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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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慶長7年の1月23日、島津義久はいろは歌を作成します。
つまり「いろは」は47文字あるから…

なんとこれであっさり100首目達成(゜∀゜)
しかも数えてみると何故か58首あったりする(爆)

…もちろん、この企画これで終了!…しないつもり(おい)なので、今後ともおつきあい宜しくお願い申し上げます<(_ _)>
今回はいろは歌10首目までご紹介。

「義久公御譜中」
「正文在御文書方」
伊呂波歌              龍伯法印
つまても久しかるへき君か代を
猶よろつ代と守れ神かき
かいたて袖も綱手も打はへて
なきさ漕かふ船ののとけさ
の花しける梢も秋の色に
うつれはやかて雪のふるさと
にはなにの稽古もならぬそと
こゝろをかけよ朝に日ことに
しきとてしゐて所望ハ無益哉
いたつとなれハおしき物なり
るこゝろのうちにつよけをは
さしはさみたる人そ床しき
然なるおり/\ことに古草子
見てことハりに心つくへし
早振神の恵にたかハすは
いのらすとても隔やハある
根たてする人ことにあやまちの
身につもるをはしらぬなりけり
からをよくたしなみて主人にハ
忠を盡して奉公をせよ

島津家でいろは歌と言えば、義久の祖父・忠良による物が非常に有名ですが、忠良いろは歌が道徳めいた内容がほとんどなのに対し、義久のいろは歌は特にテーマは定まってないように見えます(いまのところ…)。

次回「る~」以降に続く…


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50首目は49首目と関連があります。
慶長7年、投谷八幡神社に詣でたときの歌会で詠われたとされるのです
が、なんと内容が全く違うのです。
「義久公御譜中」
「正文在恒吉八幡宮」
詠卯花盛久
和歌
法印龍伯
松か枝にたちましりたる卯の花のさかりは千とせふへきとそおもふ
(以下略)

(「薩藩旧記雑録 後編」3-1622)
義久の歌の続きに、同席者の和歌が続きます。この同席者は49首目で紹介した人と重なりますが、やはり和歌の内容が全く異なるのです。
詠卯花盛久
和歌
少将忠恒
うのはなのさけるさかりも久かたの月のひかりやいろをそゆらむ

夏日同詠卯花盛久
和歌
大膳亮忠俊
よろつ世もへぬへきものかあまてらす月にまかひてさける卯の花

夏日同詠卯花盛久
和歌
左衛門尉久高
いやつきにさきこそにほへ卯のはなのかきねをとをミしけり相つゝ

詠卯花盛久
和歌
沙弥抱節
卯のはなのかきほつたひはさやかなり空にしられぬ月の夜な/\

夏日同詠卯花盛久
和歌
紀伊守国貞
種をたれなにとうへけむとくをそく咲てかきねにつゝくうの花

夏日同詠卯花盛久
倭歌
大炊助久正
一へより八重にさきそふ卯のはなのえたもたハヽの雪と見るまて

夏日同詠卯花盛久
和歌
左衛門尉忠通
いくたひかゆふへの色をよそならむ卯の花さける陰の宿りは

夏日同詠卯花盛久
和歌
左兵衛尉道武
さむからて雪とそ見ゆる卯のはなのさかりになるゝ暮ことのそて

詠卯花盛久
倭歌
沙弥休心
さまさとをなくさめとてや卯のはなのさかりのかけのひさしかるらむ

夏日同詠卯花盛久
倭歌
兵衛尉宗親
いつ迄のなかめならまし白妙の卯の花さける里のけしきは

詠卯花盛久
和謌
沙弥宗察
しけりそふかきほに見ゆる卯のはなのかハらぬ色をとし/\にして

夏日同詠卯花盛久
倭歌
左衛門尉友知
にほひきてさかりしらする卯のはなの色より明るけふことのそら

夏日同詠卯花盛久
倭歌
右衛門尉豊信
日かすふる雪かとそみるうの花の咲てかきほもうつむはかりに

詠卯花盛久
倭歌
沙弥與進
ときしらぬゆきとそ見ゆる卯のはなのさきて日かすのつもる牆ほは
 
こちら(後編3-1621)の方には年紀がありませんが、「卯の花」がテーマになっているところからみて49首目(後編3-1622)と同じ時に作られたことは間違いないと思われます。ただ、こちらの方が「卯の花」という統一したテーマで詠われているところや、読み人に官名が着いていることなどから見て、正式な歌会っぽく思われます。


ところで、この恒吉八幡神社に詣でた時に作られたとおぼしき後編3-1622や3-1621にも収録漏れしたらしい和歌(?)がありました。
『在旧記』
慶長七年卯月廿六日
投谷八幡御法楽和歌
(本詠草は1622号、1623号詠草ト同文ニツキ省略ス)

初恋          道武
み初つる人に心を尽すこそ猶さかり行思ひ也けり
逢恋          久正
黒かミのとけてねし夜の名残こそ猶ミたれ行物おもひなれ
夏日同詠松間郭公和歌  図書頭忠長
岡野辺の松より松は明る夜の梢をつたふ郭公かな
貞昌
霊地至時心自眞 昔年出頭垂因 国家長久弥堅護 萬古名高住吉神
理心
未卜先生何宿辰 降来凡世古今論 白雲遂處宮香靄 千載流名住吉神
 
居並ぶメンバーが和歌を作成した中、やはりここでも漢詩をそらんじて悪目立ちした?伊勢貞昌さんでした。
理心さんは貞昌が浮かないように気を使って漢詩を作ったに違いないヾ(^^;)

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慶長七年卯月(=四月)二十六日に恒吉八幡なる神社で詠われた物です。
この「恒吉」というのは地名で、現在の投谷八幡神社(鹿児島県曽於市)と同じ神社のようです。参考 こちら
「正文在恒吉八幡」
(中略)
寄神祇祝
岩清水なかれたえせぬ神慮
ゆくゑを守れわか国の人   龍伯
慶長七年卯月二十六日
「左に写置といへ共、参照の為御譜中ニて写せり」
(「薩藩旧記雑録 後編」3-1624)
年月を見れば分かりますが、関ヶ原の合戦の後処理が大詰めに入った緊張の時期に作られた和歌で、義久の歌にも緊迫感が漂っているのが、素人の私にも明白に分かります。この和歌から見る限り、義久は某氏がいわれているような「徳川家康の権勢が分かっていなくて上洛を渋った石頭」という人物にはほど遠いように思われますが如何でしょうか。

ちなみにこの和歌は家臣総出で投谷八幡神社に詣で、その折の歌会で詠われた物のようです。上記で(中略)で略した部分に他の人の和歌が収録されています。
首夏風
誰がために夏かへるまて一もとの
はなをしかせの吹残すらん 忠恒
郭公
ほとゝきすいつちゆくとも暮ことの
やとは軒はの松をわするな 国貞
早苗
村雨のはるゝ行ゑに里みへて
なひく早苗や露こほすらむ 宗察
夏月
しはしたゝ惜に月はやすらハて
明やすき夜ハうらみならすや 休心
鵜川
山きはの蛍とみえて河をゆく
ひかりやともす鵜ふね成らん 抱節
夕立
遠山や入日のかけハさしなから
かたへにかゝる夕立の雲 忠俊
祈空恋
ゆふしての神に祈をかけてたに
浅きえにしハはかなかりけり 宗親
古寺
おりいつゝ雲のそこなる古寺ハ
思ひやるたにさひしかりけり 豊信
旅恋
打そひてある時たにもあかなくに
たひにしあれは猶そ恋しき 友知
海路
興津なミわくるまに/\なかめやる
雲こそふねのよすかなりけれ 与進
後朝恋
かへるさのあしたハ身をも分る哉
馴ぬる人に心のこして 忠通
納涼
くれことに哀しきかせをもよほして
友とこそなれ窓のなよ竹 久高
(以下、巻頭に続く)

投谷八幡神社に詣でたのは、今後島津家が無事存続できるよう祈りに行ったとも思えるのですが、それにしては義久以外の人々の和歌はかなり呑気な内容ではあります。


ところで、この時の歌会の歌として全く別の物が伝えられているのです。また、別の史料には欠落した?と思える他の人の和歌?も収録されています。それらは次回以降に紹介します。

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朝日新聞がかなり前から週刊本を出していたのは知っていたのだが
実は私も一時期はまって『日本の国宝』はかなり買っていたが途中で挫折したことは内緒ヾ(--;)

最近はこんなミーh…いや歴女向け企画もしていたんですね(ヲイ)
『新週刊マンガ日本史』
…しかし、不親切なHPだなあヾ(--;)
刊行予定一覧はあるけれど、誰が担当するのかが分かりにくい。さすがは朝日ヾ(^^;)

ちなみに拙HPに関係する人物は全く取り上げられない予定のようです_(。_゜)/
敢えて言えば一昨年の大河のネタ篤姫(40巻予定)かなあ。担当は『ベルサイユのばら』の池田理代子氏のようですが…一昨年の大河のようなスイーツ(苦笑)路線にならないことを願っています…。

<蛇足>
戦国時代の人物は18号~29号辺りに登場
18:一休
19:斉藤道三
20:上杉謙信
21:服部半蔵
22:千利休
23:細川ガラシャ
24:伊達政宗
25:黒田官兵衛
26:真田幸村
27:出雲阿国
28:柳生宗矩
29:春日局
の予定だそうです。
ちなみに公式HPで担当が判明しているのは、25巻の黒田官兵衛(『男組』の池上遼一氏)のみのようです。

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今年の目玉?企画でありながら、ずいぶんと間が空いてしまい、お詫び申し上げます<(_ _)>


慶長7年5月(文では「中夏」)12日に書かれた物です。
これがまたまた追悼歌で、9首もあります。わーい点数稼ぎちゃーんすヾ(--;)
誰を追悼しているかというと、あの里村紹巴なのですな。
紹巴法眼わかかりし時より、ならの京ハはなれ、此京に移住て、いたく敷島の道にふけり、果たして宗祇法師ハ遺塵をつき、古いまの間に、只ひとり歩かことく、世挙て詞の華の色にあて、香をうつさんことをこひねかいぬ、あら玉の春の朝、過行秋の夕には、世間の盛衰を観し、年月を送りむかへて、八十年に一とせたらぬ卯月の比、おもき病の床はなれかたく、終に生者不衰のことハりを、のかれあへさりし御事をきくより、愁袂をひたし、くれまとふ心に、牌前の手向をおさ/\過き、日数に立をくるゝほとに、いつしかきえにし、けふにめくりきぬれは、彼法眼世に希有なりしを、唯有一乗法のことハりになすらへ、句のかしらにすへ、おろかなり、素懐を筆に仕る事になりぬ、

夢路にもかへりとまらぬ別より理あるよの例なるらん
今よりハ昔にならの里人ととふ手向にはやまとことの葉
空蝉の世の人ことの袖にかけて名残忍ふの木の下露
いかにしていつ忘れまし秋の哀春の情とくみ馴しよを
「本ノママ」
契りあらハよしや先立いくるとも蓮の花の縁にしまかせぬ
せきかねて袖行水も三瀬川かへらぬ浪とさわく別路
 「ヨメズ」
うき世そと思ひけるにもなきをしたふことハり●す我涙哉
 「本ノママ」
時鳥啼や五月のけふよりは別し跡を尚初めなれ
うへもなき道に入ぬるしるへとも雲間の月の行ゑをやミん
慶七年
中夏十二日
「右本田助之丞蔵文書也」
(「薩藩旧記雑録 後編」3-1632)
頭書きによると、和歌の頭文字に何か意味があるようなのですが…「ゆ い う い ち せ う ほ う」…「有一乗法」と読めと言うことなのでしょうか、島津義久公…。ちなみに「有一乗法」とは『法華経』に出てくる言葉の一つだそうです 参考こちら

この和歌のネタヾ(--;)である里村紹巴ですが、この年の4月14日(旧暦)に死去しています。義久が訃報を知るまでには1ヶ月ほどタイムラグがあったようですね。
ついでに思い出したのですが、義久の和歌の師匠の一人にあの細川藤孝(幽斎)がいるのですが、幽斎に捧げた挽歌というのがないことに気が付きました(!)。もしかしたら私が見落としただけかも知りませんが…。


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