拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
西郷隆盛はあまりにも有名で専用サイトもわんさかとありますが
その子供達というと、余り知られていないように思います。
西南戦争で西郷隆盛が戦死し、「反乱軍の賊将」と言うことになりまして、当然、その家族は辛苦をなめ尽くしたそうです。
西郷隆盛には3人の妻がいましたが、そのうち隆盛の子供を産んだのは2番目の妻の愛加那と3番目の妻のイト。当時、いろいろと差別や障壁のあった時代、南西諸島出身の愛加那さんは鹿児島本土に渡ることが出来ず、産まれた子供だけが引き取られましたが、庶子の扱いだったそうです…。実際長男でありながら次男とされた菊次郎は西南戦争で片足を失った物の、後京都市長になったのは…たぶん、京都市出身者なら小学校で習っているはずなんだが…最近のゆとり教育でどうなったのか心配です
一方、イトとの間に生まれた次男の寅太郎が戸籍上は長男とされます。幼くして父・隆盛が上記に書いたような形で死に、世間から隠れるようにして大きくなったようです。
その後、叔父の西郷従道や親戚の大山巌、勝海舟らの取りなしで華族になりますが、父親とは違っていたって地味な経歴で、しかも大正初年頃のインフルエンザ大流行であっさり病死してしまいます…
(参照 wikipedia「西郷寅太郎」)
習志野の捕虜収容所の所長をしていたときには、結構優しい所長さんとして慕われていたそうな。うーん、やはり父親とはタイプが違うような…(^^;)こちら
そんな気になる寅太郎さんのお顔は…
西郷寅太郎の写真(たぶん留学していたとき?)
熊顔じゃないーヾ(^^;)つかむしろ美形の部類かと
寅太郎さんはお母さんに似たようです。
その子供達というと、余り知られていないように思います。
西南戦争で西郷隆盛が戦死し、「反乱軍の賊将」と言うことになりまして、当然、その家族は辛苦をなめ尽くしたそうです。
西郷隆盛には3人の妻がいましたが、そのうち隆盛の子供を産んだのは2番目の妻の愛加那と3番目の妻のイト。当時、いろいろと差別や障壁のあった時代、南西諸島出身の愛加那さんは鹿児島本土に渡ることが出来ず、産まれた子供だけが引き取られましたが、庶子の扱いだったそうです…。実際長男でありながら次男とされた菊次郎は西南戦争で片足を失った物の、後京都市長になったのは…たぶん、京都市出身者なら小学校で習っているはずなんだが…最近のゆとり教育でどうなったのか心配です
一方、イトとの間に生まれた次男の寅太郎が戸籍上は長男とされます。幼くして父・隆盛が上記に書いたような形で死に、世間から隠れるようにして大きくなったようです。
その後、叔父の西郷従道や親戚の大山巌、勝海舟らの取りなしで華族になりますが、父親とは違っていたって地味な経歴で、しかも大正初年頃のインフルエンザ大流行であっさり病死してしまいます…
(参照 wikipedia「西郷寅太郎」)
習志野の捕虜収容所の所長をしていたときには、結構優しい所長さんとして慕われていたそうな。うーん、やはり父親とはタイプが違うような…(^^;)こちら
そんな気になる寅太郎さんのお顔は…
西郷寅太郎の写真(たぶん留学していたとき?)
熊顔じゃないーヾ(^^;)つかむしろ美形の部類かと
寅太郎さんはお母さんに似たようです。
菊次郎さんと寅太郎さんは比較的有名で、ネットでも検索し易いようなので
菊次郎さん検索結果
寅太郎さん検索結果
他の子供についても見てみよう。ちなみにネタ本は『「さつま」の姓氏』。
菊子:菊次郎の同母姉。大山巌(父・隆盛の従兄弟)の弟に嫁いだそうだが…結構年齢差がありそうな。
午次郎:寅太郎の同母弟。息子は医者となり、あの吉田茂の担当だったこともあるとか。孫娘(といっても、現在60代のはずだが)の伊都子さんはなんと島津本家の現当主夫人。
西三:寅太郎の同母弟。…なのだが、彼だけが上記の本にも記載無く、ネットでもヒットしなくてネットで検索したら大阪の西三荘が山ほどヒットしたのは公然の内緒どうなったのか全く不明。
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