初版本」と言えば普通レア度が高い貴重品…と思われがちですが、何しろこの本が出たのは戦後まもなくの昭和23年。
紙がぼろぼろ。
よくこの本崩壊せずに残った物である(※ただし表装はし直されていました)
ページをめくる度になんか紙がぽろぽろ粉になるような気が…
内容自体は前の『敗戦をつく』と同様で東条+武藤批判で埋め尽くされていますが、内容は意外にかぶっていません。
そして今田ネタは残念ながら無かったのですが_(。_゜)/、意外な人物の話が…
表題に書いた「茂川秀和」と言う人物の話です。彼は今田とは陸軍士官学校同期(30期)、「今田新太郎君を偲う」(高嶋辰彦、『追悼録』(陸士三〇期生同窓会)所収)によれば、今田とは親友で、当初は今田の追悼文も彼が書く予定だったらしい位の中だったようです。ただし、茂川が病気で倒れてしまったため、高嶋に白羽の矢が立ったとのこと。
茂川に関する記事は今田より更に少ないような気がするので、この記録は貴重な物…が、何しろモンスター田中隆吉の書くことですからねえ…
ではまいる。
いつも拝見させて頂いている某ブログにて、興味深い記事が書かれていたので抜粋してみる。
耳に、いや目に痛い…
ちなみにこのブログを書かれている方は、国際政治学というか政治戦略学というか、そういう方面の専門の方です(つまり非歴史学者。)
※なお、万が一迷惑がかかること+拙ブログとはかなり分野違いのブログなので、アドレスは敢えて提示しません。
・「歴史家」ってずるいぞ
・どうもこの人達の話しぶりは「神の視点」からの意見のように感じられる
・歴史家はこの後の結果を知っていて、後付けで物事を見ることが出来る ところがそういう有利さを忘れて?まるで神様のようにこの時の出来事を分析したりする
・この視点では、当事者が先の見えない中で試行錯誤していたという視点がすっぽり抜け落ちている
・その結果、歴史家達は過去の人々の失敗を第三者的な感覚でボロクソにけなしている
・…が、この歴史家達が実際その当時に放り込まれたら何にも出来ない→人のこと言えるのかよ
…かなり乱暴なまとめですが、こんな所でしょうか。
誰とは言いませんが、この第三者的な立場に立って見事に客観的に-そして当事者の立場を考慮せずに-歴史を語っているプロの歴史学者を、私も大勢見てきました。もしかしたら私もうっかりそういう気分で駄文をつらねているかも知れません。今後教訓として戒めていきたいと思います。
耳に、いや目に痛い…
ちなみにこのブログを書かれている方は、国際政治学というか政治戦略学というか、そういう方面の専門の方です(つまり非歴史学者。)
※なお、万が一迷惑がかかること+拙ブログとはかなり分野違いのブログなので、アドレスは敢えて提示しません。
・「歴史家」ってずるいぞ
・どうもこの人達の話しぶりは「神の視点」からの意見のように感じられる
・歴史家はこの後の結果を知っていて、後付けで物事を見ることが出来る ところがそういう有利さを忘れて?まるで神様のようにこの時の出来事を分析したりする
・この視点では、当事者が先の見えない中で試行錯誤していたという視点がすっぽり抜け落ちている
・その結果、歴史家達は過去の人々の失敗を第三者的な感覚でボロクソにけなしている
・…が、この歴史家達が実際その当時に放り込まれたら何にも出来ない→人のこと言えるのかよ
…かなり乱暴なまとめですが、こんな所でしょうか。
誰とは言いませんが、この第三者的な立場に立って見事に客観的に-そして当事者の立場を考慮せずに-歴史を語っているプロの歴史学者を、私も大勢見てきました。もしかしたら私もうっかりそういう気分で駄文をつらねているかも知れません。今後教訓として戒めていきたいと思います。

