大昔読んだ本(タイトル失念)で、「秀吉は庶民出身だったので芋の煮っころがしとか庶民的な物が好きだった」とか書いてあったが、しっかり嘘だったと言うことが証明されました。松茸はともかく、アワビと鯛は高級魚介だろ、流石にこの時代でも…マツタケにアワビ…秀吉の宴会料理再現 豊国神社に奉納
大阪城天守閣(大阪市)が再建80年を迎えた7日、16世紀に城を築いた豊臣秀吉をまつる城内の豊国神社に、秀吉が食べたとされる料理が奉納された。
マツタケやアワビ、タイなどを豊富に用いた全31品。秀吉が全国を平定した1590年前後の宴(うたげ)に出たと記録されている献立を古来の調理法で再現した。
23日にホテルニューオータニ大阪で提供される。1万9千円と値は張るが、「天下統一を祝った味。激戦の大阪ダブル選の候補者もぜひどうぞ」と担当者。
http://www.asahi.com/national/update/1107/OSK201111070201.html
ふりかえってこの頃の島津さんのお食事というと…具体的なイメージがわかない…(をーい)上井覚兼辺りが日記に書いてないかな。それとも関ヶ原の合戦での壮絶な逃避行時に義弘が中馬に飯を横取りされたと言うぐらいしか御飯のエピソードはないのだろうか…(つд`)
おまけ:この秀吉料理、11/23限定でホテルニューオータニ大阪で食べられると書いてあります ホテルHPでの説明はこちら ちなみに、お一人様¥19000は確かに高いのですが、オータニ値段からするとそうでもなかったり(^^;)
これに島津亀寿のことが出てくるのだが、変なのである。
世譜巻之一
(中略)
泰昌元年庚申。為進香惟新公事。遣馬氏伊計親雲上良徳。至薩州。
本年、為弔国分御上薨事。遣章氏安谷上親雲上正勝。至薩州。
本年九月。為奏尚寧王薨、尚豊王承桃事。法司・毛氏読谷山親方盛韶。至薩州。
(『中山世譜』蔡鐸本附巻)
琉球王国は基本的に中国の年号をそのまま使っているのだが、「泰昌元年」は1620年のことである。なので、叔父・義弘(惟新公)のお悔やみに来ている(前の年に死去)のは間違いじゃないのだが、次の項目で、この年に亀寿も死んだことになってしまっている(○。○)世譜巻之一
(中略)
泰昌元年庚申。為弔祭惟新公事。遣馬氏伊計親雲上良徳。至薩州。四月回国
本年、為弔祭国分御上薨事。遣章氏安谷上親雲上正勝。至薩州。翌年二月回国。
本年九月。為稟報尚寧王薨、尚豊王即位事。法司・毛氏読谷山親方盛韶。至薩州。翌年回国。
(『中山世譜』蔡温本附巻)
ちなみに同年尚寧王が死んだのも確実なので、事実2つにはさまれたこの記事は他の年度からの混入とも考えがたい…。
いくつか考えられる予想
(1)「薩藩旧記雑録」など島津氏側の史料に書いてあるデータが間違い
→亀寿の命日は死んだ後も何回も出てくるので、間違いの可能性は薄いと思う…
(2)父・義久と間違えられた
→義弘を「惟新公」と書いてあることから類推するに、義久は「龍伯公」と書かれないとおかしいし、加えて義久の没年(1611年)とかなりズレがあるのが問題点か。
(3)実はこの『中山世譜』の記述間違ってない。間違った情報を伝えたのは当時の鹿児島藩
→ないない!…といいたいところだが、家久(忠恒)の外道な性格を考えると全くあり得ないとも言い切れないところが…亀寿+琉球王国両方の面目つぶせるしね。
琉球使者「亀寿様が亡くなられたということでお悔やみに上がりました…ってあれ?」
亀寿「私生きてますけど(-_-#)」
琉球使者「⊂(。Д。⊂⌒`つ」
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その頃鹿児島城では
家久(忠恒)「ひひひ、嫌がらせ成功したぞ」
『中山世譜』については
『鹿児島県立短期大学研究紀要』25「島津氏の琉球侵攻に関する一考察」虎頭民雄
を参照させて頂きました(ちなみにCINIIから検索すると無料で読めます)
弟・歳久(晴簑)との連歌会でした。「左衛門督歳久譜中」
天正十九年辛卯、 太守法印龍伯公渡御於祁答院、賜宝刀龍啼已下、丁此之時興行於和漢百韻、
ふりも来ぬ雨をこめたるわか葉哉 龍伯
鵑呼雲上名 花厳「大願寺住持」
すめる夜ハ月の宮こも遠からて 晴簑
「和」 「漢」 「漢」 「和」「樺山兵部大輔入」
此末略之、連衆 珠長 黒成 虎岳 紹剣
「漢」「大願寺後住」「和」 「和」 「漢」 「和」「相良式部入道」
瑞岳 宗哲 篤和 宗鶴 珠羿
「和」「比志嶋紀伊守」 「和」「八木」 「和」
国貞 嘉竺 利貢執筆
(「薩藩旧記雑録 後編」2-800)
この翌年に悲惨な事件で歳久が自害に追い込まれる悲劇がおこるとは、もちろん誰も分からなかったでしょう。
こんなニュースがあったのか。全く気が付かなかった。観光かごしま大キャンペーン推進協議会(会長・伊藤祐一郎鹿児島県知事)など県内の商工観光5団体の関係者は26日、東京・渋谷のNHKを訪れ、薩摩の戦国大名・島津義弘を取り上げた大河ドラマ制作を求める要望書を松本正之会長に手渡した。
要望書には、義弘がドラマにふさわしい理由として、織田信長や豊臣秀吉と同世代に活躍した武将で、関ケ原合戦での敵中突破の勇猛さで知られることなどを盛り込んだ。
伊藤知事は、今まで九州の大名が主役になっていない点も強調。鹿児島から関ケ原までが舞台のドラマになれば、「九州新幹線全線開業効果を、県内だけでなく九州全体に波及させられる」と力説した。松本会長は「頂いた資料などを参考に検討したい」と答えた。
同行した県観光誘致促進協議会の中原国男会長(中原別荘社長)は「粘り強く要請活動を進めていきたい」と話した。
http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=35928
真の戦国島津ファンなら、これは反対の2文字しかないですな。 あんたら、今年の見て何か感じるところはないんですか?
まあ、陳情団体が観光関連と言うことから考えて、島津義弘を初めとする戦国時代の九州を描くことより、「『篤姫』の夢よ再び」を狙っていることは明らかなわけですが。



