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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
県犬養橘三千代は、出家し頭は既にボーズカット(汗)でしたが、これで仏道に精進して俗世間から離れる
…どころか、権力への意欲は失っていませんでした。

まず、首皇子が即位するための地ならしです。
養老七年(723年)に、今まで病気のため名前すらほとんど出てこなかった首皇子生母・藤原宮子の名前が突如『続日本紀』に登場します。彼女はこの年に一気に従二位の位を授かるのです。
同じ年の10月に、今度は平城京の左京の住人・紀家(きのいえ)なる者が白い亀を献上します。白い亀は良いことのある前兆とされています。
これらの背後に、県犬養橘三千代はじめ、藤原不比等の息子達の工作があったことは言うまでもないでしょう。ちなみに、この時の平城京の京職大夫は藤原不比等の4男・藤原麻呂ですから、左京の住人・紀家も麻呂の回し者?であったかも知れません。

こうして、神亀元年(724年)待つこと9年で、やっと首皇子は即位します。聖武天皇の誕生です。
が、即位の時に問題は起こりました。

聖武天皇は、母・藤原宮子に「大夫人(おおきさき)」の称号を与えようとします。県犬養橘三千代や、藤原氏の入れ知恵があったという説もありますが、病気故深窓に籠もりっきりの母親に何かしてせねば!と言う聖武の孝行心からでた独自政策ではないかと私は考えています。
が、これにかみついた人がおりました。高市皇子の長男で、吉備内親王の夫であり、左大臣の長屋王です。

┌高市皇子──長屋王
天武天皇─┤       ├───膳夫(かしわでおう)王+その他3人
└草壁皇子─┬吉備内親王
└文武天皇──聖武天皇

※膳夫王らは和銅7年(715年)に「皇孫の例」にあずかる。
また、『本朝皇胤紹運録』から長屋王と吉備内親王の間の子は3人だった
という説もある。

「律令を見たら、”大夫人”という称号はないです。律令に則れば”皇太夫人”というのが正しいです。が、そうすれば天皇の勅令をひっくり返すことになりますが、どうしましょう?」
…問題の「藤原宮子称号事件」と言われる物です。この事件の解釈には
「長屋王が法律を守ろうとする一心から出た物だ」
「いや、長屋王が聖武天皇にいちゃもんを付けようとしたのだ」
と2通りの説があり、実はどっちの説を採るかによって「長屋王」という人物の捉え方が全く変わってしまうのです。
しかしどっちにしろ、こういう言い方をされたら、聖武天皇は「長屋王にいちゃもんつけられた(_ _;)」
と思うでしょう。そして、その心は藤原一門はもちろん、県犬養橘三千代も同じであったようであります。
実は、長屋王は藤原不比等の娘をも妻にもらっており、藤原氏との仲はそんなに悪くはなかったと私は考えていますが、この事件がきっかけで長屋王と藤原氏の中は急速に冷えていってしまったと思われます。

さて、神亀4年(727年)藤原安宿媛は、待望の皇子を出産します。
藤原氏、県犬養橘三千代はもちろんの事、聖武天皇の喜びようも大変な物で、何と、産まれて間もないこの皇子が皇太子に立てられます。これは前代未聞のことでした。
県犬養橘三千代は、ここぞとばかりに
「実家・県犬養家でまだ「宿禰(すくね)」の姓を与えられてない者に「宿禰」の姓を与えて欲しい」
とお願いし、あっさりと許可されております。「皇太子の祖母」の特権をふるったわけです。

が、常と変わったことをすると良くないことがある!の例え通り、この皇子は翌年に亡くなります。
そして、明けて神亀6年(729年)「長屋王の変」が発覚します。そして、長屋王はじめ、吉備内親王・二人の間の子供はすべて自殺しました。
この政変の意味については
「長屋王及びその子供に皇位を取られるのを恐れたための陰謀」
「藤原安宿媛を皇后にするために、何でも法律を楯にする長屋王がじゃまなために陰謀にはめた」
と2説があり、どっちが主目的だったかは未だに論争の的です。
しかし、おもしろいことに、どっちの目的であっても、一番得するのは県犬養橘三千代なのであります。

まず、もし「長屋王及びその子供が皇位を取る」とすれば、藤原氏はもちろんですが県犬養橘三千代には不利であります。
実はこの年、後に問題となる安積親王という皇子が産まれています。父は聖武天皇、母は県犬養広刀自です。
もし、万が一藤原安宿姫に皇子が今後産まれなければ、この安積親王が即位する可能性が高くなります。
しかし、不比等の4人の息子という強力な勢力を持っている安宿媛に対し、県犬養広刀自は頼りとする実家の勢力は小さい物です。そうなった場合に長屋王とその息子が皇位継承者として対抗してくれば…安積親王は血筋の上でかなり不利になります。これを防ぐためにも、長屋王一族はやっつけておかないと…と三千代が思ってもおかしくはない。
また、「藤原安宿姫を皇后にする」とすれば、県犬養橘三千代は「皇后の母」という栄誉を手にすることが出来ます。しかし、先述の「藤原宮子称号事件」から考えても法律に詳しい長屋王が
「皇后は皇族からしかだせんのじゃあ!」
とすぐ気が付くのは目に見えております。…自分の栄光の地位をじゃまする長屋王。…やっぱし消すしかない。

-ということで、どの説を採るにしても黒幕に県犬養橘三千代を想定するのが正しいでしょう。
その証拠に、橘三千代と美務王の間の子・葛城王は、同年3月の人事で従四位下から二階級進んで正四位下になっております。母親の命で「長屋王の変」の陰謀に加わったのは間違いないでしょう。

そして、翌年三千代の娘・藤原安宿媛は「皇后」となり、「光明皇后」と呼ばれるようになります。。
その前年に、またもや「天王貴平」の文字がある不思議な亀が献上されました。この事が安宿姫を皇后とするきっかけになります。しかし、この亀を献上したのは河内国古市郡の人であり、古市郡は県犬養氏の本拠地でした。この裏にも三千代の手が回っていたと考えられております。

天平5年(733年)、県犬養橘三千代は正三位で亡くなりました。が、葬式は一位の役人の形式で行われました。
そして、同年に「従一位」の位が送られ、さらに天平宝字七年(760年)には「正一位」と更に一階昇進の上、長屋王のクレームで問題になった「大夫人」の称号さえ賜ったのです…天皇の母でもないのに。

皇族出身ではなく、更に名門貴族の出身でもないのにここまで高位を極めたのは県犬養橘三千代ぐらいでしょう。
しかし、一族・子供を出世させたいためとはいえ、そこに至るまでの節操のない行動は、余り好きにはなれないですね。皆さんは如何でしょう?

では、三千代の残した和歌を一首(というか、これ一首しか残してない)。

天雲を ほろに踏みあたし 鳴神も 今日にも益(まさ)りて 恐(かしこ)けめやも
(『万葉集』巻19 4235)


次回「牟漏女王編」につづく

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