拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
只今まだ「本藩人物誌」を調査中(^^;)
しかし余りにも効率が悪い。
…そういえば、思い出した。黎明館の昔の展示のパンフに、山本博文東大史料編纂所教授が島津家家老京都お当番表京都出張時の一覧表作ってたの。あれ見た方が早いか…
ついでに思い出したメモ書き
町田久倍(亀寿の守り役1号):惟仙宗逢居士 入道名「存松」
吉田清孝(亀寿の守り役2号):不詳
相良長辰(関ヶ原合戦時大坂屋敷在任):不詳 入道名「閑栖斎」
新納孫右衛門(関ヶ原合戦時大坂屋敷在任):該当人物不明
上原右衛門佐(関ヶ原合戦時大坂屋敷在任):上原尚演、泰応静安居士 入道名未詳
ところで
しかし余りにも効率が悪い。
…そういえば、思い出した。黎明館の昔の展示のパンフに、山本博文東大史料編纂所教授が島津家家老
ついでに思い出したメモ書き
町田久倍(亀寿の守り役1号):惟仙宗逢居士 入道名「存松」
吉田清孝(亀寿の守り役2号):不詳
相良長辰(関ヶ原合戦時大坂屋敷在任):不詳 入道名「閑栖斎」
新納孫右衛門(関ヶ原合戦時大坂屋敷在任):該当人物不明
上原右衛門佐(関ヶ原合戦時大坂屋敷在任):上原尚演、泰応静安居士 入道名未詳
ところで
一つ気になる記述を見つけたのだが、
「薩藩旧記雑録」拾遺「諸氏系譜」の伊集院氏の系図に、かなり雑な伊集院忠棟家の系図が載っている。
事績が多い割に雑なのは、謀反疑惑と庄内の乱が原因であるのは明白だろう。
ここに、忠棟の戒名が載っているのだが
法諱幸侃別号諸宋
というのである。
諸宋は「しょそう」と読むと思われ、春宋の「しゅんそう」に近い。
また、諸宋の「諸」の旁(右側)「者」は「春」とも似ている。
ただ一つ問題があって、この墓石には上の円柱部に「薩摩住」と刻まれているが、慶長3年時、忠棟の領地は都城(日向国)だし、屋敷を構えているのは富隈(大隅国)である。
うーむ…。
※補記
伊集院忠棟家の系図は「庄内陣記」にも附録として付いていますが(『島津史料集』には所収されていないので注意)、そこには法号は載っていませんでした。
「薩藩旧記雑録」拾遺「諸氏系譜」の伊集院氏の系図に、かなり雑な伊集院忠棟家の系図が載っている。
事績が多い割に雑なのは、謀反疑惑と庄内の乱が原因であるのは明白だろう。
ここに、忠棟の戒名が載っているのだが
法諱幸侃別号諸宋
というのである。
諸宋は「しょそう」と読むと思われ、春宋の「しゅんそう」に近い。
また、諸宋の「諸」の旁(右側)「者」は「春」とも似ている。
ただ一つ問題があって、この墓石には上の円柱部に「薩摩住」と刻まれているが、慶長3年時、忠棟の領地は都城(日向国)だし、屋敷を構えているのは富隈(大隅国)である。
うーむ…。
※補記
伊集院忠棟家の系図は「庄内陣記」にも附録として付いていますが(『島津史料集』には所収されていないので注意)、そこには法号は載っていませんでした。
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