拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
予告通り、今回取り上げる本は『満州建国の歴史-満州国協和会史-』
前2回(1,2)で取り上げた話のその後談となっております。でも本が発行されたのはこちらの方が早かったりしたのですが。
『満州建国-満州事変正史-』とこの本の一番大きな違いは 写真 です。
『満州建国-満州事変正史-』は一枚も写真がなかったのですが、こちらは巻頭11ページにわたって写真が載っています。
一番注目の写真はこれだろうな→
メンバー説明
前列左から平島敏夫、小林鉄太郎、原田(大使館参事官)、大橋忠一、山口重次、五郎丸保、(不明)
後列左から矢崎勘十、橘撲、磯谷簾介、板垣征四郎、東条英機、石原莞爾、今田新太郎
特に東条と石原!何でおまいらそんなに寄り添ってなかようしとんねんヾ(^^;)
それと今田は実は石原莞爾より背が低いんだろうか…ややショック
説明が余り詳しくないのであれですが、メンバーから見て昭和11年頃に撮影されたものでしょうか
あと余計な感想
・山口重次の顔ってうさんくs(以下自粛)
・満州青年同盟の最初の頃のリーダーだったという金井章次は確かに人物という顔
・あの辻ーん+花谷が発案して、『甘粕大尉 』の表紙で甘粕正彦が着ており、石原莞爾も愛用していたらしく、上の写真で山口重次が来ている協和服って、どう見てもいまいちな人民服…ヾ(--;)
今田に関する記述は割と多いです。
しかも、この本にしか出てこないエピソードが多い。
ではまいる。
前2回(1,2)で取り上げた話のその後談となっております。でも本が発行されたのはこちらの方が早かったりしたのですが。
『満州建国-満州事変正史-』とこの本の一番大きな違いは 写真 です。
『満州建国-満州事変正史-』は一枚も写真がなかったのですが、こちらは巻頭11ページにわたって写真が載っています。
一番注目の写真はこれだろうな→
メンバー説明
前列左から平島敏夫、小林鉄太郎、原田(大使館参事官)、大橋忠一、山口重次、五郎丸保、(不明)
後列左から矢崎勘十、橘撲、磯谷簾介、板垣征四郎、東条英機、石原莞爾、今田新太郎
特に東条と石原!何でおまいらそんなに寄り添ってなかようしとんねんヾ(^^;)
それと今田は実は石原莞爾より背が低いんだろうか…ややショック
説明が余り詳しくないのであれですが、メンバーから見て昭和11年頃に撮影されたものでしょうか
あと余計な感想
・山口重次の顔ってうさんくs(以下自粛)
・満州青年同盟の最初の頃のリーダーだったという金井章次は確かに人物という顔
・あの辻ーん+花谷が発案して、『甘粕大尉 』の表紙で甘粕正彦が着ており、石原莞爾も愛用していたらしく、上の写真で山口重次が来ている協和服って、どう見てもいまいちな人民服…ヾ(--;)
今田に関する記述は割と多いです。
しかも、この本にしか出てこないエピソードが多い。
ではまいる。
4回(予定)に渡って、満州国の成立に深く関わった山口重次の本を紹介させて頂きます。
1回、2回は満州国の成立までを書いた『満州建国-満州事変正史-』(昭和50年3月25日 行政通信社)
3回、4回がその後(協和会の成立からその挫折まで)を書いた『満州建国の歴史-満州国協和会史-』(昭和48年12月10日 栄光出版社)
です。
後書きを見ると1回2回紹介分の『満州建国-満州事変正史-』の編集には岡田益吉(このエントリ参照)が深く関わっているようです。
昔の本なので当然細かい活字で2段組み、読むのに根気がいったというのも勿論ですが、なによりかにより主張が独特なのでかなり引っかかる物が残りました。特に山口所属する満州青年同盟→満州国協和会を絶対正義とする立場で書かれているため、
・満州事変を成功させたのは軍事計画じゃなくて、我が満州青年同盟の思想戦(※山口氏の用語で、実際は慰撫活動というのが相応しいかと)が素晴らしかったから
・協和会の主張する五族協和(後に民族協和と変わる)こそ、近代国家に相応しい主張。欧米の「民主主義」は植民地に代表される資本主義、ソ連の共産主義なんかもっと最悪
・外交官の腰抜け!
・満州事変の後にやってきた関東軍幹部が最大のガン これさえこなけりゃ満州国はあんな事にならなかった
・大雄峰会も変な仏教に凝り固まって、ありゃ閉鎖主義で駄目だね
…と言う主張が強く出ており、現在学会の定説である
「日本帝国主義の植民地国家=満州国」
を全くの大ボラとして完全否定するスタンスに貫かれています。
他にもいろいろ指摘する点がありますが(後述)…
…乱暴に切り捨てると、言いたいことは理解できるけれど、要は独善的なんだわな。
でも書いてる内容は当事者のことなので、参考にはなるかと。
それでは。
1回、2回は満州国の成立までを書いた『満州建国-満州事変正史-』(昭和50年3月25日 行政通信社)
3回、4回がその後(協和会の成立からその挫折まで)を書いた『満州建国の歴史-満州国協和会史-』(昭和48年12月10日 栄光出版社)
です。
後書きを見ると1回2回紹介分の『満州建国-満州事変正史-』の編集には岡田益吉(このエントリ参照)が深く関わっているようです。
昔の本なので当然細かい活字で2段組み、読むのに根気がいったというのも勿論ですが、なによりかにより主張が独特なのでかなり引っかかる物が残りました。特に山口所属する満州青年同盟→満州国協和会を絶対正義とする立場で書かれているため、
・満州事変を成功させたのは軍事計画じゃなくて、我が満州青年同盟の思想戦(※山口氏の用語で、実際は慰撫活動というのが相応しいかと)が素晴らしかったから
・協和会の主張する五族協和(後に民族協和と変わる)こそ、近代国家に相応しい主張。欧米の「民主主義」は植民地に代表される資本主義、ソ連の共産主義なんかもっと最悪
・外交官の腰抜け!
・満州事変の後にやってきた関東軍幹部が最大のガン これさえこなけりゃ満州国はあんな事にならなかった
・大雄峰会も変な仏教に凝り固まって、ありゃ閉鎖主義で駄目だね
…と言う主張が強く出ており、現在学会の定説である
「日本帝国主義の植民地国家=満州国」
を全くの大ボラとして完全否定するスタンスに貫かれています。
他にもいろいろ指摘する点がありますが(後述)…
…乱暴に切り捨てると、言いたいことは理解できるけれど、要は独善的なんだわな。
でも書いてる内容は当事者のことなので、参考にはなるかと。
それでは。