拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
NHKの「塚原卜伝」の予告見てたら、東郷重位をネタにしたら、朝鮮出兵も琉球出兵も絡まずにお安くリーズナブルにヾ(^^;)戦国島津が出来るのではないか、と、ふと思いついた。
だがしかし、島津義久や忠恒は出てきても義弘がおそらく空気…ヾ(--;)
話は変わって
桐野作人氏のブログで「島津忠清の起請文」ネタを取り上げていたのだが
実は私もこの「島津家文書」の起請文、非常に気になっていたのですよ。なのに何で学者先生の皆様はネタにしないのかな?(゜_。)?(。_゜)? って。
実はこのネタに関してはかなり昔に他の方のHP(閉鎖済)の掲示板で一度話題になったことがあったのですが、
この時の島津家は
・薩摩国領主+豊臣政権から認められた島津家当主:島津義弘
・大隅国領主:島津義久
という状態になっており、島津忠恒は義久の婿養子と言うことになっていた
…つまり、義弘の領地(薩摩国)と島津家当主権は忠恒ではなく忠清に渡る可能性もあったのではないか?
という説を書かれていた方がいて、そいう考え方もありかー、と思ったことを思い出しました。
そういや、文禄検地前には義久・義弘・久保がそれぞれ領地をもらっていたのですが、忠恒は独自の領地(蔵入り地)を持ってないような(間違ってたら指摘お待ちしてます)。
関連ネタ こちら
もう一人の忠清さんネタは この辺とかこの辺とか
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史料を見ていると
「おお、こんな事知らなかった!」
…と驚くことが多いのだが
「…こんな事知りたくなかった」_| ̄|○
…ということもたまにはある(^^;)
ばんない風に口語訳してみたりする。
感想:近衛前久の手紙って、義弘宛のも強烈なのがあったような記憶があるし、けっこう下ネタ好きだったんだろうか(特にボーイズラブ系)ヾ(--;)
「おお、こんな事知らなかった!」
…と驚くことが多いのだが
「…こんな事知りたくなかった」_| ̄|○
…ということもたまにはある(^^;)
文禄元年6月9日に龍山公こと近衛前久が龍伯こと島津義久宛に書いた物だが、太字で強調した所、えらいことを書いてないか?「御文庫四拾九番箱中」
猶々御息女之事呉〃可御心安候、拙者請取申候、不可有御気遣候、次ニ雖軽少之至候、扇十本進之候、誠御音信之験迄候、又御帰国之刻ハ、めつらしき御児御同道之由、かくれなく候、于今御寵愛無別儀候哉、一咲〃〃
(中略)
六月九日 (花押)「龍山公御判也」
\
龍伯 竜
御返事
(「薩藩旧記雑録 後編」2-897)
ばんない風に口語訳してみたりする。
ちなみにこの頃の島津家、朝鮮出兵の仕度が調わずに四苦八苦しているところです…が、そんなときにいったい京都で何やってたんですか?義久公???ところで御息女(=亀寿)のことはくれぐれもご安心を。私が引き受けましたので。御気遣いなく。次に些細なことですが、扇10本送りましたので、ほんのおつきあいのしるしです。また、ご帰国の時には可愛い男の子を連れて帰ったということ、しっかりばれてますよ。今も御寵愛されているのですかな?むふふのふ。
感想:近衛前久の手紙って、義弘宛のも強烈なのがあったような記憶があるし、けっこう下ネタ好きだったんだろうか(特にボーイズラブ系)ヾ(--;)
本日の更新関連のネタです。
ウィキペディアでこういうネタがあったのは以前から知っていたので、必死になって『鹿児島県史料』をあさっていたら
…
何年も前に見た箇所のすぐ前のページに問題の系図が載ってた_| ̄|○
ということで、やっと自分の目で系図の確認を取ったので、今回の更新となりました。以前自分で史料見ずに人の本をあてにして更新して痛い目にあったので、今回は慎重になったのだ。
いくつか今回の更新に当たっての補足など
ウィキペディアでこういうネタがあったのは以前から知っていたので、必死になって『鹿児島県史料』をあさっていたら
…
何年も前に見た箇所のすぐ前のページに問題の系図が載ってた_| ̄|○
ということで、やっと自分の目で系図の確認を取ったので、今回の更新となりました。以前自分で史料見ずに人の本をあてにして更新して痛い目にあったので、今回は慎重になったのだ。
いくつか今回の更新に当たっての補足など
年紀不明ですが、末尾の伊地知季安によると思われる考察では文禄元年頃の作と思われる物です。「古御文書三番箱二巻中」
嶋津殿(印)「張紙」(印文義久)
夕たちの朝またきよりかゝり来て
なかれのつゝみこゆるしら波 龍伯
薩州太守嶋津殿 夕たちの □
龍伯短 壬辰五 神田印
「按ニ、壬辰ハ文禄元年ナルベシ」
(「薩藩旧記雑録 後編」2-875)
ブログという形式上、うまく編集してお伝えできないのが残念ですが、「嶋津殿」「夕たちの~」「薩州太守~」「龍伯短」がそれぞれ4つの四角で囲われているところから見て、おそらく短冊に張り紙がされている状態の文書なのではと思われます。
「夕たちの」という歌題で歌会でも開かれてそれに参加したときの物でしょうか。
このとき、署名でも分かるように既に出家していたのですが「薩州太守」と書かれているのは興味深いです。他人から見ても島津家の当主はまだ義久だったのでしょう。
NHK『新日本風土記』「桜島」の回で
・天福寺の磨崖仏
・清色城
が登場します。ご興味のある方はどうぞ
天福寺は島津御下が非業の死を遂げた夫・伊集院忠真の菩提寺として建てたと言われるお寺です(現在は廃寺で墓地が残るだけ)
清色城は入来院氏(島津義久・義弘・歳久の母の実家)の城で国の史跡になっています。
放送時間は、開始後30分後~45分後ぐらいだったかな(うろ覚え)
「シラス台地」のコーナーで紹介されます。
本放送は終了済み 再放送が9/11AM10:00~、9/13AM8:30~にあります 再放送前ギリギリで済みません…
・天福寺の磨崖仏
・清色城
が登場します。ご興味のある方はどうぞ
天福寺は島津御下が非業の死を遂げた夫・伊集院忠真の菩提寺として建てたと言われるお寺です(現在は廃寺で墓地が残るだけ)
清色城は入来院氏(島津義久・義弘・歳久の母の実家)の城で国の史跡になっています。
放送時間は、開始後30分後~45分後ぐらいだったかな(うろ覚え)
「シラス台地」のコーナーで紹介されます。
本放送は終了済み 再放送が9/11AM10:00~、9/13AM8:30~にあります 再放送前ギリギリで済みません…

