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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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今までのお話   

このネタ、どうも本当に長くなりそうだ_| ̄|○

なんとか「本藩人物誌」読了。
あやしそうな人
・高崎伊豆守能乗 雲居士 島津義久が烏帽子親、寛永14年4月19日卒(「本藩人物誌」)
・比志島美濃守国親 林大禅伯 比志島国守の息子、天正頃の人(「本藩人物誌」)
まだ見落としがあるかも知れないけど…再読するのはごめんしてください(汗)

あと、前回の記事のご指摘で思いついたことなど
 

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桐野さんの指摘で
>あの墓群、最初からあそこにあのままあったのかどうか疑問です。移動されている可能性もありますね。 
というものがあった。

実は今熊野観音寺の五輪塔群、損壊している箇所が多いのである。
真ん中の五輪塔の写真 向かって右の五輪塔?の写真 向かって左の五輪塔?の写真
併せて参照 桐野さんブログの紹介記事(写真はクリックで拡大します)

気になっている損壊箇所
1:真ん中の五輪塔、真正面の「慶長三年」の下の文字。「~月」と掘られているのがかなり下に確認できるので、「三年」と「月」の間に何文字かあったのは確実。剥落と言うよりは削られたような感じ。
2:真ん中の五輪塔、向かって右側の面に掘られた「藤原氏島津義久」の下部。真ん中にある梵字との釣り合いを考えると、「義久」の下に何文字かある方がバランスが取れていると思う。しかし無い。崩落はなかったので、やはり削られたか。
3:向かって右側の五輪塔?の台部、「春宋(春栄)」の「春」の部分が削られているように見える。拙HP写真 桐野さん写真

意外なのは向かって左側、平田増宗の物と判明している石塔。後に「謀反人」とされたにもかかわらず、ほぼ損傷がないのである。

うーむ…

※このネタに関する情報、ご意見お待ちしています。本気で。
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