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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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雑談
拙ブログのアクセス記録を見ていたら、某日に「ec2-5○-6○-15○-20○.ap-northeast-1.compute.amazonaws.co」と言うIPアドレスから10分間ぐらいの間にものすごい回数で見られていたのな。
あんまり見かけないIPアドレスなんで、調べてみると、どうもここからのアクセスらしい…(○。○)
ここはそんな所に勤務している様な人が見るような大層なこと書いているブログじゃないはずなんですが?!



…気を取り直して
とても古い話ですが、「黒田家文書の島津さん」に出演された某氏(^^;)がちょっと関係しているのでご紹介。

2015年5月某日、恒例の春の京都の非公開文化財の特別公開に行って参りました
19カ所が公開されたのですが、日ごろ行きにくいところとか見せてくれないところを勘案して3カ所に絞りました。

「つづきはこちら」をクリックぷりーず。


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昨日はとんでもない歴史が動く瞬間にいたわけですが、為替レートの変動もすごかったですね。
2016/06/24円ドルレート最安値$1=¥106.77(日本時間6:30) 最高値$1=¥99.10(日本時間11:30) (○。○)
ジェットコースターやフリーフォールもビックリのこの上下動、死人が出てないことを祈ります…
かくいう私は子供の学校の行事で呼び出し食らって、ニュースを知ったのが昼の14:00。儲けるも損するも何も、もう終わってた⊂(。Д。⊂⌒`つ



さて。
以前拙ブログに時々コメントも頂戴していた桐野作人氏は、今は専らtwitterが主戦場ヾ(^^;)なんですな。
公式ブログしか見てないので今頃になって気が付くf(^_^;)
ちらちら見ていると、こんな気になる記事があった。
伊佐盆地を探索。菱刈氏の馬越城は島津方の猛攻によって陥落した。地元の郷土資料館の関係者の案内でブッシュをかき分け、何とか上まで登る。片隅に馬越城の石碑あり。揮毫は末裔の菱刈隆陸軍大将。なお、菱刈氏の先祖は悪左府藤原頼長。
https://twitter.com/kirinosakujin/status/741161472231931904

※下線はばんない補足
菱刈隆は、実は満州事変と間接的に関わりがある。
満州事変勃発直前まで関東軍司令官だったのが、実はこの菱刈隆。が、同時代人の日記とか回想録を見ると、あんまり評価が宜しくない人物のようだ…。
たとえば畑俊六は「薩摩藩閥と言うだけで何の取り柄もない」と酷評。まあ、菱刈の前任者が畑俊六の兄(英太郎)で、関東軍の問題が原因で客死したそうなんで、割り引いて読む必要がありそうだが。
石原莞爾か板垣征四郎かどちらかが、関東軍司令官が菱刈隆から本庄繁に交代したとき「やった!これで事変が起こせる!」と言ってたとか言う話も聞いたことがあるのだが、これは明確な出典を失念してしまった(ごめんなさい)
実は菱刈は満州国成立後もう一度関東軍司令官に返り咲いたのだが、この2回目の赴任はさんざんな結果になったようで、岡村寧次も同情している

なお、軍人の息子は軍人になるというパターンが多いのだが、菱刈隆の息子は身体が弱かったらしく軍人にはならず、東京大学文学部で日本史を専攻、身体が弱かったために学徒出陣にも引っかからず終戦を迎え、その後は東京で高校教師となっている。
大学で勉強させてもらえなかった学生時代については、この本に詳しい。 『学徒出陣の記録』(中公新書)
あの色川大吉氏とか土田直鎮氏と同級生だったみたい。




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昨日放送の『英雄たちの選択』(NHKBSプレミアム)は鍋島閑叟(直正)がネタだったんだが、閑叟は佐賀藩が明治維新後「薩長土肥」と言われる勇躍のきっかけを作った人物でもある一方、その4藩出身者の中では佐賀藩士が傍流になってしまう原因を作った人物でもあるんだな、とか。
今田新太郎関連で昭和初期の陸軍軍人を調べていると、急進派軍人には旧佐賀藩出身者が多いんだな。真崎甚三郎然り、5.15の三上卓とか。
昭和初期の急進派軍人と言えば旧奥羽越関係者(石原莞爾とか)が多いと言われるが、「維新で新政府側だったのにその後はいまいち」だった旧佐賀藩関係者というのも気になる。そういえば、やはり佐賀藩と似たような立場になってしまった旧土佐藩関係者はその後自由民権運動に足突っ込んだ人が多かったですな。中江兆民(今田の親友だった中江丑吉の父)も旧土佐藩関係者。



では本日の本題。
…アクセス解析を調べている最中に、うっかり見つけてしまった…ヾ(^^;)

今田新太郎の陸士・陸大の同期生で親友だったらしい高嶋辰彦。
が!どうも調べた限りではその思想は今田とはちょっとずれていた様に思われる。
(※拙ブログでの彼に関する記事はこちら参照 5)
高嶋の著書の一部は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーなどでも読める

なにしろ戦前の本なので、読むのが結構めんどくさそうな物。ということで、一度もちゃんと目を通してなかったのだが…
現代日本人には…いや現代人じゃなくても、理解不能な彼の思想を分かりやすく???した物を見つけてしまったのである…うっかりヾ(^^;)

以下、かなりすごい代物をご紹介するので、時間のない方はスルーで
覚悟のある方は下の「つづきはこちら」をクリックプリーズ
石原完爾はとっても真人間だったのかもなー、とか何か妙な錯覚を抱かせるような内容です(をい)

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お隣の国・中国では後代の正統王朝が先代の王朝の歴史書を作るという伝統があった。
こうして出来たのが邪馬台国ヲタクヾ(--;)のバイブルである『後漢書』とか『魏志』だったり、飛鳥奈良時代の研究者もお世話になる『新唐書』とか『隋書』とかだったりする。

…こういう中国の”正統”史書の日本に関する記述だけを集めた便利な本が出ている。
『倭国伝』(講談社学術文庫)
実は元々学研から出ていた物らしいのだが、そっちはもう絶版になっているので、お手軽な文庫で出たのは本当に一般人には便利。

拙ブログでは邪馬台国みたいな地雷は踏みたくないのでヾ(--;)メインネタの島津氏に関するネタが出てくるのか?という一点重視で調べてみた。

その結果
※気になる人は「つづきはこちら」をクリック


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拙ブログ関連ネタ こちら



以前、神戸市立博物館所蔵の「南蛮屏風」と言うのをネタにしたときに、この元所蔵者だった池長孟の名前をちらっと出したことがある。
先日、何かの用事でこの池長氏をネットで調べたのだが、まさしく戦前のお大尽だったようである…
何回か結婚されたようなんだが、その妻の一人にあの淀川長治の姉がいたそうである。そしてその新居として建てたのがこの家だとか。
こちら
ちなみに建てられたのは昭和3年(1928年)。世界大恐慌のまっただ中でこの豪邸建てたと言うんですから、生前の池長氏の富豪ぶりがうかがえます。
で、結婚ほやほやでデレデレ状態だった(はずの)池長氏は、長治姉の要望を聞いてダンスホールを造ったりと凝った設計にしたのです が、長治の姉は中々派手な性格で結婚向きじゃなかった女性のようで(^^;)結局数年で離婚に到ったとか云々…

そしてこの豪邸は戦後、池長のコレクションを維持するために華僑系の医師に売却されます。昭和21年(1946年)のことでした。
しかし、それを持ってしても池長のコレクションにかかってくる財産税はGHQ支配下の日本ではうなぎ登りに高騰、弱みにつけ込んで池長のコレクションを買いたたこうと狙ってくる美術品ブローカーも多かったらしく、コレクション散逸を恐れた池長は、結局昭和27年(1952年)にコレクションを神戸市に丸ごと寄贈します。それらを元にして作られたのが神戸市立博物館というわけです。

…で、医者に売却された豪邸のその後ですが
その後も病院として使われていました。
(続きは「つづきはこちら」をクリック)

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