拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
今頃気が付くなんて、てめーどこ読んでんだよ!…といわれても仕方ないのですが
桐野作人氏ブログのこの記事より
桐野作人氏ブログのこの記事より
続編も頑張ります。もう少しお待ち下さい>担当者の方
続編?
確かに『島津義久 九州全土を席巻した智将 (PHP文庫)
』あとがきでは「次は義弘側からの視点からも」ウンヌンカンヌンとか書いたはったけどなぁ…
PHP文庫からは既に『島津義弘―関ヶ原・敵中突破の豪勇 (PHP文庫)
』出てるしなぁ…
んん?「続編」と言うことは義久の続きになるわけだから…
島津忠恒辺りがネタ候補になってるのかな?ヾ(--;)
その場合タイトルは
『島津忠恒 朝鮮・琉球でとどろかせた蛮勇』
とか
『島津忠恒 伊集院・平田一族を暗殺した暴虐』
…絶対あり得ねーヾ(^^;)というかこのタイトルじゃまず売れない。
『島津忠恒 40から遅咲きの夜の帝王』
…これなら勘違いした人が買いそうだが、PHPからじゃ無理だな(をい)
※この記事は冗談です 本気にしないように
確かに『島津義久 九州全土を席巻した智将 (PHP文庫)
PHP文庫からは既に『島津義弘―関ヶ原・敵中突破の豪勇 (PHP文庫)
んん?「続編」と言うことは義久の続きになるわけだから…
島津忠恒辺りがネタ候補になってるのかな?ヾ(--;)
その場合タイトルは
『島津忠恒 朝鮮・琉球でとどろかせた蛮勇』
とか
『島津忠恒 伊集院・平田一族を暗殺した暴虐』
…絶対あり得ねーヾ(^^;)というかこのタイトルじゃまず売れない。
『島津忠恒 40から遅咲きの夜の帝王』
…これなら勘違いした人が買いそうだが、PHPからじゃ無理だな(をい)
※この記事は冗談です 本気にしないように
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比志島義基は「本藩人物誌」「比志島系図」などによると比志島義弘の息子とされている。
が
五味克夫氏の指摘によると、戦死した比志島義弘の養子に入った人物で、実はあの伊集院忠棟の弟なのだという(「『日向記』と『旧記雑録』、真幸院領主北原氏のその後」五味克夫『宮崎県史叢書』「日向記」しおり 平成11/3 第3回」など)。
「庄内陣記」をみると、比志島義基らしい人物が何回も登場するが、書き方が一定していないのである。
が
五味克夫氏の指摘によると、戦死した比志島義弘の養子に入った人物で、実はあの伊集院忠棟の弟なのだという(「『日向記』と『旧記雑録』、真幸院領主北原氏のその後」五味克夫『宮崎県史叢書』「日向記」しおり 平成11/3 第3回」など)。
「庄内陣記」をみると、比志島義基らしい人物が何回も登場するが、書き方が一定していないのである。
其着到を記に、先一族には(中略)比志島式部大輔義智入道清庵幸侃差次の弟高城の城主都城に住嫡子左馬介義興 公に従・同二男彦太郎、同休次郎(以下略)
(忠実(ママ)大川原山遊猟付凶音庄内下着家臣着到之事)
(前略)爰に北原治部左衛門尉兼茂と云は、忠真叔父比志島義基の二男にて従弟の続きにて(中略)兄左馬介義興と議して、夜中に国分冨隈之御城に馳参じ、比志島紀伊守国貞に倚て、忠真が謀反之企有る由、委一に言上に及ける。
(庄内籠城用意の事)
高城には比志島式部少輔義知入道清庵・同彦太郎・同久次郎(以下略)
(忠真籠城之事付拾二砦構之事)
(忠実(ママ)大川原山遊猟付凶音庄内下着家臣着到之事)
(前略)爰に北原治部左衛門尉兼茂と云は、忠真叔父比志島義基の二男にて従弟の続きにて(中略)兄左馬介義興と議して、夜中に国分冨隈之御城に馳参じ、比志島紀伊守国貞に倚て、忠真が謀反之企有る由、委一に言上に及ける。
(庄内籠城用意の事)
高城には比志島式部少輔義知入道清庵・同彦太郎・同久次郎(以下略)
(忠真籠城之事付拾二砦構之事)
実は、比志島義基(義智)は伊集院忠棟の最も身近な縁者であり、又庄内の乱に加勢したにもかかわらず、全く処罰の対象にならなかった。上記引用にあるように、息子二人が島津本宗家側に付いたのが主な理由と思われる。
そのため、後世史料を書くときに比志島義基に関して伊集院忠棟の縁者であることを分からせないための工作が行われ、「本藩人物誌」「比志島系図」にはその辺の記述がばっさり抜け落ちて、いかにも比志島義弘の実子のような書き方になったのではないかと思われる。「庄内陣記」で表記が一定していないのもこれが理由であろう。
そのため、後世史料を書くときに比志島義基に関して伊集院忠棟の縁者であることを分からせないための工作が行われ、「本藩人物誌」「比志島系図」にはその辺の記述がばっさり抜け落ちて、いかにも比志島義弘の実子のような書き方になったのではないかと思われる。「庄内陣記」で表記が一定していないのもこれが理由であろう。
…をBS-TBSで拝見しました。
100年ちょっと前の話なのに、かなり分からなくなっていることが多いようです。ということに驚きました。
一番興味深かったのは、斉彬の曾祖父・島津重豪の紹介をするときに『国史大辞典
』にも載っているあの肖像画の方じゃなくて、鶴嶺神社蔵の坊主姿の木像の方が紹介されていたこと。今回初めて見ました。というか、余り本でも紹介されてないのではないかな、重豪木像。
鶴嶺神社にはどうも他にも島津氏関係者の多くの肖像画や木像が所蔵されているようなんですが、この件について尚古集成館に問い合わせたら「今後公開する予定もないし、写真が載っているパンフもない」とけんもほろろの回答をされた記憶が…(T-T)
番組HPはこちら
100年ちょっと前の話なのに、かなり分からなくなっていることが多いようです。ということに驚きました。
一番興味深かったのは、斉彬の曾祖父・島津重豪の紹介をするときに『国史大辞典
鶴嶺神社にはどうも他にも島津氏関係者の多くの肖像画や木像が所蔵されているようなんですが、この件について尚古集成館に問い合わせたら「今後公開する予定もないし、写真が載っているパンフもない」とけんもほろろの回答をされた記憶が…(T-T)
番組HPはこちら
以前拙ブログのこの記事で
紹介されていた手の「寵愛」が好きでかつ島津家に興味のある方は「庄内陣記」(戦国史料叢書〈第2期 第6〉島津史料集 (1966年)
所収)を読むと萌え死にますよ!(なんつーブックレビューだ…)
…という、実に恐ろしいお話を書いたことがあるのですがヾ(^^;)
言い出した以上は、いくつかは紹介せねばなるまい(をーい)
ということで、お子さまにはとても紹介できない庄内の乱、始まり始まり~ヾ(--;)
※以下、同性愛的な表現が含まれますので、その手の事が苦手な方はこちらを押して下さい。その手の話が出ない庄内の乱の説明に跳びます。
言い出した以上は、いくつかは紹介せねばなるまい(をーい)
ということで、お子さまにはとても紹介できない庄内の乱、始まり始まり~ヾ(--;)
※以下、同性愛的な表現が含まれますので、その手の事が苦手な方はこちらを押して下さい。その手の話が出ない庄内の乱の説明に跳びます。

