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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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今年の大河のネタ(^^;)を調べているときに、そのネタの方が晩年借金王(これは関係者である私もしらんかった不覚)だった件について、『歴史読本』などにも今年の大河のネタに関するコラムを書かれたという”武家女性評論家”Iさんという方が「浪費家だったのは茶道教授になったせい!こんな事書いたのは女性蔑視の男性ばかりだ!きー!」(意訳)…と言うことを書いておられたのだが、何でもかんでも「女性蔑視の史料」とレッテル貼れば、何でも自分の都合の良いように解釈できるのであって…「この遺跡は宇宙人が作ったの!」というのと同レベルの解釈なんじゃなかろうかの。確かに明治時代の女性は軽視されてるけどさ。ついでに茶道金かかるのも知ってますが(^^;)。祖父方仙台藩士、祖母方米沢藩士という彼女にとっては同じ東北の会津藩士出身の今年の大河のネタが少しでも否定的批評されてたら悔しいのかもしれんけど。



気を取り直して、
現在大河のネタの地となっている会津は、表題の「おらの殿様」意識が非常に強い土地であると感じる。
会津の人が思うおらの殿様は、ズバリ保科正之に始まる松平家であろう。
その前に住んでいた伊達政宗とか蒲生家とか加藤(嘉明)家はなかった…事になってるような気がする(多分)(^^;)
これは悲劇的とされる幕末の壊滅もともかく、一番支配年数が長かったことに起因してるのでしょう。
そういえば、伊達の前にも誰かいたような…忘れました(ヲイ)

拙ブログで扱っている島津家も、こういう「おらの殿様」の一人と思われる。
何しろ、薩摩・大隅という地域に800年以上居座ってるのだから、こう思われても仕方ないだろう。
何かの本で読んだことがあるが、島津家の先代当主・島津忠秀氏(故人)が農林水産省を退職し、鹿児島大学の講師として”帰郷”された際、鹿児島駅(多分当時の西鹿児島駅)に鹿児島県知事から鹿児島市長などなどそうそうたるメンバーが居並んでお出迎えしたという…おそらくそれが昭和40年代か50年代のことだから、たかだか40~30年ぐらい前のことである(!)…流石に今はそんな事無いと思うけど…どうかな(^^;)

ところが、上記の「法則」が当てはまらない地域がある。

山梨県。
江戸幕府天領だった時期が長いにもかかわらず、武田信玄がおらの殿様なのは周知の通り。「武田家」ではなく、「武田信玄」である。

新潟県。
皆様ご存じのように「上杉謙信」がおらの殿様である。ちなみに越後国(新潟県)は江戸時代は小藩の乱立状態でした。
なお、上杉家の転封先である米沢市(山形県)でもおらの殿様は上杉家。そこにはついでに謙信込みヾ(--;)…謙信米沢に住んだことない…と言うか前住人の伊達はどうなったのだ(^^;)

静岡県。
おらの殿様はご存じのように徳川家康。長いこと幕府天領でもあったし、明治時代少しの間でしたが徳川総本家領でもありました。でも、徳川家の前に今川家という立派な領主が…やっぱなかったことになってるの?
なお、現在静岡県は徳川家康ネタを大河にしようと県を揚げてキャンペーンしているそうです。…家康もう大河化されてるぞ。

大分県。
長いこと大友家領であったにもかかわらず、大友家へのおらの殿様意識は非常に低い、らしい。
なお、ここも新潟県同様、江戸時代は小藩乱立状態。
ちなみに「昭和の町」で有名な日田市は徳川幕府天領であり、名産であるミネラルウォーターに「天領水」と名ずけるほど天領へのプライドが強い。ここの寺に修行に出された有馬頼底相国寺管長も、「久留米藩主分家出身」のプライドをぼろぼろにされるほど、ここのパンピーの子供達にいじめられたらしい(「私の履歴書」)



なお、私の故郷である京都は江戸時代幕府天領だったが…徳川家をおらの殿様と思ったことはないなあ…と言うかそういう人皆無じゃないかな。「天皇がおらの殿様なんじゃないの」とも言われたこともあるが…違うような。
現住居の神戸市は…どうも尼崎藩領だったみたいなのだが、果たして神戸市民で知ってる人どれくらいいるんだろ_(。_゜)/
なお根っからの神戸ッ子である姑によると神戸の殿様は楠木正成らしいです。それ違う。

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実は昨日放送だったんですが、見た方いらっしゃいますか~(^^;) 公式HPはこちら

感想など
・主人公伊達政宗を椎名桔平が演じる。実は時代劇初主人公…っていわれても何年か前に「火天の城」での織田信長やってたからそんな気がしない…
・政宗が桔平ちゃん(48)だから、周りのキャストの年齢上がりまくりやんヾ(^^;)
・津川雅彦の豊臣秀吉が、どうしても徳川家康にしか見えない…いつ椎名政宗に「秀忠~」と言うのかちょっと気になってみてしまったヾ(^^;)
・猫御前が義姫に化けたでござる スイマセン分かる人にしか分からないネタで
・原作が火坂雅志という時点で余り期待してませんでしたー(ヲイ)ごめんなさいしかもそれを2時間(CMが入るので、実質1時間半ぐらいだったのかと)にぎゅーぎゅーなんで…


一番気になったこと
最後のエンドロールを見てようやく気が付いたのだが、これ実は東日本大震災から2年を祈念して作られたドラマだったのね。
個人的には震災復興時代劇としては津波被害のない(しかも原発のある福島県とはいってもかなり離れている)会津出身の新島八重より、仙台の伊達政宗の方がよっぽどふさわしいと思っていたので、もうちょっとその辺のエピソードを入れた方が良かったのにと思いました。ラストにちらっと触れただけの慶長使節、そして全く触れられなかった農業振興。これらは慶長三陸地震(1611年)の津波被害の後に行われた政宗渾身の大事業だったんですけどね。あー、こっちの方がよっぽど東日本大震災にマッチしたネタだったのにー

…でも『独眼竜政宗』というお化けドラマがあるから、やっぱりこれを再度ネタにするのは難しかったんでしょうな。

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本日は島津義久が亡くなった日です(新暦)

島津義久の和歌を採録してみよう!…という無謀な企画を立てたのは、今から3年前のことになります。
義久は、義弘に比べて人気が低いように思われ、おそらく地元でもイベントが行われないのではないか?と思ったのがきっかけでした。実際そうだったようです(桐野作人さんブログ  )。

そこで、うちのような弱小ブログではありますが、ささやかにイベントしようかと。
イベントネタとして和歌を選んだのは、「薩藩旧記雑録」を読んでみて、圧倒的に義久の歌が採録されていたように見えたからでした。義弘や他の武将も和歌をたしなんでいたのに。

取りあえず、手元にあった「薩藩旧記雑録」のcopyを元に、義久の和歌を入力し始めていきました。
入力している内に、ある傾向が見えてきました。

その傾向とは
ある時期を境に、採録件数が一気に増えているのです。

その「ある時期」とは、天正15年。そう、豊臣秀吉に敗れた年です。
(「一人百首」でいうと211首目が切れ目です)
単純計算すると
~天正15年→56首
天正15年~慶長16年→211首
なお、後半(天正15年~慶長16年)には、例の水増し義久いろは歌57首が入っていますので、これを1首としてカウントし直すと
~天正15年→56首
天正15年~慶長16年→154首
それでも後半のほうが多いのです。

この時期から採録件数が増える理由はいくつか考えられます。
1)「薩藩旧記雑録」自体がこの時期から文書量が増えてくる。だから義久の和歌の採録も増えた。
2)出家して義久が暇になったので作歌量が増えた。
しかし、私はこの2説とも否定します。理由は
1)→この時期から文書量が増えるのは、秀吉政権下で事務量が増えたことに依る物と思われる。が、和歌は政務・事務に関係ない物、採録を増やす理由にならない。
2)→実は出家した後も義久余り暇そうじゃない。しょっちゅう上方にお呼び出しはかかっているし。国元で政務を見ている形跡もある。

私が考えたのは以下の説です

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前の話こちら

「本藩人物誌」より

島津右衛門大夫久定 初定久虎次丸三郎九郎 子孫吉利右平太 ○吉利家二代治部少輔忠将子(以下略)


「薩藩旧記雑録」後編1-90にも系図の略図が出てきて、同じように「久定 右衛門大夫」と書いてある。

忠棟のお舅さんが右衛門大夫か…関係あるのかな ちなみに義兄・吉利忠澄は狩野介→下総守です。

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「卑弥呼の墓」とも言われる箸墓
実は倭述述日百襲媛命(やまとととひのももそひめのみこと)の墓に選定されている…要は宮内庁管理の皇室陵のため長い間調査も出来なかったのですが…

卑弥呼の墓? 初の立ち入り=箸墓古墳、研究者が調査―土器など確認・奈良
時事通信 2月20日(水)11時24分配信
 邪馬台国の女王卑弥呼の墓との説がある奈良県桜井市の箸墓古墳を20日、日本考古学協会など15学会の研究者が調査した。同古墳は宮内庁が陵墓として管理しており、研究者が敷地内に立ち入って調べたのは初めて。墳丘部には、ふき石や土器が散らばっていたという。
 邪馬台国の場所をめぐっては、畿内説と九州説の間で長年論争が続いている。桜井市周辺は邪馬台国の有力候補地とされ、畿内説を主張する研究者の間では、箸墓古墳を卑弥呼の墓とする見方がある。
 箸墓古墳は3世紀半ばから後半に造られたとみられる前方後円墳で全長約280メートル。研究者16人は午前中、約1時間半にわたり墳丘最下段の縁を歩いて調べた。宮内庁は孝霊天皇の皇女の墓としており、発掘や遺物の採取は認められなかった。
 日本考古学協会の森岡秀人理事は、ふき石や土器について「築造年代の研究に役立つものがあるかもしれない」と話した。古代学研究会陵墓委員で、橿原考古学研究所付属博物館の今尾文昭学芸課長も「多くの人がいろいろな季節に観察する中で新しい確認がある。(調査には)まだまだ制限があるが、機会を増やしていきたい」と述べた。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130220-00000046-jij-soci

だそうな。
問題は、この記事の下にあるコメント。
何で発掘を認めないんだろう、邪馬台国の畿内説九州説に決着がつくかもしれないのに。
はるか昔からの日本国の財産だ埋め戻して元に戻せば良いじゃないか、現在の皇室とか天皇家とかと結びつける事がおかしい。

と言う意見もあるが(ちなみにコメント第1位)
それなりに警備はしっかりしてないと。反日教育による祭祀関連施設への脅威はあきらかだ。
(ちなみにコメント第3位)
つまり、今の日本史学者や考古学者を全く信用してない人が結構いると言うこと。
うーむ、どうしたものやら…

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