拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
以前本屋で立ち読みして気になっていた雑誌のバックナンバーを取り寄せたでござる。
『婦人画報』2018年2月号なのだが(^^;)
…何で私がこんな似合わないおセレブな雑誌を入手したかというと、「西郷どん」関連特集を組んでいたから。もっと細かく言うと「西郷どん関連でなぜか津田梅子の後裔が登場していたから」
「倒幕の士・西郷どんの関係で、何で旧幕臣の後裔・津田梅子が登場???」
と疑問に思われたあなたは私と同志(^^;)
実はこの雑誌を改めて精読して分かったのだが、津田梅子の孫娘(正確に言うと養子の娘なので義理の孫になるわけだが)が結婚した相手が西郷どんの曾孫(西郷隆盛次男・寅太郎の孫の一人である隆晄氏)で、結局この孫娘の産んだ男子の一人が津田家の養子になったという次第らしい。その御養子というのが現在大阪芸大教授で写真家の津田直氏で、確かに公式HPを見ても簡単に経歴が紹介されている。
津田梅子と西郷どんが親戚になっていたとは驚きました。ちなみに西郷寅太郎の妻は競馬で有名な武豊の親族なので、武家とも遠い親戚ということになります>津田直氏
…しかし、今回読んで一番驚いたのは
では、ようやく本題の話。
なお、前回のお話はこちらです。
「かまたり神社」でググってみた。
…何と兵庫県にもうひとつ「かまたり神社」があるらしい。
なお、前回は漁師さんたち渾身の?オヤジギャグの化身が神社と化した?代物だったがヾ(--;)今回は祭神は「藤原鎌足」。多可町は海に面していないので、イルカ退治とは関係なさそう。どうも本物の「鎌足神社」のようだ。
…いや前回の神社がにせものだ!というのではありませんので念のため<(_ _)>
ちなみに場所はこちらです。
いやはやお遊びで検索したのだが、こういう結果が待っていたとは。
ところが、更に地図を拡大してみると驚くべき結果が。
※ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリック
『婦人画報』2018年2月号なのだが(^^;)
…何で私がこんな似合わないおセレブな雑誌を入手したかというと、「西郷どん」関連特集を組んでいたから。もっと細かく言うと「西郷どん関連でなぜか津田梅子の後裔が登場していたから」
「倒幕の士・西郷どんの関係で、何で旧幕臣の後裔・津田梅子が登場???」
と疑問に思われたあなたは私と同志(^^;)
実はこの雑誌を改めて精読して分かったのだが、津田梅子の孫娘(正確に言うと養子の娘なので義理の孫になるわけだが)が結婚した相手が西郷どんの曾孫(西郷隆盛次男・寅太郎の孫の一人である隆晄氏)で、結局この孫娘の産んだ男子の一人が津田家の養子になったという次第らしい。その御養子というのが現在大阪芸大教授で写真家の津田直氏で、確かに公式HPを見ても簡単に経歴が紹介されている。
津田梅子と西郷どんが親戚になっていたとは驚きました。ちなみに西郷寅太郎の妻は競馬で有名な武豊の親族なので、武家とも遠い親戚ということになります>津田直氏
…しかし、今回読んで一番驚いたのは
子供のころに暮らしていた家は、六甲山系の摩耶山(兵庫県神戸市)の麓にあった。と言う話。ばんないちの無茶苦茶近所なのだが(^^;)
(p.120)
では、ようやく本題の話。
なお、前回のお話はこちらです。
「かまたり神社」でググってみた。
…何と兵庫県にもうひとつ「かまたり神社」があるらしい。
なお、前回は漁師さんたち渾身の?オヤジギャグの化身が神社と化した?代物だったがヾ(--;)今回は祭神は「藤原鎌足」。多可町は海に面していないので、イルカ退治とは関係なさそう。どうも本物の「鎌足神社」のようだ。
…いや前回の神社がにせものだ!というのではありませんので念のため<(_ _)>
ちなみに場所はこちらです。
いやはやお遊びで検索したのだが、こういう結果が待っていたとは。
ところが、更に地図を拡大してみると驚くべき結果が。
※ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリック
PR
前回のお話はこちら
実はこの古いネタを掘り起こすきっかけになったのが、倉本一宏氏の『藤原氏の研究』『藤原氏-権力中枢の一族』を読んだことなんですが、『藤原氏の研究』のある論考が目に留まりました。第2章第4節の「宣命に見る藤原氏」というものです。
先ず、宣命とはなんぞや?と言う事で、こちらの説明を御覧下さい。
ともかく、宣命というものがかなり特別な物であったことは分かるかと思います。
倉本氏によると、『続日本紀』の宣命を検討したところ全62件の内10件で藤原氏の先祖の功業について言及されているとのこと、そしてこのように王権(皇室)との密着をアピールしたことで、藤原氏から律令に縛られない立場で権力をふるう人物をだす土壌となったというのです。
さて、これらの宣命を読んで、奇妙なことに気が付きました。
全10件の内、5件が永手がらみなのです。
以下長文になるので、興味のある方は「つづきはこちら」をクリック。
実はこの古いネタを掘り起こすきっかけになったのが、倉本一宏氏の『藤原氏の研究』『藤原氏-権力中枢の一族』を読んだことなんですが、『藤原氏の研究』のある論考が目に留まりました。第2章第4節の「宣命に見る藤原氏」というものです。
先ず、宣命とはなんぞや?と言う事で、こちらの説明を御覧下さい。
天皇が宣(の)りたまう大命(おおみこと、命令)の意で、本来は口頭で宣布され、それを宣命体で書記した。奈良時代は朝賀・即位・改元・立后・立太子などの儀式に用いられ、平安時代以降は任大臣・贈位・神社・山陵などの告文にだけ用いられた。ほか「宣命」に冠する説明はこちら参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E5%91%BD
ともかく、宣命というものがかなり特別な物であったことは分かるかと思います。
倉本氏によると、『続日本紀』の宣命を検討したところ全62件の内10件で藤原氏の先祖の功業について言及されているとのこと、そしてこのように王権(皇室)との密着をアピールしたことで、藤原氏から律令に縛られない立場で権力をふるう人物をだす土壌となったというのです。
さて、これらの宣命を読んで、奇妙なことに気が付きました。
全10件の内、5件が永手がらみなのです。
以下長文になるので、興味のある方は「つづきはこちら」をクリック。
このネタは、何れ機会があればちゃんとした論文にしたいと思っていたネタだったのですが、事情により永久に無理そうなので、それなら公開の場に出してしまおうかと。
実は○○年前に簡単にまとめて某教授に見せたこともあったのですが、その後こちらの事情で論評してもらう機会もなく、その教授も数年前になくなってしまわれたので…。
ではタイトルを見てご興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。
実は○○年前に簡単にまとめて某教授に見せたこともあったのですが、その後こちらの事情で論評してもらう機会もなく、その教授も数年前になくなってしまわれたので…。
ではタイトルを見てご興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。